いつか

逆襲を目指すマイノリティーが真っ先に身に付けるべきなのは、いつ死んだとしても「最高に幸せな人生だった」とナチュラルに言える思考だと思う(参考:思考が変わるまで)。

いつ死んだとしても後悔ないように生きるようにするわけだが、結果として、これが一番長生き出来る生き方になる。

人間、そこまで強くない。努力しても結果が出ないというのは、精神的に辛い。必死に努力して結果が出なかったとしても惨めに生き続けろというのは、余りにも辛い。ヒエラルキーの底辺で、何もないまま生かされるのは辛すぎる。だから、結果が出るまで努力するための保険として、死を使わせてもらうのだ。

私はこの思考を身に付けてから今日まで、笑顔が途切れた日が一日足りともない。どんな逆境が訪れても笑えるようになった。と言うか、笑うしかないのだ。

とにかく、やりたいことをやることだと思う。

”いつか”なんて絶対にやって来ない。そうやって、いつかやりたいことと先送りし続けていって、一生やらないまま終わってしまう。今すぐにやりたいことをやるべきだ。

たった今死んだとして、「あれをやっておけば良かった……」と心残りになるようなことはないかどうか。ちなみに、私的には、今年は攻略サイトを作らなければ後悔していた。

何をやっているかに比べれば、何を手に入れたかという点は、それほど重要じゃないんでないかと思う。この世界で自分にしか出来ない何をするか?

 

現実直視

ドル換算GDP、中国の半分に

こういう現実があっても、アベノミクスで給料は上がっているだとか言って、一向に日本の現実を見ようとしない。1945年頃もこんな感じだったんじゃないかなと思う。

自分は凄くないけど、日本は凄いんだ!と現実逃避する。本当に勿体無いとしか言いようがない。これでは一生、改善の余地が生まれない。

まあ、世界史的に見れば、日本はここ100年間のある時期だけの一発屋であって、それ以外の時代は常に中国がGDP世界1位だったわけで。ただ平均回帰するだけのことだ。歴史的に考えれば、何もおかしいことじゃない。

そもそも、経済に限ってみれば、転売屋が諸悪の根源のように叩かれる国と、転売が当たり前の国と、この時点で勝負がついてる。確かに中国人の転売屋は迷惑であるが、そのハングリー精神は見習うべきだと思うんだが……。

「そこまでしてカネ稼ぎたくない」と言われるかもしれないが、これから多くの日本人の賃金はそれ以下にまで下がっていく。そして、転売で稼いだカネで中国人がごっそりと日本で買い物していく。日本が資本主義の恩恵を享受している以上は仕方ない。

こういうの昔は、日本やばいなあ、嫌だなあ……と思っていたんだが、マイノリティーを体験して、国家からアイデンティティーが抜けたからか、ほとんど何とも思わなくなった。

まあ、一人負けを認めるのは死ぬほど辛い。その現実を受け入れようとすると、吐き気がしてくる。だが、それを受け入れてしまえば、実はそこまで痛くはないことに気付く。

もう一つ、現実逃避として、日本は経済なんてどうでもよくて、幸福や豊かさを追求する云々……。

残念ながら、幸福度に関しては、日本は欧米どころか韓国以下である。ソース:日本人の「幸福度」は先進国で最下位

なぜか、日本人は精神的豊かさを持っているというような印象操作がされるが、戦争に負けたコンプレックスから経済だけを追求してきて、精神的な豊かさ(哲学やライフスタイルなど)は捨ててきたのが戦後の日本なのだ。

そもそも、もしも日本人が経済より幸福を追求するのだとしたら、ブラック企業やサービス残業なんて存在してないだろうし、もっと大々的に哲学やライフスタイルに関する話が表に出てきてもいいはずだ。

そういう話が表立って出来るようになるんだとしたら、私としては大歓迎だ。ようやく、哲学の話がマイノリティーじゃなくなる。公的にはアウトプット出来る機会がないから、こそこそとブログに書くしかないわけで……。

