自分史の教科書

コンテンツ

概要

このコンテンツは、自分史の書き方の補助として、自分史を体系的に理解していくことに焦点を当てて作ったものです。

自分史の書き方についてはこちら。

 

 

自分史の教科書 序章~書く必要はない~

自分史の書き方というコンテンツを作って、気付いたことがあります。

それは、自分史はわざわざ書く必要はないということです。

自分史を書くとなると、結構な労力と時間が掛かります。毎日2時間取り組んだとしても、2~3ヶ月は掛かります。

自分史を書くのは、既に自分の人生が好きで好きでたまらない人にとっては至福の作業になるんですが、そうじゃない人がやったら、恐らく挫折してしまうかと思います。

自分史の敷居を下げるために、自分史の書き方についてのコンテンツを作ったんだけども、そもそも”自分史を書く”という行為自体がめちゃくちゃ敷居が高いのは変わらないという……。

だから必要なのは、自分史の書き方ではなくて、自分史を正しく理解する考え方や思考なんじゃないかなと。

順番としては、まず自分史を理解していって、「文章として記録しておきたい!」「人生のガイドブックがあったら面白そうだなあ」と純粋にワクワクしてきたら、自分史を書くのがいいです。

少なくとも、人生を好きになりたいから自分史を書くというのは、やめておいた方がいいです。順番が逆です。

まずは自分の人生を正しく理解すること。そうして、自分の人生に興味が出てワクワクしてきたら、溢れ出てくるような感じで、一種の娯楽として自分史を書けます。

そのときに何か躓くことがあったら、こちらのサイトを参考にして、自分史を書いてみてくださいね。至福の時間が体験出来ることをお約束します(・∀・)ノ

とにかく、まず必要なのは、正しい方法で自分の人生を理解して、自分の人生を好きになることです。

人生が好きかどうか、人生が楽しいかどうかというのは、歩んできた人生の内容とは全く関係ないです。

 

自分史の教科書 第1章~自分史の効果~

自分史を理解すると得られるであろう効果には次のようなものがあります。
・人生で奇跡が起こっているのは当たり前だと気付き、自分の人生を信じられるようになる。
・人生で起こってきた悪い(と思い込んでる)出来事の全てが、良い出来事だったと気付ける。
・未来にワクワクして、今を最大限に楽しめるようになる。
・自分の人生が好き(なんてレベルじゃないですが…)になる。

ただ、これらはあくまでも副産物であって、最大の果実は、自分史で”遊べる”ようになることです。

過去を振り返って思い出を楽しんだり、不安になったら過去を振り返って希望を抱いたり、自分史を正しく理解した上で行うそれは、クオリティーの次元が違います。

つまり、自分史を理解することで得られる最大の果実は、自分史がライフスタイルの一部になることです。

では、なぜに人生そのものは全く変わらない(そもそも、変えられないですが…)にも関わらず、自分史を正しく理解すると、人生(過去)に対する評価が変わってしまうのか。

それは、「自分の人生が好き、楽しい」というのは信念だからです。この信念によって掛かるバイアスは恐ろしいほどに過小評価されています。

「自分の人生が好き、楽しい」という信念が強ければ、どのような人生を歩んでいようと(世間的にどれだけ低評価されるような道を歩んでいようと)、そういう評価をしてしまうわけです。そして、この信念が変わらない限り、未来も同じように評価されます。

逆に、「自分の人生が嫌い、つまらない」という信念が強ければ、世間的・客観的には滅茶苦茶充実しているように見える人生を歩んでいたとしても、そういう評価をしてしまうわけです。
そもそも、同じ時代に生きている以上、人生の内容なんてほとんど変わり映えしないわけで。

だから、大事なのは、「自分の人生が好き・楽しい」という体験をしまくって(意図的にフォーカスするようにして)、「自分の人生が好き・楽しい」という信念を強化していくことにあります。

 

自分史の教科書 第2章~自分史で遊ぶ(自分史の検証)~

自分史で遊ぶというのは、どういうことなのかと言うと、例えば、
・「人生で楽しかった出来事で打線を組んでみよう」
・「人生の名曲(ゲームや漫画でも何でもok)ベスト10を決めよう」
・「人生の重要人物で番付を作ってみよう」

いきなり、自分史を書いたり、年表を作ったりはしないでください。ランキングでも、打線でも、番付でも何でもいいんで、とにかく自分の人生を題材にして遊んでください。

これは書いてもいいですが、書かなくてもいいです。こういうことを考えるだけで相当効果があります。

で、こういうことを考えてる内に楽しくなってくるかと思います。ただ、真面目にはやらないでください。自分の人生で徹底的に遊んでください。そもそも、自分史を理解しなくても、人生には何の問題もないんだから大丈夫です。

それで、遊んでいて「もっと詳しく知りたい!」という純粋な好奇心が出てきたら、過去を調べてください。

例えば、「あの曲って、あの年の何月に出たんだろうか?」と詳しく知りたくなったら、ググれば一発です。

このような遊び全般を「自分史の検証」と呼びます。自分史の知識は自分史の検証で増やしていきます。

そして、自分史の検証は時間軸を動かすことで、様々な切り口から検証して、知識を増やすことが出来ます。

例えば、上の3例で言うと、こんな感じで切り口を動かすことが出来ます。
・「小学生時代に楽しかった出来事で打線を組んでみよう」
・「2010年代の名曲ベスト10を決めよう」
・「中学時代の重要人物で打線を組んでみよう」

ただ、最初の内は、人生全体で俯瞰した検証の方がいいです(時間軸が広い方が代表戦のようなレベルの高い内容になるため)。

 

