いつか

逆襲を目指すマイノリティーが真っ先に身に付けるべきなのは、いつ死んだとしても「最高に幸せな人生だった」とナチュラルに言える思考だと思う(参考:思考が変わるまで)。

いつ死んだとしても後悔ないように生きるようにするわけだが、結果として、これが一番長生き出来る生き方になる。

人間、そこまで強くない。努力しても結果が出ないというのは、精神的に辛い。必死に努力して結果が出なかったとしても惨めに生き続けろというのは、余りにも辛い。ヒエラルキーの底辺で、何もないまま生かされるのは辛すぎる。だから、結果が出るまで努力するための保険として、死を使わせてもらうのだ。

私はこの思考を身に付けてから今日まで、笑顔が途切れた日が一日足りともない。どんな逆境が訪れても笑えるようになった。と言うか、笑うしかないのだ。

とにかく、やりたいことをやることだと思う。

”いつか”なんて絶対にやって来ない。そうやって、いつかやりたいことと先送りし続けていって、一生やらないまま終わってしまう。今すぐにやりたいことをやるべきだ。

たった今死んだとして、「あれをやっておけば良かった……」と心残りになるようなことはないかどうか。ちなみに、私的には、今年は攻略サイトを作らなければ後悔していた。

何をやっているかに比べれば、何を手に入れたかという点は、それほど重要じゃないんでないかと思う。この世界で自分にしか出来ない何をするか?

 

プア充

私は、プア充(カネがなくても豊かな生活を送ること)にも既になれるんだが、プア充に留まっていることが余りにも恐すぎる。これは価値観の問題であり、プア充という生き方もありだと思う。それに、これからのライフスタイルのスダンダードもこれに近いものになると思う。また、貧乏サバイバルが楽しいのは間違いない(参考:規律ある消費)。ある種のやり込み的な楽しさがあるのだ。

ただ、私は出来れば、カネを持ちたいし、偉くなりたいし、自分の好きなことや得意なことで専門家として社会に貢献したいし、結婚もしたい。

自分にやれることをやらないできて、将来、「もしも、あのときやっておけば……」と後悔すること。これが一番恐ろしい。絶望に変わる後悔になる。同世代の中の成功者に嫉妬しつつも、自分を騙しながら自己正当化して生きていくというのは……。だから、プア充に留まっているのは恐すぎる……。

結果が出ない苦しみというのは常に付きまとう。努力なんてしても、全く無意味かもしれない。泥臭く努力して、しかも結果まで伴わないってのは、惨めかもしれない。それでも、将来体験するかもしれない絶望に比べたら遥かにマシだと思う。自分に出来ることを全力でやって結果が出なかったとしたら、まあそれも後悔はするだろうが、絶望になるような後悔にはならない。

未来の自分に、何と言われたいのか?

「よく繋いでくれた、ありがとう!」「あの状況でよくやってくれた!」「あなたのお蔭で心残りが解消された!」「よくあの一歩を踏み出してくれた!」など、今の自分が過去の自分達に対してそう言えるように、未来でも過去の自分達にそう言っていたい。

あと、外を歩いているときも、小学生や中学生や高校生や大学生を見ると、自分にもあんな時代があったなと、とても良い感情で見れる。これは良い体験をしているからだと思う。

だが、貧乏で独り身の将来が訪れたとしたら、楽しそうなサラリーマンや子連れの家族などを同じような感情で見れるだろうか?防衛本能が働いて、外に出たくなくなると思う。

 

足掻くのだ

ヘイトスピーチにせよ、生活保護減額反対デモにせよ、反原発デモにせよ、どれも賛同できるものではないが、行動しないでいるよりは圧倒的にマシだなと思う。ヘイトスピーチが日本の名誉を傷付けて、生活保護が日本の財政にダメージを与えることになったとしても、黙って正義の声に迎合するよりは人間らしくていい。

良い子ちゃんでいても、何から何まで搾取されるだけ。例えば、竹島にせよ慰安婦問題にせよ、論理的証拠がある日本ではなくて、声が大きい韓国の方が優勢になってるわけで。STAP細胞のおぼちゃんにしても、徹底的に足掻き続けた結果、どれだけ日本の国益を損なったか分からないが、理研を解雇にはなってない。原発事故当時の東電の役員だって、悠々自適の生活を送っている。

人が足掻く姿は実に尊い。それがどれだけ社会悪だったとしてもだ。

社会がマイノリティーを切り捨てるのは合理的だ。1億2000万人を生存させるために、100万人のマイノリティーを切り捨てるのは正しい。それに、生物学的に見ても、能力がなくて社会の足を引っ張っている弱者が淘汰されるのは当然だと言える。

だが、だから何だと言うのだ?