自分が好きだとか言うとナルシスト扱いされるし、自分との対話とか自分史の検証とか、こういうのはただの内省に過ぎないんだが……。一体、精神的豊かさって何だと思ってるんだろうか?ナチュラルには幸せになれない私のような凡人にとって、精神的豊かさを追求するには、相応の努力が必要になる。

残念ながら、現状では、精神的豊かさを追求するための努力をしていると公言したら、ネガティブイメージに染まったレッテルが貼られるのは目に見えてる。

成功本(自己啓発本)も一部では敬遠されているようだが、成功本を読んでみるというのは努力以外の何物でもないだろうがと。必死に幸せになろうと思っているから、藁にもすがる思いで成功本を手に取るわけで。本当に尊い行為である。

少なくとも、「道は開ける」や「思考は現実化する」は、私の人生をより良いものにしてくれた。人によって合う合わないがあるから、成功本は合わないかもしれない。だが、人生をより良いものにしたいという思考で行動し続けていけば、合うものと出会えるはずだ。

いずれにせよ、日本が経済的に貧しくなっている現実か、日本が精神的豊かさを放棄している現実、このどちらかを認めない限り、道は開けていかないと思う。ちゃんと現実を直視していけば、日本には可能性がある。

まず、中国をはじめとするアジアが発展するということは、近くに巨大な市場が出来るということなわけで、日本にとっても大きなチャンスになる。悪いことばかりではない。現実を直視して、考えることをやめなければ、事態はいくらでも改善されていく。

精神面にしても、無宗教の日本では、精神的な努力というものが全く認知されてないため、とてつもない伸び代があると思われる。

あと、現実を直視すべきとは言っても、自虐史観を受け入れる必要はない。あれは百害あって一利なし。日本の戦後補償は全て終わっているんだから、堂々としていればいい。卑屈になる必要なんてない。と言うか、卑屈になる必要がある人間なんて存在しない。

 

藁にもすがる思い

感謝の習慣とか、天国言葉を毎日50回連呼するとか、傍から見れば馬鹿らしいことかもしれない。

少なくとも私の場合は、逆境がなければ感謝を習慣にすることはなかった。つまり、逆境がなければ、感謝の効果に気付くこともなかっただろう。

考え得る努力は全てしてきたにも関わらず、トレードで思うような結果が出ないままだった。トレード本の名著もほぼ全て読んだし、売買日記も書き続けてきたし、統計も検証も1000時間前後はやった。にも関わらず、思うような結果が出なかった。もう、感謝する以外に出来ることが残されてなかった。だから、藁にもすがる思いで感謝するしかなかった。そうしたら、そこから道が開けてきた。

いや、そりゃあ、誰だって感謝はしてる。感謝してない人間などいないだろう。だが、本腰を入れて感謝しないといけないと思った。

羽生でも錦織でもいいんだが、トップスポーツ選手のインタビューを集中して聞いてみて欲しい。そのインタビューの節々から溢れ出てくる「嬉しい」「楽しい」「感謝している」というニュアンスの数々に気付くと思うのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=D6gGnDyi0lM

この斎藤一人さんの「地球が天国になる話」で、40分位から始まる悪徳裁判官に関する部分は100回以上聴いた。

 

革命の法則

これは確か、「影響力の武器」に書いてあったと思ったんだが、革命というのは、昔から虐げられていた人達が起こすのではなくて、一度は良い生活を味わったけどそれが手に入らなくなった人達が最も起こしやすいという研究結果が出ているらしい。

まあ、これは普通に考えれば当たり前のことだ。

強烈に記憶に残るような滅茶苦茶楽しい体験をしたことがないのに、その楽しい体験を羨ましがることなど出来るはずがない。体験したこともないのに、跳び上がることは出来ない。