自分史の教科書 第3章~最初にやること~

自分史を理解するにあたって、一番最初にやるべき検証は、
①「滅茶苦茶楽しかった出来事は?」
②「逆境だった出来事は?」
③「人生の分岐点になった出来事は?」

この3点について、記憶が残ってる幼少期から現在までで、出てくるものを書き出していきます。

紙でもスマホのメモでもいいんで、これは書き出した方がいいです。これは、自分史を理解していく上での一番基本的なアウトラインになっていくんで。

まずは、今までの人生において、滅茶苦茶楽しかった出来事から箇条書きしていきます。方法としては、記憶が残ってる所から現在までを脳内で再生して、滅茶苦茶楽しかった出来事を箇条書きしていきます。

次に、逆境だった出来事について、同様に箇条書きしていきます。ただ、これは自分の人生についてのネガティブな信念が活性化される可能性があるので、やりたくなかったらスルーしてもいいです。

最後に、人生における歴史的決断・歴史的分岐点となった出来事を同じように箇条書きしていきます。

逆境については無理にやらなくてもいいですが、滅茶苦茶楽しかった出来事と歴史的分岐点については必ずやってください。で、無理に思い出す必要はないです。パッと思い出せることだけ書き出していってください。

あと、この検証に限らないですが、人生を振り返るときは、その正直な感想を言葉にして出すといいです。これは非常に重要なことなので、また明日詳しく書きます。

 

自分史の教科書 第4章~自分史の感想~

過去を振り返るとき、その正直な感想を言葉に出すといいとのことですが。

感想というのは例えば、ある年に対して「〇〇〇〇年はやっぱりすげえ!」とか、人生の展開について「あの展開は予想出来んかったわー」とか、ある人物について「~~してくれて本当に嬉しかった」とか、あるコンテンツについて「~~はレジェンドだわ」とか。

ただ、ここで注意して欲しいのは、感想を捏造しないことです。これは絶対にやめてください。

楽しくなかったのに「楽しかった」とか、実は楽しかったのに「楽しくなかった」とか、感想を捏造するのはやめてください。

自分史についていくら理解したとしても、過去の楽しかった出来事は楽しかった出来事のままだし、楽しくなかった出来事は楽しくなかった出来事のままです。そこが変わったら、歴史の捏造になってしまいます。

最初の内は、楽しかった出来事を中心に過去を振り返るのがいいです。人生に対するネガティブな信念を活性化させるだけなんで、触れたくないような嫌な出来事には蓋をしておいてok。自分史を理解していく内に、ポジティブに検証出来るようになっていくんで。

過去を振り返る度に「〇〇〇〇年スゲー」とか「~~おもしろかったなー」とか言い続けていれば、嫌でも自分史に洗脳されていくわけです。

過去を振り返るときに、意図的にこの習慣を取り入れるだけで、相当な効果があります。

 

自分史の教科書 第5章~自分史の感想2~

自分史の感想について、もう一つ。

過去の逆境や嫌な出来事に対する感想についても、ありのままの感想を言葉に出してください。絶対に感想の捏造だけはしないでください。

嫌な出来事に対する感想は、どれだけ自分史を好きになっても変わらないです。でも、エネルギーが変わってきます。

例えば、ある嫌な出来事について、「あれは辛かった……」「もう二度とごめんだ……」という感想が出てきたとします。

自分の人生に対してネガティブな信念が活性化していると、この感想にマイナスのエネルギーが伴っています。つまり、この出来事を検証してると、嫌な気分になってきます。

一方、自分の人生に対してポジティブな信念が活性化していると、「あれは辛かった……」「もう二度とごめんだ……」という同じ感想が出てきたとしても、それは表面上はマイナスの感想であっても、その感想にはマイナスのエネルギーが伴ってないんです。最高に面白い自分の人生の重要な出来事を検証してるだけなんで、プラスのエネルギーを帯びています。表面上はネガティブな感想のようであっても、実はポジティブな感想なんです。だから、嫌な出来事を検証してるにも関わらず、良い気分になってきます。自分史を書いた人の多くが、「自分史を書いて一番良かったのは、過去の嫌だった出来事が長い目で見たら良い出来事だと分かったことだ」と言います。

これは、自分史を書くために何度も何度も過去を振り返ってる内に、人生に対するポジティブな信念が活性化するからです。

だからこそ、まず必要なのは、自分の人生で楽しかった部分にフォーカスして、ありのままのポジティブな感想をたくさん言葉に出して、人生に対するポジティブな信念を活性化していくことなのです。

 

自分史の教科書 第6章~一番良かった年~

楽しかった出来事や歴史的分岐点について書き出したら、人生のアウトラインが頭の中に出来上がってきたことかと思います。

次に、この検証をしてみてください(書き出さなくていいです)。

「今までで一番素晴らしかった年は何年だろうか?」

これも、考えるだけで相当な効果があります(楽しかった出来事で年を比較することによって、各年の楽しかった出来事にフォーカスするようになる)。

なお、年同士を比較して遊ぶこと自体に意味があるので、答えは出さなくて良いです。ただ、ガチでやってください。

で、感想が出てきたら言葉に出しましょう(「~~は楽しかった」とか「(ある年の)この時期はスゲー!」とか)。

 

自分史の教科書 第7章~自分史の理解フロー~

人生全体から「楽しかった出来事」「逆境」「分岐点」について検証して、「一番良かった年」について検証しました。これで、自分史全体がかなり俯瞰的に理解出来てきた(思い出せた)ことかと思います。

次は、各年について検証して、自分史の知識を増やしていきます。

……と、その具体的な方法を説明する前に、今日は自分史の理解フローについて説明しておきます。

自分史は次の3段階のレベルで理解していくことになります。
①自分史全体の俯瞰的な理解
②自分史の時系列的な出来事(点の知識)の理解
③自分史の流れ(線の知識)の理解

①は既に2つの俯瞰的な検証で終わっているので、ここからは②を理解していきます。

これは要するに、”(自分の人生では)何年の何月に何があったのか”ということを正確に理解していくわけです。過去の曖昧な記憶を正確な知識として理解していきます。

自分の人生を時系列的に正確に理解してる人は、本当に少ないです。

例えば、10年前の2006年について、1ヶ月単位で何があったのか説明出来るでしょうか?

