レジェンド級のコンテンツ3

レジェンド級のコンテンツというのは、コンテンツ側がとてつもなく進化したり、とてつもないコンテンツが登場するんじゃなくて、自分自身がその存在に気付くだけと言うか、自分自身の思考が劇的に変わって、その存在に気付いただけであることが多い。つまり、既にあるコンテンツが決壊することでレジェンド級のコンテンツになるわけだが、それは単に、自分自身の思考が劇的に変わって、それに気付くだけのこと。客観的に見れば、コンテンツそのものは何も変わらない。でも、自分の中で劇的な変化が起こる。世界は何も変わっていないのに、世界が変わってしまう。

じゃあ、どうすれば自分の中で劇的な変化が起こるのかと言うと、「これだけやったんだ!」という確かな体験と、「楽しかったなあ」という思い出だろうか?あとは、それに対して「ありがとう」という感謝の気持ち。これらが十分に満たされれば、コンテンツとの関係性に劇的な変化が起こって、決壊する。一線を超えた関係になって、楽しいの次元が変わってしまう。

ただ実際問題、レジェンド級のコンテンツはどういう風に登場するだとか、そういうことをごちゃごちゃ考えてみても、結局一番重要なのは、運だと思う。人生のシナリオ(工程表)に書いてあればどんな奇跡が起ころうと登場するし、人生のシナリオに書いてなければどれだけ努力しても登場しない。

 

レジェンド級のコンテンツ2

レジェンド級のコンテンツというのは、ワクワク感が現実化しただけであることが多い。それが現実化して自分のものに出来たらどうなるんだろうなとワクワクしている。そのことを考えると、四六時中ワクワクが止まらない。そして、それが現実化してしまう。現実化させるまでは労力が必要になるが、その工程には努力は全く必要ない。第三者から見れば努力に映るかもしれないが、全く努力を必要としていない。言わば、モチベーションが必要ない。ただ、ワクワクしてるだけ。ワクワクしながらその流れに乗っているだけ。で、いざ現実化したその状態は、ワクワクして想像してた状態よりも素晴らしくて、現実が理想を凌駕していく。

一方で、ワクワクするような願望ではなく、マイナスを解消しようとする願望から生まれてる場合もある。それは、とんでもないフラストレーションというか、とんでもない悔しさというか、「バクマン。」で言うと「タントやめたい!」的な体験が一つのきっかけになって生まれている。

「こうなりたい!」とか「これが体験したい!」とかいう願望は今までに100%叶ってきたわけではないが、「これはもうやりたくない!」「この状況はもう二度とごめんだ……」っていうような願望は、今までに100%叶ってるなあと。「何としてでもこの状況から抜け出してやるんだ!」とか「もう、二度とこんな状況は味わいたくない」って願望は、100%叶っている。そして、そのマイナスを解消した反動からレジェンド級のコンテンツが誕生したことが少なくない。

皆さんもどうでしょうか?自分の人生を牽引するようなレジェンド級のコンテンツ(趣味・仕事・人間関係など)にはどういう共通点があるだろうか?

 

レジェンド級のコンテンツ

これは私の経験上のことなんだが、このコンテンツがここまで化けるなんて一体誰が想像しただろうか?みたいな。これ以外の展開では、人生を代表するようなレジェンド級のコンテンツは登場しないと思う。つまり、レジェンドになるコンテンツには、期待感が全く入ってない。期待感が全く入ってなくて、僅かなワクワク感がある状態。そういうコンテンツが化けてしまう。で、レジェンドになったらもう止まらない。エンタメ性が暴走した状態になると、期待感なんてもんは多少抱いた所で何の影響も生じない。でも、最初から期待感を抱いていると、そういう状態には絶対にならない。

だから、レジェンド級のコンテンツを意図的に生み出すのは、どれだけ難しいことかと……。レジェンド級のコンテンツを意図的に生み出そうとすると、必然的に期待感が入って、絶対に生まれなくなってしまう。では、コンテンツに対する期待感をなくすにはどうすればいいかと言うと、そもそも期待感をなくそうと思っている時点で、期待感が入ってるわけで……。