だから、まず必要なのは、滅茶苦茶楽しい体験だ。これがなければ始まらない。もしかしたら、それは過去に眠っているかもしれない。

過去になかったら、今から新しく何かしてみるしかないだろう。その中で、滅茶苦茶楽しい体験が出来るときがある(参考:レジェンド級のコンテンツ4)。

 

感謝の効果

私は、漠然と感謝の習慣を続けていたんだが、一旦やめてみたら、その効果が良く分かった。精神力が明らかに違うのだ。感謝の習慣を抜くだけで、ここまで違うのかと。だから、やめてから1日で感謝の習慣を再開した。もう感謝なくして生きられねえよ!と、感謝することに感謝した。これは実体験しないと分からないと思う。感謝の習慣を継続しているときは気付けない。失ってから初めて気付ける。

感謝すると、とても不思議なんだが、現実は何も変わってないにも関わらず、現実に対する見方が変わる。言わば、コップに水が50%入っている状態について、「半分しか入っていない」から「半分も入っている」に変化する。前者は悪い気分で、後者は良い気分だ。

「半分しか入っていない」と、理想と現実のギャップについて恐怖や不安・焦りを感じているときは、「おいおい、休日にこんなことしてる場合かよ……」と、自分の好きなことすらも十分に楽しめなくなってしまう。だが、「半分も入っていると」と、満足・感謝を感じていると、「この数ヶ月で大分良くなった。自分には出来る」となり、自分の好きなコンテンツも本来の役割を果たせる。

これ、どちらもコップに水が50%しか入っていないという現実は変わっていない。にも関わらず、世界が変わってしまう。

結局、現状の自分に出来ることは限られている。今出来ること・やれることをやるしかない。「半分しか入っていない」という恐怖・不安・焦りの感情だったとしても、「半分も入っている」という満足・感謝の感情だったとしても、やることは同じだ。だったら、現状に感謝して満足した方が得なんじゃないかと。それに、必要な逆境だってちゃんと訪れる。

感謝すると現状に対する満足感が生まれる。だが、現状に満足したからと言って、理想を追い求めるのをやめてしまうとか、それは絶対にない。むしろ逆で、この満足している状況が理想を目指すための大きなエネルギーとなる。

楽しいことをしよう。そして、感謝しよう。

 

感謝の習慣

感謝の力、「ありがとう」の力というのは、とてつもなく強い。不安な気持ちになっても、感謝するだけで不思議と不安が和らいでいってしまう。これは実体験してみないことには中々分からない。

だから、1日5分でいいので、感謝の習慣を付けることをお勧めしたい。

参考までに、私が実践している感謝の習慣について書いておく。

私は、1日の最後に(PC落とす前に)、メモ帳のファイル(感謝用のtxtファイル)上で次のようなことを書いてから寝る。

(日付)※以下あくまで概要のみ。
①人間関係にありがとうございます(その日、お世話になった人一人一人に感謝する)。
ex.~~君、○○してくれてありがとうございました。
②自分自身にありがとうございます。
③仕事にありがとうございます。
④おカネにありがとうございます(カネで得たものに感謝する)。
⑤食べ物にありがとうございます(その日食べたものに感謝する)。
⑥趣味にありがとうございます(その日楽しんだ趣味毎に分けて記述する)。
⑦その他にありがとうございます。

要するに、その日あったことについて網羅して感謝していく。嬉しかったこと・楽しかったことを書いて、ありがとうございます。嫌なことも書いておくと良いが、最後の言葉は「ありがとうございます」で締める(嫌な感情が解放されてなくてもこの言葉で締める)。あと、「ありがとう」「ありがとうございます」は書くと同時に口に出して言う。

ただ、これはあくまで私のやり方だ。人によっては、朝起きたときに感謝した方が良い場合もあるだろうし、メモ帳に書くのではなくて口に出して連呼する方が良い場合もあるだろうし。

私も初めは斎藤一人さんの「天国言葉」(ツイてる・嬉しい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します・愛してます)連呼から始めてみたが、今の方法に行き着いた。