だからこそ、足掻くべきだ。素直に淘汰されるなんて勿体無い。徹底的に足掻き続けてやるべきなのだ。生き残るために徹底抗戦すればいい。黙って淘汰を受け入れるなんて、ロボットみたいで気持ち悪い。利用出来るものは利用し尽くして、サバイバルしていくべきだ。

社会の期待に応えるためだけに生きてはいけない。良い子ちゃんが称賛されるのは、社会が都合良く搾取出来るからだ。たとえ社会的に非難されることだろうと、今がどのような状況にあったとしても、人生をより良いものにしようと足掻く姿は尊く美しい。

 

現実直視

ドル換算GDP、中国の半分に

こういう現実があっても、アベノミクスで給料は上がっているだとか言って、一向に日本の現実を見ようとしない。1945年頃もこんな感じだったんじゃないかなと思う。

自分は凄くないけど、日本は凄いんだ!と現実逃避する。本当に勿体無いとしか言いようがない。これでは一生、改善の余地が生まれない。

まあ、世界史的に見れば、日本はここ100年間のある時期だけの一発屋であって、それ以外の時代は常に中国がGDP世界1位だったわけで。ただ平均回帰するだけのことだ。歴史的に考えれば、何もおかしいことじゃない。

そもそも、経済に限ってみれば、転売屋が諸悪の根源のように叩かれる国と、転売が当たり前の国と、この時点で勝負がついてる。確かに中国人の転売屋は迷惑であるが、そのハングリー精神は見習うべきだと思うんだが……。

「そこまでしてカネ稼ぎたくない」と言われるかもしれないが、これから多くの日本人の賃金はそれ以下にまで下がっていく。そして、転売で稼いだカネで中国人がごっそりと日本で買い物していく。日本が資本主義の恩恵を享受している以上は仕方ない。

こういうの昔は、日本やばいなあ、嫌だなあ……と思っていたんだが、マイノリティーを体験して、国家からアイデンティティーが抜けたからか、ほとんど何とも思わなくなった。

まあ、一人負けを認めるのは死ぬほど辛い。その現実を受け入れようとすると、吐き気がしてくる。だが、それを受け入れてしまえば、実はそこまで痛くはないことに気付く。

もう一つ、現実逃避として、日本は経済なんてどうでもよくて、幸福や豊かさを追求する云々……。

残念ながら、幸福度に関しては、日本は欧米どころか韓国以下である。ソース:日本人の「幸福度」は先進国で最下位

なぜか、日本人は精神的豊かさを持っているというような印象操作がされるが、戦争に負けたコンプレックスから経済だけを追求してきて、精神的な豊かさ(哲学やライフスタイルなど)は捨ててきたのが戦後の日本なのだ。

そもそも、もしも日本人が経済より幸福を追求するのだとしたら、ブラック企業やサービス残業なんて存在してないだろうし、もっと大々的に哲学やライフスタイルに関する話が表に出てきてもいいはずだ。

そういう話が表立って出来るようになるんだとしたら、私としては大歓迎だ。ようやく、哲学の話がマイノリティーじゃなくなる。公的にはアウトプット出来る機会がないから、こそこそとブログに書くしかないわけで……。

自分が好きだとか言うとナルシスト扱いされるし、自分との対話とか自分史の検証とか、こういうのはただの内省に過ぎないんだが……。一体、精神的豊かさって何だと思ってるんだろうか?ナチュラルには幸せになれない私のような凡人にとって、精神的豊かさを追求するには、相応の努力が必要になる。

残念ながら、現状では、精神的豊かさを追求するための努力をしていると公言したら、ネガティブイメージに染まったレッテルが貼られるのは目に見えてる。

成功本(自己啓発本)も一部では敬遠されているようだが、成功本を読んでみるというのは努力以外の何物でもないだろうがと。必死に幸せになろうと思っているから、藁にもすがる思いで成功本を手に取るわけで。本当に尊い行為である。

少なくとも、「道は開ける」や「思考は現実化する」は、私の人生をより良いものにしてくれた。人によって合う合わないがあるから、成功本は合わないかもしれない。だが、人生をより良いものにしたいという思考で行動し続けていけば、合うものと出会えるはずだ。