で、レジェンドになったコンテンツは、ドン底や背水の陣で出てきたものが多いんだが、これは、その状態では期待感が入り込む隙間がないからだ。それでいて、ある程度開き直っているから、僅かなワクワク感が入っている。で、一緒に逆境を乗り越える体験をすると、そのコンテンツとの関係性が決壊して、そのコンテンツと過ごす時間の楽しいの次元が変わる。そして、伝説へ……。

 

ポケモンのマーケット

Wifiトレインがなくなったこともあり、ポケモンXYではバトルを全くやってないんだが、図鑑集めと育成に関しては今までのポケモンで一番面白かったなと思う。

特に、GTSが素晴らしかった。これ、ポケモンの世界市場が形成されてるのだ。で、市場つまり相場であるため、よく見てると、(自分にとって)希少価値の高いポケモンが(自分にとって)簡単な交換条件で出ていることがある。そこが狙い目になるわけだ。

で、私にとっては、フレンドサファリに出現するポケモンの希少価値が高かった。その代わり、出現率が低いポケモンだったり、最終進化系だったりと、中々ゲットしにくいポケモンを差し出す(フリージオがめっさ役に立った)。

つまり、私は友達コードをたくさん登録していないとゲット出来ないポケモンが欲しくて、相手はゲットするのに労力が掛かるポケモンが欲しい。このようなウィンウィンのトレードが成立する。市場であるから、取引が成立するということは、双方に利益があるということだ。不平等な取引は成立しない。例えば、ハッサムで伝説のポケモンを釣ろうとしてる人達がそこそこいたが、そんな取引は中々成立しない(だから、取引成立せずに残っている)。

これこそがマーケットの素晴らしさである。不当な取引は行われず、参加者に利益しかもたらさない。

ただこれは、世界的に人気があって、流動性が確保されているポケモンだから出来ることだ。他のゲームでは、ここまで流動的な市場は形成されない。

あと、第六世代になって育成は滅茶苦茶面白くなった。第五世代までは改造コード使わないとやってられんかったが、「赤い糸」で革命が起こった。あの程度の作業量なら楽しく厳選出来る。

バトル用の育成は全くしてないが、メガシンカ系は全部育成した。ガチ環境では、メガボスゴドラとかメガジュペッタは使う機会はないだろうが(実際どうなってるのかは分からんですよ)、ポケモン対戦考察wikiを見て、そこから自分で一番好きな型を決めて、その通りに育成するのは楽しい。

ガチ環境で勝つためだけに育成するのとはまた違った面白さがある。と言うか、育成に関してはこっちの目的でやる方が圧倒的に面白い。小学生時代に、攻略本をカタログのように眺めながら、「どれを育てようかなあ?」とワクワクしてた頃と同じような楽しさがある。

 

コンテンツのクオリティー

私は、コンテンツにはクオリティーは存在していないと思う。コンテンツを楽しめるかどうかは、100%完全に自分自身に依存している。コンテンツ側にクオリティーは存在していない。そのコンテンツを楽しめるかどうかは100%完全に自己責任。楽しめない理由は、コンテンツ側にはなく、全て自分自身に原因がある。で、ここで注意して欲しいのは、楽しめない=自分が悪いというわけではないということ。誰も悪くない。ただ、楽しめない原因は自分自身の中にある。

どういう思考をするかは自由であるが、この思考でコンテンツを楽しめるようになれば、人生が変わる。マジで。

なぜに、コンテンツに楽しめない責任を押し付けるようになるのかは、この記事を参照。過去の楽しい体験が強過ぎて、それが過剰な期待感となる。だが、その期待感がエンタメ性を殺してしまう。過去に楽しい体験をしたときは、期待感などなかったわけで、期待感が入っている時点で過去と比べて不利な評価を受けざるを得なくなってしまう。