勉強法などの方法論は、自分自身のライフスタイルに合う完全オリジナルな楽しい方法を確立しないと続かない。感謝の習慣も、人間の数だけその方法がある。

 

本気で遊ぶ

努力しても結果が出ない。継続しているのに結果が出ない。そういうときにこそ、本気で遊んでみると、何か見えてくるものがある。全力で遊んだ結果、革命的な改善に繋がる場合がある。

だが、これが中々難しい。変化を伴うことなので、潜在意識が抵抗する。ずっと努力を継続してきたのに、いきなり全力で遊べと言われても、それを実行できる人はまず皆無だろう。

仕事や勉強に費やしていたキャパシティーを遊びに振り分ける。この変化に対して、潜在意識が抵抗する。それに、結果が出てないわけで、”継続してても結果が出ないのに、ここで緩めてしまったら、益々結果が出なくなってしまうじゃ……”という思いが出てくる。潜在意識は、”ここで継続止めたら、死にますよ?”と語りかけてくる。

しかし、それは錆びたナイフで戦い続けるようなものだ。そもそも、1~2週間全力で遊んだ程度で手遅れになるんだったら、遅かれ早かれ淘汰される。

これは、そのコンテンツ(今回で言うと仕事・勉強)に対する信頼感の問題だと思う。自分のスキルや仕事に対して信頼感が醸成されていれば、必ずしも常に継続し続けていなくても大丈夫だと確信できる。少し煮詰まってきたからこそ、ここで全力で遊ぶことによって、何らかの良い影響が出るものだと確信している。だから、休むことに何の不安もない。自分の仕事を信じきっているからこそ、全力で遊べる。休むこと・遊ぶことが、仕事で成果を出すための工程の一つになっている(仕事の工程に内包されているため、潜在意識的にも変化と認識されない)。

信頼感が欠如しているから、少しでも一緒にいれない時間があると不安になる。信頼感が醸成されていたら、少し位一緒にいれない時間があっても、すぐ元に戻って果実を生み出し続けてくれると確信しているため、それほど不安にならない。

だから、サトシとピカチュウの間にあるような鋼の信頼感が醸成されていれば、必要なときに何の抵抗感もなく休めるようになるんじゃないかなと思う。それは、仕事のパフォーマンスが常に最大化されて、いつでも刃を研げる状態。自分の仕事を信頼しているからこそ、必要なときに何の抵抗感もなく休める。その結果、最高のパフォーマンスが実現される。

しかし、こう考えてみると、学生時代の長期休暇ってかなり重要な役目を果たしていたんだなと思う。夏休みや春休みが強制的にあったからこそ、学校生活のエンタメ性が最適化されていたんだなと。

 

バイアス

人間は、自分がやらなかったことをとてつもなく過大評価することがある。やらなかったことについては、いくらでもあり得ない奇跡を妄想出来てしまう。

それをやっていたら、むしろ悪化していた可能性もあるし、それに無駄な時間を割いたことで失っていた出会いもあっただろうに。その確率の方が圧倒的に高かっただろうに。だが、そういうバイアスは完全に無視して、一番奇跡的に上手くいっていた展開だけを考えてしまう。

自分がやらなかったことを恐ろしい程に過大評価して、自分がやってきたことを恐ろしい程に過小評価してしまう。結果が出ていないときは特に強く、このバイアスが働いてしまう。

人生とトレードの似てる点として、トータルで長期的な視点で考えるのが難しいというのがあると思う。

例えば、日足でトレードしてるはずなのに、5分足の急落を見て投げてしまう。日足で見れば何てことのない調整で、順調に順行しているにも関わらず、トレイリングストップで保有してればいいにも関わらず、目の前で含み益が減っていることに耐えられずに投げてしまう。一番最初に設定した利益目標ラインを守れるようになることがいかに難しいことか。トータルでプラスになればいいと口で言うのは簡単だが、実践出来るようになるまでは難しい。週単位や月単位で期待値プラスのルールがあったとしても、それを忠実に守って運用するには訓練を積む必要がある。