いずれにせよ、日本が経済的に貧しくなっている現実か、日本が精神的豊かさを放棄している現実、このどちらかを認めない限り、道は開けていかないと思う。ちゃんと現実を直視していけば、日本には可能性がある。

まず、中国をはじめとするアジアが発展するということは、近くに巨大な市場が出来るということなわけで、日本にとっても大きなチャンスになる。悪いことばかりではない。現実を直視して、考えることをやめなければ、事態はいくらでも改善されていく。

精神面にしても、無宗教の日本では、精神的な努力というものが全く認知されてないため、とてつもない伸び代があると思われる。

あと、現実を直視すべきとは言っても、自虐史観を受け入れる必要はない。あれは百害あって一利なし。日本の戦後補償は全て終わっているんだから、堂々としていればいい。卑屈になる必要なんてない。と言うか、卑屈になる必要がある人間なんて存在しない。

 

義務

東日本大震災と福島第一原発事故では、私は恐らく世界中の誰よりも恩恵を受けたんじゃないかと思う。カネには換算出来ない程のとんでもないものを受け取ってしまった。もしも、この二つの出来事が起きてなければと思うとゾッとする。

東日本大震災と福島第一原発事故で一財産築いたトレーダーはかなりいるだろうが、夢を叶えてもらった人間は私一人だけじゃないかと思う。それだけじゃなくて、立ち上がるきっかけまで与えてくれた。何から何まで与えてもらった。今の私があるのは、東日本大震災と原発事故のお蔭だとしか言いようがない。これは否定することが出来ない現実である。

もしも、原発事故に対して日本人が一致団結して対処出来ていたら、「この社会で逆襲するのは無理だ……」と完全に諦めていただろう。

原発事故に対してバラバラな日本人達の姿を目の当たりにしたことで、なぜに一致団結して行動を起こさないんだろうか?という疑問が湧いてきた。

マイノリティーに対する風当たりは滅茶苦茶強いにも関わらず、原発事故や少子高齢化に対して何も出来ない。何も行動を起こせない。原発事故や少子高齢化で一番大きな被害を受けるのは、大多数の普通の人達である。何も持っていないマイノリティーは何も被害を受けない。なのに、日本人達は何も行動しない。団結して行動すればいいのに。諸外国でやってるような大規模なデモやら抗議活動やらすればいいのに。

これ、ただ数が多くて、集団の中で同調した行動が出来るだけで、実は大したことないんじゃないのか?と。マイノリティーでも、勉強し続けて、創造し続ければ、意外と簡単に生き残る方法が見つかるかもしれないと。

つまり、私は日本人の絆の脆さに救われた。これがなければ、自信喪失したままだっただろう。

こういうのを実体験してしまうと、人間の作った社会は完璧じゃないし、その実態は自然界なんだなと思う。社会の思惑とは裏腹に、社会的には私よりも必要とされていた人がたくさん淘汰された一方で、当時は何もなかった私が悠々と生き残ってしまった。

私は、東日本大震災と原発事故に助けられた。攻略サイトの次にブログを書き始めた理由もここにある。

1000年に一度の大震災から、「このピラミッド、実は大したことない」という現実を教えてもらった。この奇跡がなければ、ここまで来れなかった。ただ、1000年に一度しか起こらないこの奇跡を一人で独占してていいものだろうかと。

まあ、マイノリティーになってしまった以上、自分の足で立ち上がるしかない。弱者から強者になる以外にない。それに、マイノリティーの逆襲は、誰にでも出来ることではない。実際、私は運の強さと自己肯定感と自分の世界の楽しみ方に関しては、世界中の誰にも負ける気がしない。この3つの強みがなければ、ここまで来るのは無理だっただろう。

それでも、逆襲のスタートラインとなる気付きを、一人でもいいんで、後世のマイノリティーに残しておく義務があると思った。マイノリティーになって自信喪失していたとしても、マジョリティーなんて大したことないんだよと。この気付きがなければ、そもそも始まらない。

それに、マイノリティーが生き残ることは、多様性維持の観点から、日本にとっても良いことなのだ。

 

藁にもすがる思い

感謝の習慣とか、天国言葉を毎日50回連呼するとか、傍から見れば馬鹿らしいことかもしれない。

少なくとも私の場合は、逆境がなければ感謝を習慣にすることはなかった。つまり、逆境がなければ、感謝の効果に気付くこともなかっただろう。

考え得る努力は全てしてきたにも関わらず、トレードで思うような結果が出ないままだった。トレード本の名著もほぼ全て読んだし、売買日記も書き続けてきたし、統計も検証も1000時間前後はやった。にも関わらず、思うような結果が出なかった。もう、感謝する以外に出来ることが残されてなかった。だから、藁にもすがる思いで感謝するしかなかった。そうしたら、そこから道が開けてきた。