まあつまり、期待感を抜けばいいわけだ。しかし、期待感を抜こうと思う時点で既に期待感が入っている。期待感は無意識にしか抜けない。だから、過去に絶頂の領域を体験したコンテンツで、再び絶頂を体験するのがどれだけ難しいことか……。

で、コンテンツに対する期待感が抜けるには、2つある。

一つは、とんでもない逆境。人生でとんでもない逆境に直面しているときは、コンテンツに対して期待感が入る余地が生まれないため、レジェンド級になりやすい。

もう一つは、感謝の気持ちで胸が一杯になって、自然と涙が出てくる聖なる状態になること。こうなれば、期待感は簡単に抜けて、簡単に突き抜けていく。私の体験上、この状態のときほど、コンテンツを楽しめる精神状態は存在しない。スラムダンクで言うと、山王工業戦後半のゴリ状態。この状態は、楽しむことに関して、大人が子供に対して持ってる唯一の優位性と言っていい。まさに絶頂の領域。全身全霊が感謝の気持ちで満たされて、涙が泉のように溢れ出てくる。

しかし!この聖なる状態、そんな簡単になれないのだ。そもそも、即席で感謝するだけで期待感が抜けるんだったら、苦労しない。この状態になるには、相当の努力の積み重ねが必要になる。その、今までに積み重ねてきた努力や逆境や思い出などが一気に感謝の気持ちとして噴出して、この状態になれる。

まあつまり、期待感は抜けないものだと思った方がいい。人生は楽しめば楽しむほど、期待感を生み出す正のトラウマが蓄積されていく。それが楽しむことのリスクだ。

では、期待感が入ってしまっているときは、どうすればいいのか?

それは、ベターを目指すことだ。実際、期待感が入ってる状況では、何をどうしようとベストの時期には敵わない。

例えば、何をどう贔屓目に見ても、(今まででベストだった時期に比べて)去年の12月はベストだとは言えなかったとしよう。でも、今思い出してみると、去年の12月は素晴らしかったなと思える。唯一無二である去年の12月が好きで仕方ない。これがベターの状況。この領域を目指せばいい。

つまり、その年の中でベストになれるように全力を尽くすこと。今までの人生でナンバーワンのコンテンツにはなれないかもしれないが、その年を代表するコンテンツを目指して楽しんでいくこと。そうすれば、ナンバーワンにはなれないかもしれないけど、オンリーワンにはなれる。これを積み重ねていけば、ベストな時期がまた体験出来る。

所詮、人生も確率に過ぎない。確率統計上、必ずまたベストな時期が訪れるのだ。そのときに、オンリーワンとして楽しんだ時期がエネルギーになる。

 

略奪せよ!

後ろ向きな感情から出てきた願望というのは、大抵は良い結果を産まない。○○がないから、○○が出来ないから、この仕事をやるしかないというような後ろ向きな考えは捨てるべきだと思う。そうじゃなくて、自分のやりたい仕事をする、自分の望むような人生を送る。そのためには、何だってする。これを基本姿勢にすることが大事。

苦手なことがあったとしても、それは一旦考えから捨てるべきだ。そうやって、出来るだけまっさらな状態で自分について考える。どういう人生を送りたいか、どういう自分になりたいかを考える。この目標を達成するために苦手なことを克服する必要があったとしても、その過程で自然と克服される。しかし、○○が苦手だ、○○が出来ないという思い込みがあると、自分が望むような人生を送るための道を(無意識の内に)閉ざしてしまうことになるかもしれない。

いずれにしても、後ろ向きだったり何かを守り通すといったような受動的な考えはやめた方がいい。略奪してやる!!位の気持ちでいくべき。この世界から、自分が望む以上の現実を勝ち取ってやるんだと。ほぼ間違いなく言えることは、国や社会(他者)は、自分が望む人生を与えてはくれない。自分が望む生き方をしようとすると、かなりの高確率で反発を食うことだろう。理想を凌駕する現実は、誰も与えてはくれない。自分の手で勝ち取らなければいけない。