まずは時系列と自分史での出来事を出来るだけ一致させていってください。

最終的には、直近10年間で言うと、その120ヶ月、全ての月について、代表的な出来事や特色を即答出来るようになります。

2006年9月と言えば?
2013年5月と言えば?
2015年7月と言えば?

などの質問が飛んできて、すぐに何があったか脳内に浮かび上がるレベルになったら、自分史の免許皆伝レベルです。

時系列と出来事を一致させていくのは、難しいように見えて、そうでもないです。暗記が必要な世界史や日本史と違って既に知ってることなんで、単に時系列とおなじみの出来事やコンテンツを照合させていくだけの楽しい作業になると思います。

 

自分史の教科書 第8章~年の検証~

自分史の時系列と出来事を一致させていくには、年の検証によって年を理解していくことで行います。

記憶が残っている所から今現在まで、一年一年、全ての年を理解していくことによって、人生全体の時系列と出来事が一致していくという算段です。

で、年の検証のやり方ですが、ある年について、脳内で1月から順に再生していきます。1月は何があったか?→2月は何があったか?→……という具合に。

例えば、まず検証したい年を選択して、1月頃にはああいうことがあったなあ、その裏ではあのコンテンツで遊んだなあ、あの曲が流れていたなあなど、その年の各時期について思い出していってください(1月が終わったら、2月以降も同じようにして検証していきます)。このようにして、ある年について、各時期の構成要素を思い出して再構成することによって、出来るだけその時期の雰囲気を味わってください。

記憶が曖昧な初めの内は、各年についてそこまで深く覚えてないと思うので、1ヶ月単位での検証ではなく、3ヶ月単位や季節単位での検証でいいです。

例えば、1~3月頃は何があったか?→4~6月頃は何があったか?→……と。

繰り返しその年を検証することによって、その年についての理解が深まっていきます。

例えば、1回目ではその年に主に何があったのかを知ることが出来たとすると、2回目では既にその年に何があったのかが分かってるので、どの出来事が重要だったのかということが分かってきたり。3回目では、どの出来事が重要だったのかが分かっているので、その年の流れや雰囲気について更によく分かってきたりします。

あと、これは年の検証に限らないんですが、自分史の検証で重要なのは、分からない・思い出せないことはスルーして、思い出せることにだけフォーカスして理解していくという姿勢です。自分史を理解していくと、自分史を書くときには載らないような小さなことも分かってくるようになりますが、まずはすぐに思い出せる重要な出来事や重要なコンテンツにフォーカスしてください。

 

自分史の教科書 第9章~過去を思い出す方法~

今日は、過去を思い出すために使えるテクニックを紹介します。

①資料を見ながら思い出す

もしも当時の日記や手帳などの資料があるんだったら、それを見ながら思い出していっていいです。いや、むしろ、資料が残ってるならそうしてください。記憶が正しいかどうかより、自分史を理解していくことが目的なんで。資料が残ってたら、滅茶苦茶楽になります。何をしたのかが書いてある日記が残ってたら、もうほとんどクリアしたようなものです。

注意点としては、その年の出来事を何から何まで抽出するのではなく、重要な出来事に絞って抽出するようにしてください。
※1ヶ月毎の概要を抽出するようにするといいです。

 

②思い出す対象の時間軸を長くとる

例えば、高校1年の各時期に何があったか思い出せないとしたら、高校1年全体で何があったか思い出してみます(時系列は気にせずに、高校1年のときにあったと思うことを羅列してみます)。高校1年から高校3年までの記憶があやふやだったら、高校時代にあったことを羅列してみます。

何が重要だったとか、詳しい時期はいつだったのかは深く考えず、その時間軸の中であったであろう出来事やコンテンツを思い出していきます。

いきなりその年やその時期の全ての要素について思い出すのが大変だったら、趣味だけとか、仕事だけとかに絞って思い出してもいいです(例えば、高校時代に遊んだゲームや音楽に絞って思い出してみるなど)。

 

③断片的な記憶を起点にして思い出す

例えば、2012年について思い出せなかったとしたら、強く印象に残っている2012年の重要な出来事を思い出してみます(切り口は趣味でも学業でも交友関係でも何でもok)。で、その出来事が起こったとき、他に何をしていたか?交友関係は?仕事や学校は?趣味は?などなど。強く印象に残っている出来事を起点にして、その当時は他に何をやっていたか?その前後はどんなことをやっていたのか?を思い出していきます。

 

自分史の教科書 第10章~記憶の答え合わせ~

(記憶から)過去を思い出したら、その記憶を自分史の知識に変えるために、答え合わせしてみましょう。

この作業を行うことによって、”あの出来事はいつ起こった”という、自分史の出来事と時系列が一致していきます。

日記、当時の資料、証言者、ネットなどを活用して、「それはいつの出来事だったのか?」という答え合わせをしていきます。資料が何も残ってないこともあると思うんで、分からなかったら分からないままでいいです。ただ、出来る限りは調べてみてください。

この作業をしていく内に、人間の記憶がいかにいい加減なもので、バイアスが掛かったままに過去を認識していたかが分かってくるかと思います。

私自身、初めて自分史の研究をしたとき、自分の記憶と資料などから照合される事実との間に余りにも差があるので、「神の手が働いて、私の過去を改竄しているんじゃないか?」と、高次元体の存在を疑ったものです。

 

自分史の教科書 第11章~2015年の検証~

今日は、実際に、年の検証をしてみたいと思います。

で、2015年がつい10日ほど前に終わったばかりなんで、2015年について検証するフローを説明します(まあ、別にどの年だろうと同じことですが)。もし、日記や手帳などが残っていたら、それを見ながら行ってください。

~2015年の検証~
①2015年1月には何があったか?
※パッと頭に浮かんできた代表的な出来事やコンテンツを箇条書きで書き出す。出来事やコンテンツの他に、象徴することなら何でも書き出してみるといいです。
※テンプレートはこんな感じで。
〇1月