人生においても、週単位や月単位で見れば、順調に成果が出ている(成長している)にも関わらず、それには中々気付けない。1日~数日単位でも逆境が訪れると、上述したバイアスが掛かってしまう。

ここまで自分がやってきたことを称えて、「よくやってるじゃないか!」と自分に言ってあげよう。結局、この道を歩いてくるしかなかったのだ。

 

冒険心

人間は、それが限りなく確率0%に近いことであろうとワクワクして期待してしまうことがある。

例えば、外を歩いていたら何か素敵な出会いがあるんじゃないか!とか、あの場所に行けば何か楽しいことが起こるんじゃないか!みたいな。だが、冷静に考えてみれば、それは一体何万分の1%の確率で起こることなのかと。人間は馬鹿な生き物だから、そういうあり得ない展望を無理矢理作り出してワクワクしてしまう。

ただ、それがあり得ないことだとしても、そうやって努力したことだったり、行った場所だったりが、曲がり曲がって未来に繋がってしまうことがよくある。だから、少なくとも、何か行動しなければ何も起こらない。どんなあり得ないことにワクワクしても、行動すれば何かに繋がることがある。

一番最悪なのは、何にも繋がらない、何も起こらないと悟って、何もしないこと。だから、この点においては、賢者の方が馬鹿よりも損してる。どんな馬鹿げた展望を描こうと、行動すれば何かに繋がる可能性がある。

しかし、これをトレードでやるとほぼ間違いなく失敗する(100%ではない。どんな馬鹿げた手法だろうと、1億人がそれを実践したら、間違いなく億万長者になる人間が現れる)。「アベノミクス相場のときのガンホーのようになるかもしれない」、そう思うだけだったら全ての銘柄でそう思える。どれだけ含み損が出ていても、この希望がある限りは耐えられるわけだ。

ところで、私は今でも、散歩に行くと、どこかにポケモンいねえかなあと思ってしまう。観光地に行くと、RPGよろしく、つい隅々まで調べてしまう。アイテムやイベントがあるんじゃないかと思って。ゲームの世界では人間がプログラミングした以上のイベントは起こらないと知ってしまった以上、現実世界で冒険するしかないのだ。

 

馬の耳に念仏

滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人に、いくらその素晴らしさを説いたとしても無駄でしかない。なぜなら、その信念が存在していないからだ。それは言わば、馬の耳に念仏を唱えるようなもの。

例えば、いくら私がポケモンやパワポケの素晴らしさを説明したとしても、ポケモンやパワポケで滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人にとっては、馬の耳に念仏でしかない。たかがゲームとしか捉えられない。

逆もまた然りで、例えば、部活で青春時代を送った素晴らしい話を私にしてみても、何となくいいなあ程度のイメージは出来るが、結局は馬の耳に念仏でしかない。体験したことがないから信念が存在しない、分からないのだ。

それは、AKBの熱狂的ファンが、大量にCDを買って握手する素晴らしさを一般人に説くようなもの。当人にとってはどれだけ価値があって素晴らしい体験であっても、相手にその信念が出来ていない以上、理解されない。なのだが、これと同じことを多くの人がやっている。

例えば、今の若者は高級品や豪遊に興味がないさとり世代だと言われているが、実際に高級品や豪遊で楽しい体験をしたことがないんだから、しゃあないのだ。その信念が出来てないのだから。

逆に、高級品や豪遊の楽しさを体験してない分、ネットとかの楽しさを体験してるから、それを体験したことがない上の世代は益々理解出来ない。互いに馬の耳に念仏を唱え続けるような、不毛な信念の戦いにしかならない。だから、若者の何とか離れとか嘆くんだったら、実際に楽しい体験をさせて、その遊び=楽しいという信念を作り出すしかないわけだ。

どんだけ言葉で説明しても無駄。映像で説明しても無駄。同調圧力使っても無駄。実際に楽しい体験をさせないことには意味がない。