 

問題も顕在化する

努力は顕在化するわけだが、同じように、先送りしている問題もいつか顕在化する。そして、とんでもない大惨事になってしまう。

問題先送りの典型例としては、日本の少子高齢化と財政問題はそれだ。少子化を20年以上放置してきて、あれだけ歪な人口ピラミッドになってしまった以上、消費税10%で足りるわけがない。奇跡が起きて、今日から少子化が改善したとしても、問題解決まで20年以上掛かるのだ。つまり、もう手遅れで詰んでる。にも関わらず、少子高齢化に対する社会の関心度は低い。 ※1 ※2

今の子供達が大人になる頃の日本では、まず給料の半分は税金で持っていかれる。それでいて、残ったカネを使おうとすると、消費税が30%位かかる。このまま行けば、そういう社会が待っている。で、今大体30代後半から40代のロスジェネ世代こと団塊ジュニア世代がほとんど死ぬまでは、この状況は改善されていかないと思う。そこまで行ってようやく、歪な人口ピラミッドが解消されていく。だから、最低でもあと40年以上は改善の見込みもなく日本は経済的に衰退していく。福島第一原発が廃炉になる頃に、ようやく光が見え始めてくるかなと。

希望を持つのは大切だが、希望を持つ=現実から逃げるではない。自分が置かれている現実を直視した上で、必ず改善されると未来を楽観視して、自分が出来ることを全てやっていくこと。奇跡を信じるのはいいが、奇跡が起こると期待してはいけない。自分の信じた道を突き進んでいけば、奇跡は嫌でも起こるものだ。

※1
問題なのは人口減や少子化そのものではなく、少子高齢化であり、歪な人口ピラミッドをどうするのかということ。そもそも日本は人口多過ぎだから、8000万人でもやっていけるという意見もあるが、問題の本質は溢れるほどいる老人達を誰がどうやって支えるの?ということ。

※2
人口減への対処療法として移民の話が出てくると、移民に対する拒否感が先行して議論にならないことがある。更に、なぜか中国人や韓国人の移民の話になることもあるが、中国・韓国は日本を上回るペースで少子高齢化が進んでいるため、日本が心配しなくていけないのは、中国・韓国との移民争奪戦の方である。移民にとって、中国・韓国の方が魅力的な国だったら、来るのを拒んでいる移民すらも来てくれない。

 

努力は顕在化する

努力はすぐに成果には繋がらない。ある程度貯まらないと使えないポイントのようなものだ。そして、筋トレは1000ポイント、数学は3000ポイント、トレードは50000ポイントのように、目に見える成果として顕在化するまでに必要な努力量は異なる。ただ、努力の成果がすぐには出なくても、努力が顕在化するのが遅れれば遅れるほど、顕在化したときにとんでもない果実が得られる。

……まあ、人によっては合わないことというのもあるから、早めに損切りすることも重要である。要は、その努力が楽しいかどうか、その努力の先に待っている果実が本当に魅力的かどうか、自分の価値観ではなく世間様や第三者の期待を満たそうとしていないか。楽しい努力は嘘を付かないし、夢や希望はモチベーションを維持してくれる。

現実を直視して、自分にやれることは全てやること。そうすれば、少なくとも後悔することはない。

「誰でもその人にそれだけの器量があれば、本当に用意ができているのなら、最良のものが向こうからやって来るのです」ナポレオン・ヒル

これは「思考は現実化する」の序章に載っているヒル博士の言葉だが、100冊以上成功本を読んできた中でも一番好きな言葉だ。今までにこれ以上の名言には出会ったことがない。

 