②~⑫同様にして、2015年2~12月に何があったか?
※1ヶ月単位ではあやふやな場合は、3ヶ月単位にするなどして、時間軸を長くとる。

⑬①~⑫で出来た2015年の箇条書きメモの内、時期が曖昧なものについては調べて答え合わせをする。
~~

この作業をすることによって、2015年の時系列的な知識(各時期に何があったか?)が頭の中に構築されたかと思います。

ちなみに、この頭の中に構築された時系列を書けば、それだけでその年の自分史年表が完成します(ただ、個人的には自分史年表作りは重要だとは思いません。単に時系列的を書き出すだけなんで蛇足的な作業だと思ってます)。

更に、頭の中にある時系列的な知識を文章化して、重要な出来事やエピソードを追加すれば、これだけで1年分の自分史が書けてしまいます。

で、不思議なことに、世界史や日本史の勉強では、何度か書くなりして出来事や人物名を暗記しないと知識にならなかったにも関わらず、自分史は1度でも記憶を照合しただけで確かな知識になるんですね(これは本当に不思議です)。つまり、一度更新された過去の解釈は、再度更新されるまでそのままです。だから、自分史を理解するにあたっては、暗記的な作業は一切必要ありません。

 

自分史の教科書 第12章~点と線~

年の検証を、記憶が残ってる所(小学校低学年位が多い?)から、最後に終わった年(2016年1月現在では、2015年)まで行えば、自分史の出来事(時系列的な知識)の理解は一通り完了です。

自分史の知識が構築されてくると、自分史の流れも理解出来るようになってきます。

”人生ではいつ何があったか?”という点の知識が増えてくると、”どういう流れだったのか?”という出来事同士の関連性(線の知識)が分かってくるようになってきます。

で、点の知識にせよ線の知識にせよ、自分史を更に理解するには、様々な切り口から何度も過去を検証する以外にないです。

例えば、「重要人物との出会い」という切り口から検証するとしたら、この条件に当てはまる出来事を人生から抽出して、懐かしんだり楽しんでみるわけです。

このようにして、様々な切り口から過去を検証することによって、自分史の理解はスパイラル的に深まっていきます。

自分史を理解していく上で大事なのは、とにかく楽しんで行うことです。人生を検証する行為が楽しくないんだったら、どうかやらないでください。自分史を理解しないと人生を好きになれないとか絶対にないんで。

 

自分史の教科書 第13章~時期の検証~

自分の人生ではもう奇跡なんて起こらない、無力であると思い込んでしまうのは本当に辛いものです。

特に日本人は真面目なんで、どうしても現在の延長線上で未来を考えてしまう傾向があると思います。

自己啓発本を読んだり、偉い人の名言で無理に自分を納得させるとかじゃなくて、他の誰でもない自分の人生を通して、「人生は奇跡の物語である(だから、これからも奇跡の物語は継続していく)」と、一人でも多くの人に気付いてもらえる契機になってくれたらいいなあと思って、このコンテンツを作りました。それが出来れば、私を今までに何度も助けてくれた自分史に対する恩返しになるかなと。

それで、「時期の検証」という検証があるんですが、この検証が出来るようになれば、もう自分史から得られる実利的なことは何もないです(趣味として楽しむ以外では)。

今日は、そのやり方を説明します。

時期の検証では、ある月や季節を軸にして、何年分かその1年前後の変化にフォーカスします。例えば、今は1月なんで、1月を軸にして10年分検証すると、
「2005年1月には何があったか?」
→「2006年1月には何があったか?」
→………
→「2014年1月には何があったか?」
→「2015年1月には何があったか?」

と、1月について1年毎の変化にフォーカスして楽しんでみます。
※感想を言葉に出します。「あれは凄かった(楽しかった)なあ」とか「(1年後こうなってるなんて)予測出来るはずねえわー」とか「この時期独特の雰囲気めっちゃ好き」とか。
※何があったか?は、「~~(イベント)があって、~~(コンテンツ)をよく見ていて、学校(仕事)では~~があった」のように、大体の概要で結構です。イベントやコンテンツを2~3列挙するだけで、その時期の雰囲気まで甦ってくると思うんで。

これ、やってみると分かるかと思うんですが、人生が1年でどれだけ変化していってるものか、人生の凄さ・偉大さに驚愕します。逆に言えば、「今から1年後どうなってるのかを予測出来るか?」ってことなわけで。

この検証ともう一つセットでやると効果的な方法があるんですが、長くなってきたのでまた明日。

 

自分史の教科書 第14章~直近3ヶ月の検証~

「1年前後の変化」にフォーカスして「奇跡の物語」を実感したら、現在進行形で「奇跡の物語」を確認するために、直近3ヶ月の楽しかった出来事やコンテンツにフォーカスしてみてください。

2016年1月現在で言うと、2015年10月から今日までの直近3ヶ月の間にあった楽しかった出来事やコンテンツを羅列します。
※嫌なことは完全無視で、徹底して楽しかった思い出やコンテンツにフォーカスしてください。

羅列したら、「3ヶ月前の時点では、この楽しかったことが想像出来ただろうか?」と自問してみます。

出来なかったですよね?逆に言えば、「今から3ヶ月後を予測出来るかどうか」ってことなわけで。

と言うことは、次の3ヶ月も同じってことです。3ヶ月後には、今からは想像出来ない楽しい思い出が出来ているし、3ヶ月後に当たり前に楽しんでるコンテンツの存在は今からは想像出来ない。つまり、人生では、(生きてさえいれば)嫌でも楽しいことが起こってしまうのだと。

「1年前後の変化」にフォーカスして「人生では嫌でも奇跡が起こる」と中長期的視点で人生に希望を持ち、「直近3ヶ月に起こった楽しい出来事」にフォーカスして「これからの3ヶ月にも、今からは想像すら出来ない楽しいことが待ってるんだろうなあ」と未来にワクワクする。