いや、そりゃあ、誰だって感謝はしてる。感謝してない人間などいないだろう。だが、本腰を入れて感謝しないといけないと思った。

羽生でも錦織でもいいんだが、トップスポーツ選手のインタビューを集中して聞いてみて欲しい。そのインタビューの節々から溢れ出てくる「嬉しい」「楽しい」「感謝している」というニュアンスの数々に気付くと思うのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=D6gGnDyi0lM

この斎藤一人さんの「地球が天国になる話」で、40分位から始まる悪徳裁判官に関する部分は100回以上聴いた。

 

革命の法則

これは確か、「影響力の武器」に書いてあったと思ったんだが、革命というのは、昔から虐げられていた人達が起こすのではなくて、一度は良い生活を味わったけどそれが手に入らなくなった人達が最も起こしやすいという研究結果が出ているらしい。

まあ、これは普通に考えれば当たり前のことだ。

強烈に記憶に残るような滅茶苦茶楽しい体験をしたことがないのに、その楽しい体験を羨ましがることなど出来るはずがない。体験したこともないのに、跳び上がることは出来ない。

だから、まず必要なのは、滅茶苦茶楽しい体験だ。これがなければ始まらない。もしかしたら、それは過去に眠っているかもしれない。

過去になかったら、今から新しく何かしてみるしかないだろう。その中で、滅茶苦茶楽しい体験が出来るときがある(参考:レジェンド級のコンテンツ4)。

 

パワポケと確率

私は小学生高学年の頃に、この本を毎日のように読んでいた。私の基本的な国語力はこの本で培われたと言っても過言ではない。国語の教科書の1000倍は役に立った。この本と「全ポケモンレベル100」に出会ってなかったら、ここまでポケモンやってなかっただろうなと思う。

それで、この本に出てくるゲンガーパーティのコラムの中で、「さいみんじゅつ」(当時の命中率55%)は命中率55%のはずがない、恐らく70~80%はあるはずだということで、実際に100回統計を取ってみたら56回しか当たらなかったという検証があった。

これ、まさにこれ。これが確率。ポケモンの攻略本で一番確率についてよく書かれているのは、このコラムだ。

まあ、ポケモンの確率はさておき、今日はパワポケの確率について。

パワポケの確率で重要なのは、一回一回の練習の故障率にはそれほど意味がないということ。なぜなら、サクセスを通じて50回前後は練習するからだ。つまり、トータルで考えることが重要になる。

当サイトの育成理論では、基本的に故障率6%以下で練習としているが、これは3週間以上の怪我が発生しなくなるため。いざというときは、故障率10%程度でも練習してよい(但し、3週間以上の大怪我をしたらやり直した方がいい)。パワポケの育成理論では、(体感確率)95%位は育成理論通りにやればいいが、残り5%はフィーリング。例えば、次の週に体力が全回復する定期イベントが控えているのに故障率7%だったら、練習する。彼女イベントが遅れてて好感度が足りなかったら、練習放棄してデートし続ける。

ちなみに、サクセスを通じて練習を60回するとなると、故障率平均3%だとすると、1回もケガをしない確率は0.97^60=16.08%。故障率5%で練習する部分が30回あるとすると、その30回で1回もケガをしない確率は0.95^30=21.46%。まあ、サクセス全体で1~3回は怪我する。

しかし、それでも最悪でねんざであり、3週間以上の怪我はしないため、リスクは限定される。いざというときは育成理論から外れて、故障率10%程度で練習しても構わないが、あくまで緊急的な場合に限る。サクセス全体で1回あるかどうか。故障率10%での練習を続けてたら、いつか交通事故が起こる。ちなみに、故障率10%で5回練習したとき、1回もケガをしない確率は0.9^5=59.04%。

パワポケでは、改造手術する以外には(1,2,4)、一発でかいリスクを取るべき場面がほとんどない。と言うか、貴重な時間もポイントも使うわけで、低確率で再現性のないものは育成理論と言えないと思う。

 