熱して冷ませず

昨日の続き。

中毒になっていた時期は断じて、黒歴史ではないと思う。ネット中毒にしても、馬鹿らしくなるときはやってくるが、それまで楽しんでいた時間はかけがえのない思い出になる。

日本人は、熱しやすく冷めやすい。更に、中毒になっていたり熱狂していたものが冷めると、その時期をいとも簡単に貶してしまう傾向があるように思う。なぜに、自分が熱中したことを、そうも簡単に切り捨ててしまうのか?アイドルだろうとアニメだろうとネットゲームだろうと韓国ドラマだろうと、本気で熱中して楽しんでたんだから、もっと堂々としてればいいのに、何も恥ずかしいことはないのに。

では、なぜにこういう傾向があるのか?それは恐らく、世間様に笑われたりする前に、自分で黒歴史にしてしまえば、世間様から笑われることはなくなるからだと思う。日本では世間様の力が余りにも強大だ。教育やメディアなどを通して、世間様から笑われること(≒多数派から外れること)は致命的なことだと潜在意識に刷り込まれてしまう。だから、何としてでも世間様から笑われることは避けたい。その回避行動として、世間様から攻撃される前に、自分で自分を攻撃する。そうすれば、世間様から攻撃されるという最悪の事態は回避される。

でも、それでも、その当時の自分は、それが楽しくて楽しくて仕方なかったんだから、尊重してあげればいいのにと思う。それに、どれだけ過去を貶したとしても、そのとき熱中したコンテンツに楽しませてもらったこと、今の自分を作ってくれたこと。この事実は一生変わらない。だったら、世間様の空気に同調・迎合して過去を貶したり恥ずかしがるより、堂々と感謝する方が得じゃないだろうか?

これから何をするにしても、過去に裏付けされた個性が発揮される。これから新しく出会うこと、それは仕事だろうと人間関係だろうと趣味だろうと、どういう切り口で、どういう方法で、それに取り組んでいくのか?この個性と出会うことで、どういう化学反応が起こるのか?どういう思い出が生まれるのか?

唯一無二の過去に裏付けされた個性を発揮して、ユニークな方法で攻略していくからこそ、人生は面白い。

例え、村八分されることになったとしても、過去を肯定して、自分自身を尊重して、個性を発揮していくことだと思う。社会で評価されるかどうかは関係ない。まず第一に人生を楽しむために、個性を発揮していくべき。個性を発揮出来れば、成功するかどうかは分からないが、楽しいことだけは間違いない。

 

ネット中毒

中高生の間では、ネット依存症・スマホ依存症が問題になってるようだ。

別にいいじゃんと思うが……。これから一生ネットと付き合って生きていくわけで。早めにネット中毒を体験しておいた方がいいと思う。

私も高校時代に体験したことがあるが、私の場合は2ちゃんねるだったんだけど、多分こんな感じだと思う。

自分のお気に入りのスレに、何か書き込まれているんじゃないかと思って何度も更新してしまう。その繰り返しで中々終われない。誰かが書き込んでくれたんじゃないかと思って、何度も更新してしまう。これには終わりがないから、終われない。そうして、この無駄な作業の影響で寝る時間がどんどん遅くなっていく……。

誰かが何か面白い情報を発信しているかもしれない。だから、チェックしないといけない……。この誘惑は、経験してみないと分からないものだ。何と言うか、ギャンブル的な誘惑がある。2ちゃんねるにしても、有益な書き込みなんてのは、1000レス中1つか2つあればいい方だ。つまり、滅茶苦茶非効率的。でも、やめられない。

ただ、この状態をある程度経験すると、馬鹿らしくなるときがやってくる。そもそも、ネットなんて人生を楽しむためのツールでしかないわけで、そのたかがツールに無駄な時間を掛けて、他に自分がやりたいことの時間を削るなんて馬鹿らしいと。でも、ネット中毒を体験してみないと、これは分からないと思う。

だから、ネット中毒にならないための一番の方法は、一度でもネット中毒を経験してそこから冷めることだと思う。で、中高生のときにそれを経験しておけば、社会人以降でネット中毒になる確率は滅茶苦茶低くなる(もちろん、確率統計的に継続する人も出てくるが)。つまり、長期的に見れば、スマホ依存症が社会問題になるのは、それほど悪いことではないと思う。