これが出来るようになれば、自分史は一生死ぬまで助けてくれることでしょう。

不安や恐怖を感じたら、その感情を認めて十分に味わってから、過去を振り返ってみてください。必ず、「大丈夫だぜ!」ってサインをくれるんで。過去も未来もまだまだ始まったばかりです。過去はいくらでも何度でも助けてくれます。これからも何度でも過去を振り返ってください。

 

自分史の教科書 第15章~人生のバイオリズム~

年の検証で各年を理解していくというのは、あくまで自分史を理解していく一つの方法でしかありません。

とにかく、どんな切り口でもいいんで、過去を様々な角度から思い出して楽しんでみてください。

それで、自分史を何度も何度も検証していくと、人生のバイオリズムが明らかな傾向として見えてきます。

例えば、私の場合は、4月からその年のテーマが顕在化していって12月まで続く。翌年の1~3月は前年の清算的な流れになるが、4月から一気にその年のテーマに変わっていく(だから、3月には大きな出来事が起こりやすい)という明らかな傾向があります。

去年もまさにこの通りになったんですが、後から振り返ってみると「ああ、今年もこうなったな」と気付けるんだけど、現在進行形では絶対に気付けないし、分からないです。

つまり、どれだけ自分史を研究しても、人生のバイオリズムは分かるんだけど、未来のことは何一つとして予測出来ない。まあ、だから面白いんですがね。

あと、私の場合、偶数年は逆境からの行動フェーズとなることが非常に多くなっておりまして、今年は偶数年なんで、ワクワクしながらも戦々恐々としております。

現在進行形では逆境と感じるけども、後から見れば未来に繋がった奇跡以外の何物にもならないんですがね……。それを分かっていても……。

人生で何が起ころうと、それは最高の未来に繋がる最高の出来事なのだと分かってはいても、過去の事例から100%そうなのだと分かってはいても、いざ逆境が立ち塞がると不安や恐怖は出てくるわけです。

でも必ず、その逆境は後から振り返ってみれば、「もしもあの逆境がなければゾッとする……」となる未来に繋がっているのです。

 

自分史の教科書 第16章~年のテーマ~

人生のバイオリズムの他に、年を理解していくと、全ての年毎にテーマがあることにも気付けるようになってきます。

そのテーマが何かは千差万別ですが、どんな年にも唯一無二のテーマがあって、全ての年が素晴らしい。そして、「世界に一つだけの花」のような価値観で、全ての年を愛せるようになると言いますか。少なくとも、バイアスの掛かった年同士の比較はしなくなります。

年という概念上でしか存在しないものに対して、生命力のようなものを感じるようになるというか。一つ一つの年が、まるで人間のように感じるようになるというか。

上手く表現出来ないですが、全ての年に紛れもない愛と感謝を感じるようになります。

で、このことに気付くと、自分史の書き方に革命的な変化が起こります。

例えば、親友を紹介するときって、その人の個性を知ってるから、テンプレート文に従わないで紹介出来ると思うんです。

それと同じような感じで、その年の自分史を書けるようになります。

その年のテーマや雰囲気から、どういう風に何について書けば、その年を最大限に表現出来るかが分かるので、書き方に統一性がなくなって、それぞれの年毎に特化した書き方になります。

更に言うと、「今年を良い年にしたい」という願望がなくなります。それって、比較するから出てくる願望なんで。単に「どういう特色を持った年になるのか?」を観察するだけ。この点で言えば、良い年になるのは1月1日の時点で100%決まってるので、あとは「その年がどういう良い年になるか(どういう個性を持った年になるか)」を観察するだけになります。

言わば、「今年が良い年になる(=何らかの特色・個性を持つ)」ことは過去の事例から100%そうだと確信しているため、「今年を良い年にしたい」という執着・願望が完全に消えてしまうのです。

 

自分史の教科書 第17章~章分け~

これは、自分史を書くときには、まず最初にやることなんですが、自分の人生を一つの物語と見立てて章で区切るといいです。言わば、自分史の章分け、自分史の時代区分をします。

一番基本的な分け方は、学生時代だと、小学生時代、中学時代、高校時代、大学時代、大学院時代……に分けることです。で、小学生時代が第1章、中学時代が第2章……と章番号を割り当てます。
※浪人するなどの期間があった場合について。例えば、第3章(高校時代)と第4章(大学時代)の間に1年間そのような期間があったとしたら、第3.5章という番外編のような時代区分を定義してもいいです。
※第1章から現在までの全ての期間がどこかの章に属しているように章分けしてください。ただし、重複はなしで。もれなくあまりなくを意識して。

社会人以降の時代区分は分かりにくいかもしれないですが、一番しっくり来ることで分けてください。
※会社、職業、部署、役職、場所など。なお、時代区分の要素は一貫してなくてok。例えば、2010~2012が第5章(会社)時代として、2013~2015は第6章(場所)時代とするなど。

章分けしておくと、自分史の全体像を把握しやすくなるんで、章分けは必ずやっておいた方がいいです。

 

自分史の教科書 第18章~ラベル付け~

章分けに加えて、もう一つ重要なことがあります。

それは、自分史上の重要な出来事や歴史的決断・政策については、固有の名前を付けておくことです。

どうして重要な出来事に固有の名前を付けるのかと言うと、ラベル化してその出来事を参照しやすくするためです。

これ、滅茶苦茶大事です。

ある重要な出来事を振り返るとき、一々その内容で振り返っていたら面倒なんで、ラベルを付けて参照しやすくするわけです。これは、実際の歴史で説明すると、例えばもしも、”明治維新”という名前が付いてなかったら、滅茶苦茶不便じゃないでしょうか?

他にも、“第二次世界大戦”という名前が付いてなかったら?“東日本大震災”という名前が付いてなかったら?

