プア充


私は、プア充(カネがなくても豊かな生活を送ること)にも既になれるんだが、プア充に留まっていることが余りにも恐すぎる。これは価値観の問題であり、プア充という生き方もありだと思う。それに、これからのライフスタイルのスダンダードもこれに近いものになると思う。また、貧乏サバイバルが楽しいのは間違いない(参考:規律ある消費)。ある種のやり込み的な楽しさがあるのだ。

ただ、私は出来れば、カネを持ちたいし、偉くなりたいし、自分の好きなことや得意なことで専門家として社会に貢献したいし、結婚もしたい。

自分にやれることをやらないできて、将来、「もしも、あのときやっておけば……」と後悔すること。これが一番恐ろしい。絶望に変わる後悔になる。同世代の中の成功者に嫉妬しつつも、自分を騙しながら自己正当化して生きていくというのは……。だから、プア充に留まっているのは恐すぎる……。

結果が出ない苦しみというのは常に付きまとう。努力なんてしても、全く無意味かもしれない。泥臭く努力して、しかも結果まで伴わないってのは、惨めかもしれない。それでも、将来体験するかもしれない絶望に比べたら遥かにマシだと思う。自分に出来ることを全力でやって結果が出なかったとしたら、まあそれも後悔はするだろうが、絶望になるような後悔にはならない。

未来の自分に、何と言われたいのか?

「よく繋いでくれた、ありがとう!」「あの状況でよくやってくれた!」「あなたのお蔭で心残りが解消された!」「よくあの一歩を踏み出してくれた!」など、今の自分が過去の自分達に対してそう言えるように、未来でも過去の自分達にそう言っていたい。

あと、外を歩いているときも、小学生や中学生や高校生や大学生を見ると、自分にもあんな時代があったなと、とても良い感情で見れる。これは良い体験をしているからだと思う。

だが、貧乏で独り身の将来が訪れたとしたら、楽しそうなサラリーマンや子連れの家族などを同じような感情で見れるだろうか?防衛本能が働いて、外に出たくなくなると思う。