究極の広告塔

マーケットでは、運だけで素人が大勝ちしてしまうときがある。

だが、この性質があるからこそ、マーケットには何度も何度もチャンスが現れるのだ。

だから、マーケットで運良く儲けた素人の存在は絶対に必要。プロじゃ駄目。素人じゃないと駄目。もしも、マーケットがプロしか稼げない場だったら、誰も見向きしなくなり、とっくに衰退している。運よく大金を儲ける素人が出現するからこそ、マーケットには何度も何度もチャンスが現れる。

去年の春頃には、アベノミクス相場でサラリーマンが何千万円儲けたというニュースが駆け巡ったわけだが、こういう現象が起こり続ける限り、供給され続ける。10月の暴落で退場していった個人投資家がいただろうけど、追加緩和もあったことだし、また新しい個人投資家が入場してくる。

アベノミクス相場のときのような円安・株高が進むと、株やFXで大儲けした素人が出現してくる。それと同時に、とある現象が日本中で起こる。株やFXで何百万何千万と儲けたら、会社の同僚や友達にどうしても言いたくなってしまう。人間関係が壊れるリスクがあるわけで、カネの話は隠しておかないと駄目だと思ってはいても、言いたくなってしまう。それが人間というものだ。

それで、会社の同僚や友達に「株で3000万儲けた(ドヤ!)」と言ったとする。これで満足して、めでたしめでたし。……ただ、聞かされた方は心中穏やかではない。例え、株もFXもやらないと決めていても、自分の周りで何百万何千万儲けたという同僚や友達が徐々に増えてきたとしたら、どういう感情になるだろうか?。自分だけ置いてかれてしまうんじゃないか?みたいな、焦り・不安の感情が高まっていく。そして、「もう置いてかれたくない!」と飛び付いて買った日が高値となる。

なるほど……。書いてて思ったが、こういう状況に置かれたら、FXのコピペにあるような一発逆転狙いの破滅願望丸出しトレードをしてしまう理由も分かる気がする。そりゃあ、親しい同僚や親友との間に何千万の格差が生まれたら、跳び上がるかも分からん。本業ではちょっと埋められん差だしね。

高確率で養分になるため、素人は株やFXをやらない方がいいと思う。しかし、低確率ながらも大儲けする素人が必ず出現する。それは、マーケットにとっては究極の広告塔。

 

スキルと確率

トレードというゲームは面白いもので、一時的ではあるものの、チャートの見方すらも分からない素人がプロより儲けてしまう場合がある。プロ野球では実力がないピッチャーが沢村賞を取ることは絶対にないが、トレードではそういうことが起こりえる。

例えば、アベノミクス相場前にガンホーをナンピンしてたら……。長期的に考えたら、ナンピンはいつか絶対に退場する運命にある。だが、ナンピンで成金や金持ちになる人が必ず発生する。

これをポケモンで例えると、スカーフ絶対零度、先制の爪つのドリル、タスキじわれ、メガカイロス:ハサミギロチンの4体のパーティが、世界大会優勝者やレーティング1位相手に10連勝することがあり得る。勿論、勝率はズタボロだろうが、10000回もやれば10連勝出来るときが出てくるだろう。このパーティを使って世界大会優勝者に10戦挑むトレーナーが10000人いたとして、10連勝するトレーナーが1人は現れる。もしかしたら、もっと試行回数が必要かもしれないが、いずれにせよ確率0%の事象ではないため、いつかは10連勝するトレーナーが現れる。

つまり同じことで、ナンピンするトレーダーが10000人いたとしたら……。

だが、問題は、自分の資金や自分の人生を、つのドリルに託せるか?ということだ。果たして、アズマオウに人生を託せるか?

確かに、アズマオウだって、つのドリルでカイオーガに10連勝出来る場合がある(しかも、最近のアズマオウには雷が効かない!)。アルセウスにだってミュウツーにだって10連勝出来る場合がある。ゲンシグラードンにもゲンシカイオーガにもメガレックウザにも10連勝出来る場合がある。

だが、アズマオウに貴重な資金を託せるか?

マーケットでは、運だけで成金になってしまう素人が一定数は必ず現れる。しかも、一番スキルがあるプロよりも稼いでしまう場合が多々ある。その一方で、スキルはあるのに運悪く失敗するプロというのも一定数出てくる。これはランダムネスの法則上、こういうことが絶対に起こる。

だが、スキルはないけど運だけで成功した人は、それを続けていればいつかはそのしっぺ返しをくらうことになる。逆に、スキルはあるのに運悪く失敗した人は、それを続けていればいつかは成功する。

だから結局、運に頼るよりもスキルを磨くのが一番確実なのだ。