これらの出来事に名前が付いているのは、語句として一言で参照するためです。

もしも、名前が付いてなかったら、Wikipediaの概要文を貼り付けなければなりません。

それで、名前の付け方は自由です。歴史の教科書からいくらでもパクって結構です。ユーモアをもって、自分の歴史に相応しい愛すべき名前を”真面目”に付けてください。

名前を付けることによって、その出来事を更に好きになるというメリットもあります。

ただ、名前を付けるにあたって、注意点があります。

やや長くなったので、それについてはまた明日。

 

自分史の教科書 第19章~ラベル付けの注意点~

自分史上の重要な出来事には固有の名前を付けておくことが重要なんですが、注意点があります。

名前を付けるのは、必要最小限に留めてください。

重要でもない出来事や、名前を付けなくても参照できることにまで名前を付けるのはやめてください。

名前を付ける目的は、重要な出来事を一言で参照出来るようにして、検証をスマートに行うためです。

「自分の裁量で自由に名前を付けれるなんて、自分史ってスゲー!!」と、名前を乱発して付けてしまうと、名前(語句)が把握できなくなり、スマートじゃなくなります。

自分史の年表に載るほど重要な出来事で、その出来事に名前がなくて参照しづらい場合にだけ、固有の名前を付けてください。

○ラベル付けの例
-逆境的な出来事:「○○ショック」や「○○事変」など
-重要な政策や決断:「○○宣言」や「○○政策」など
-人生が転換した出来事:「○○革命」など
-その当時のマイブーム:「○○ブーム」や「第n次○○ブーム」、「○○バブル」など
※これらはあくまで基本的な例に過ぎません。自分の人生を反映するようなユーモアに富んだ名前を自由に付けていいです(ただし、自分史の世界観を壊すようなキラキラネームは付けない方がいいです)。
※名前を付ける出来事は1年に2~3程度が目安。その年やその章を代表する重要事項にしか付けないこと(参照を意識して)。
※参照を意識するとは、自分史の感想を言うとして、「○○ブームは凄かったなあ」とか「○○宣言があったから今があるんだなあ」的なこと。

 

自分史の教科書 第20章~信念の性質~

今日は、信念の性質について書いていきます。なお、自分史とは直接は関係ない話です。
※参考文献:「ゾーン」(マーク・ダグラス)

これは、自分史を何度も何度も検証している内に「人生は面白すぎる!」となってしまう、メンタルの理論的裏付けになるかと思います。

説明するのは、信念に関する次の3つの性質になります。
・対立する信念は強い方が活性化する。
・信念は一方的に強くなる。
・信念の衝突は不毛な戦いにしかならない。
※例では、単純化のために、「〇〇は楽しい」「〇〇はつまらない」という相反する二つの信念で説明しますが、実際はこんな極端に単純ではないです。

まず、信念は強い方が活性化して、その信念を更に強化するバイアスが掛かる。
→「〇〇は楽しい」という信念の方が強いと、この信念を強化するための超強力なバイアスが無意識的に掛かって、過去にも現在にも、この信念を強化する情報に脳がフォーカスします。逆もまた然りです。

しかし、対立する信念の強さが逆転すると、それまで活性化してなかった信念が活性化して、 活性化していた信念が活性化しなくなる(消えるのではなく、活性化しなくなる、エネルギーが抜ける)。
→「〇〇はつまらない」という信念が活性化していたとしても、「〇〇は楽しい」という体験をたくさんすることによって、「〇〇は楽しい」という信念の方が強くなると、「〇〇は楽しい」という信念が活性化して、「〇〇はつまらない」という信念は機能しなくなります。
※ただし、上述した通り、「〇〇はつまらない」という信念が活性化しているときは、この信念をより強化するためのバイアスが無意識的に掛かるため、意図して楽しいことにフォーカスする必要があります

信念が衝突すると、不毛な戦いにしかならない。
→「〇〇はつまらない」と思ってる人に、「〇〇は楽しい」と思ってる人がどれだけの親切心でアドバイスしたとしても(アドバイスを求められた場合を除く)、その当人にとっては、人格否定されたようにしか感じられません。逆もまた然りで、信念の衝突は不毛な争いにしかなりません。変えたいという本人の意志がない限り、「〇〇はつまらない」という信念を持ってる人を他人が変えることはまず不可能と言っていいです。
→「人生はつまらない」という信念が活性化しているときは、自分の人生に楽しい要素があることを認められません(信念の否定に繋がるため)。だから、違和感を感じたり、楽しんでる自分に罪悪感という感情を与えて排除しようとします。つまり、「人生は楽しい」という信念を強くするには、まずは楽しんでる自分が存在していることを意図的に認めることから始まります。

 

自分史の教科書 第21章~逆境の検証~

楽しかった出来事にフォーカスして、「人生は楽しい」という信念が活性化されてきたら、次は歴史的逆境や嫌だった出来事を理解していきます。

歴史的逆境や嫌な出来事の理解というのは、自分史の核心部分です。この部分に対する見解が変わることこそが、自分史最大の効果とも言えます。

それで、検証の仕方としては、次の2点に絞って検証します。
1.それはどのような逆境で(逆境の内容・概要)、どのような経緯でその逆境に至ったのか?
2.その逆境が後世に与えた影響は?

まず、その逆境の内容について検証します。出来れば、経緯も振り返っておくといいです。

そして次に、その逆境が後世に与えた影響について検証します。ここ、超大事です。この部分こそが、逆境の検証の本質部分です。

具体的には、その逆境によって、自分は何を得たのか?どのような行動を起こすことになったか?そこからどのような出会いがもたらされたか?その逆境のお蔭で強くなった絆はなかったか?などについて検証します。もしくは、もしもその逆境がなかったら、何を得られなかったか?何をしなかったか?どのような出会いに繋がらなかったか?などを検証します。

このようにして、何度も何度も検証していると、”歴史的逆境は栄光に繋がっている”という事実を何度も確認することになるため、「人生では悪い出来事は何一つ起こらない」ということに気付けるようになってきます。

このようにして、逆境や嫌な出来事に対する見解がポジティブになってくると、「人生は奇跡の物語である(これからも奇跡は起こり続ける)」という信念が活性化してきます。

 

自分史の教科書 第22章~逆境の果実~

別れでも、悲しい出来事でも、何かを失った出来事でも、大きな失敗でも、逆境の種類は様々かと思います。

これは逆境に限らないんですが、過去を何度も何度も振り返っていると、その出来事からネガティブなエネルギーが抜けていきます。そして、いつしか懐かしい思い出でしかなくなる。その逆境は、人生に多大な果実をもたらした重要イベントとして歴史に残り続けることになります。

ただ、現在進行形で起こる逆境については、その逆境がどのような栄光に繋がっているのかは、ある程度の時間が経過しないと分かりません。

逆境の検証で分かるのは、「どんな逆境も何らかの栄光に繋がるために起こっている」ということまでです。

そのため、いくら人生に対してポジティブな信念が形成されていたとしても、逆境で一時的に不安になったりするのは変わりません(そのような逆境の症状が出なかったら、逆境に含まれている果実を享受出来ません)。

ただ、こう思うことは出来ると思います。

「この逆境、未来ではどういう栄光に繋がっているんだろうか?」と。

逆境にもよりますが、半年後にはその逆境がもたらしたこと(何らかの行動をするようになったなど)が明らかになり、1年後には「もしも、あの逆境がなかったらと思うとゾッとする」と言える未来になってます。

 

自分史の教科書 第23章~検証まとめ~

ここらで一旦、検証についてまとめておきます。

年の検証などで「楽しかった出来事」にフォーカスして、自分史の知識を増やしていく。
※意図して楽しいことを思い出すことによって、「人生は楽しい」という信念が活性化されていきます。

時期の検証で「1年前後の変化」にフォーカスして「人生では嫌でも奇跡が起こる」と中長期的視点で人生に希望を持ち、直近3ヶ月の検証で「これからの3ヶ月にも、今からは想像すら出来ない楽しいことが待ってるんだろうなあ」と未来にワクワクする。

逆境の検証で「逆境が後世に与えた影響」にフォーカスして、逆境に隠されていた意味を理解する。
※「人生では最高にツイてることしか起こらない」という信念が活性化されてきます。嫌な出来事からネガティブなエネルギーが抜けていきます。

 

自分史の教科書 第24章~自分史と学校教育~

私が自分史の世界に足を踏み入れたのは、高校3年のときに「これ、自分の人生で歴史の教科書を作ってみれば、滅茶苦茶面白いんじゃまいか?」と思ったことがきっかけです。

私は歴史の教科書が滅茶苦茶好きで、もしも中学時代に歴史の面白さを体験しなかったら、間違いなく、自分史という世界に足を踏み入れることはなかったことでしょう。

だから私は、歴史の面白さに気付かせてくれた学校に感謝しています。

でも、もしも、自分史が学校のカリキュラムになっていたら?

これを考えるとゾッとします。ゾッとするなんてもんじゃないです。

まず自分史は、自分以外の誰にも評価することは出来ません。赤の他人が評価・採点することなど、言語道断です。

自分史の書き方でも、何度も何度も書いたんですが、

一番良い自分史の書き方とは、その文章を読んだだけで、そのときの雰囲気や情景が脳内で再生されること

これ、採点や添削が出来る人、自分以外にいます?

更に、他人に見せることを前提に書いた自分史は、間違いなくクオリティーが下がります。

私も趣味でコンテンツ制作をやってるので分かりますが、他人の目が入ると、必然的にクオリティーは上がります。最終的に良いかどうかを判断するのは自分ですが、他人の目があるというだけで、クオリティーが引き締まるのです。

でも、自分史は違います。

ドン底の時期の赤裸々な体験などは、自分しか見ないという前提だからこそ、滅茶苦茶レベルの高い検証が出来るんです。

まあ、家族や親友やパートナーに話すんだったらまだ分かります(正直、他人の自分史を渡されても迷惑なだけですが)。

なぜに、赤の他人である教師にわざわざ見せなければいけないのか?

長くなってきたので、また明日。

 

自分史の教科書 第25章~自分史と学校教育2~

自分史が学校教育のカリキュラムになったら、生徒達は点数を得るために、捏造した自分史を書いてくることでしょう。皆、似たり寄ったりの模範的な自分史を。

そして、いじめの材料やスクールカーストの肯定にも使われてしまうことでしょう。

友達の名前が一人書いてあればプラス何点とか、オタク趣味が書いてあればマイナス何点とか、そういう歪んだ方向に向かうのは想像に難くありません。

つまり、もしも自分史が学校教育のカリキュラムに組み込まれたら、自己肯定感や自己満足度を育むための最高のツールである自分史が、その場の承認要求を得るために最悪の使われ方をしてしまう。

だから、もしも文部科学省が、世界最低水準である日本の自己肯定感・自己満足度を改善するために、自分史を学習指導要領に盛り込んだとしたら(まずあり得ないとは思いますが)、最悪の結果がもたらされるだろうなと。

現行の学校教育では、「誰かに見せるための自分史」を教えることは出来たとしても、「自分の人生が好きになるための自分史」を教えることは出来ないのです。

何も知らない者が、表面上だけ見た他者の人生(自分史)を評価したり、優劣を付けるというのは、これ以上ない失礼な行為です。

その人の人生の評価を決めるのはその当人以外には出来ないし、やってもいけないのです。

 

自分史の教科書 第26章~人生の格差~

日本人は同質性の高いキャリア・人生を歩む傾向にあります。つまり、客観的な人生の内容では、ほとんど差がないわけです。にも関わらず、自分史となると、完全に百人百色のものが出来上がってきます。

だから、人生が楽しいかどうかは、内容って全く関係ないんだなと、ここまで無関係なんだなと確信せざるを得ません。

仕事でとんでもない成果を出したとか、友達何千人作ったとか、趣味を極めたとか、全く関係ないです。

これは綺麗事でも何でもなく、嘘だと思うんなら、いくつか他の人が書いた自分史を読んでみてください。
※立花隆さんの自分史倶楽部などで読むことが出来ます。

人生の本質は主観的事実以外にないということが分かるかと思います。

主観的事実というのは、自分の人生では何があったか、それをどう感じたかということです。つまり、「どういう人生を歩んだか」ではなくて、「自分が歩んだ人生をどう感じたか」ということです。

主観的事実は他者のそれとは比較しようがないため、人生は完全に一人一人の中で完結しています。だから、人生の格差などというものは存在しないですし、存在するとしたら、自分の中だけです。比べようがないです。

つまり、他者の人生と自分の人生を比較する検証というのは全く意味がないです。

全ての人生が最高に素晴らしい。全ての人生に価値がある。

もしも、「人生の内容」に劣等感/コンプレックスがあるとしたら、それは単なる思い込み(信念のバイアス)に過ぎません。

あなたの人生は素晴らしい。誰の人生にも劣ってなどいない唯一無二の奇跡の物語。

どうか、気付いてください。

※この記事、綺麗事を書いてるように思われるかもしれないんですが、全く違います。非常に反社会的なことを主張しています。もしも、このような信念を全ての日本人が持ってしまったら、抑圧委譲の原理で成り立っている日本社会は崩壊してしまいます。

 

自分史の教科書 第27章~奇跡の過大評価~

直近3ヶ月の検証 について、直近3ヶ月にあった楽しい出来事が中々思い当たらないということがあるかと思います。

まあ、「ない」なら「ない」でいいんですが、楽しい出来事というのを過大評価してないですかね?

あと、楽しい出来事に限らず、奇跡を過大評価してるというか。

例えば、大昔に比べたら、スマホを持ってる時点で奇跡なわけで、Facebookをやってる時点で奇跡なわけで。

スマホもSNSも当たり前に誰もが使ってるから気付きにくいですが、10~20年前からしたら奇跡以外の何物でもないです。

信念によるバイアス が掛かってしまうため、楽しいことも奇跡も、それがあることを認めることから始まります。

楽しい出来事や奇跡が起きてないんじゃなくて、「人生は楽しくない、奇跡なんて起こらない」という信念が活性化してるだけなんです。

この心理的な仕組み・バイアスに気付いてください。

人間なんて高尚な生き物では決してなく、信念に支配された動物でしかないです。

楽しいことに意図的にフォーカスして、「人生は楽しい、奇跡の物語だ」という信念が活性化してくれば、嫌でも楽しいことや奇跡にフォーカス出来るようになってきます。
※不思議なことに、人生にポジティブな信念が活性化してくると、過去まで変わります(それまではバイアスが掛かって思い出せなかった・認められなかった楽しいことが思い出せる・認められるようになってくる)。

とにかく、意図して、自分にとって楽しいことを探してみてください。

 

自分史の教科書 第28章~時期の検証2~

時期の検証 について、補足しておきます。

例えば、2月について振り返るとしたら、「2010年2月は何があった?」→「2011年2月は何があった?」と、まずはその時期の概要を思い出してみます。

次に、その1年間の変化にフォーカスして、「この変化は予測出来ねえ!1年ってスゲー!人生ってスゲー!」と。

ただ、このとき、それほど変化を実感出来ない場合があるかと思います。

その場合は、フォーカスする視点をやや動かして、「その1年間に出来た思い出」にフォーカスして、1年間の変化を実感してみてください。

上の例だったら、”2010年2月から2011年2月までに出来た思い出”にフォーカスします。

2016年も始まってから1ヶ月が経過しましたが、今の時点からは想像出来ない2016年の思い出や、2016年を代表するコンテンツ、新たな人との出会い、2016年を通して成長した自分が、来年の今ごろには必ず存在しているわけです。

つまり、2017年2月には、「1年前には、あの出来事も、あのコンテンツも、あの人との出会いもまだないんだなあ。1年ってすげえわー」って、必ず実感してるわけですね。

 

自分史の教科書 第29章~自分で決める~

2015年の自分史を日記を見ながら記憶を補う形で書いてみたんですが、やっぱり記憶って曖昧だなあと思いました。日記で照合しながら書いていかないと、1年以内のことなのにここまで事実と記憶とで乖離が生じているという……。

それで、今日は自己肯定感について思うことがあったんで、そのことを書いてみます。自分史的にもかなり重要なことなんで。

よく、人生相談などで、「この人生で間違ってないよね?」「この価値観、悪くないよね?」的な質問をする人がいると思うのです。

これ、もしも、「間違ってるよ」って言われたらどうするんでしょうか?これって、単に同意してもらいたいだけだと思うのです。

誰かが認めてくれたから、偉い人が認めてくれたから、「この人生で間違ってないんだ!」「自分は自分でいいんだ!」って納得するんだとしたら、それ本物の納得じゃないです。それでは、自己肯定感は強くなりません。むしろ、弱くなります。

自分で決めましょうや!!
※これ自分史を書くにしても検証するにしても、滅茶苦茶大事です。

誰がどう言ってようと、仮に70億人が「間違ってるよ」って言ってたとしても、自分で肯定しちゃっていいんじゃないでしょうか?(ここ疑問形にしておきます)

「これでいいんだ!」っては、誰の意見も借りることなく、まずは自分自身で肯定するしかないです。自分自身で肯定してから他者の意見でも納得するのと、他者の意見で納得してから自分自身で肯定するのとでは、全く別物です。

で、自分史の書き方についても、当サイトの検索ワードを見てみると、「自分史 テンプレート」ってワードが少なくないです。

現存するだけでも70億通り以上存在するものにテンプレートなんてあるわけがないのです。だから、自分で決めて、自分で定義して、自分の思うように書いてくださいとしか言いようがないのです。

過去を思い出す方法とか、検証する方法とか、書き方のテクニックまでしか提示出来ないんです。それ以上に踏み込んでアドバイスしてしまうと、自己肯定感を高めるための最高のツールである自分史がその効力を発揮しなくなってしまいます。何が重要な出来事だったか?誰が重要人物だったか?何が楽しかったか?とか、他人に分かるはずがないのです。

だから、自分で決めましょうや!!