私は、コンテンツにはクオリティーは存在していないと思う。コンテンツを楽しめるかどうかは、100%完全に自分自身に依存している。コンテンツ側にクオリティーは存在していない。そのコンテンツを楽しめるかどうかは100%完全に自己責任。楽しめない理由は、コンテンツ側にはなく、全て自分自身に原因がある。で、ここで注意して欲しいのは、楽しめない=自分が悪いというわけではないということ。誰も悪くない。ただ、楽しめない原因は自分自身の中にある。
どういう思考をするかは自由であるが、この思考でコンテンツを楽しめるようになれば、人生が変わる。マジで。
なぜに、コンテンツに楽しめない責任を押し付けるようになるのかは、この記事を参照。過去の楽しい体験が強過ぎて、それが過剰な期待感となる。だが、その期待感がエンタメ性を殺してしまう。過去に楽しい体験をしたときは、期待感などなかったわけで、期待感が入っている時点で過去と比べて不利な評価を受けざるを得なくなってしまう。
まあつまり、期待感を抜けばいいわけだ。しかし、期待感を抜こうと思う時点で既に期待感が入っている。期待感は無意識にしか抜けない。だから、過去に絶頂の領域を体験したコンテンツで、再び絶頂を体験するのがどれだけ難しいことか……。
で、コンテンツに対する期待感が抜けるには、2つある。
一つは、とんでもない逆境。人生でとんでもない逆境に直面しているときは、コンテンツに対して期待感が入る余地が生まれないため、レジェンド級になりやすい。
もう一つは、感謝の気持ちで胸が一杯になって、自然と涙が出てくる聖なる状態になること。こうなれば、期待感は簡単に抜けて、簡単に突き抜けていく。私の体験上、この状態のときほど、コンテンツを楽しめる精神状態は存在しない。スラムダンクで言うと、山王工業戦後半のゴリ状態。この状態は、楽しむことに関して、大人が子供に対して持ってる唯一の優位性と言っていい。まさに絶頂の領域。全身全霊が感謝の気持ちで満たされて、涙が泉のように溢れ出てくる。
しかし!この聖なる状態、そんな簡単になれないのだ。そもそも、即席で感謝するだけで期待感が抜けるんだったら、苦労しない。この状態になるには、相当の努力の積み重ねが必要になる。その、今までに積み重ねてきた努力や逆境や思い出などが一気に感謝の気持ちとして噴出して、この状態になれる。
まあつまり、期待感は抜けないものだと思った方がいい。人生は楽しめば楽しむほど、期待感を生み出す正のトラウマが蓄積されていく。それが楽しむことのリスクだ。
では、期待感が入ってしまっているときは、どうすればいいのか?
それは、ベターを目指すことだ。実際、期待感が入ってる状況では、何をどうしようとベストの時期には敵わない。
例えば、何をどう贔屓目に見ても、(今まででベストだった時期に比べて)去年の12月はベストだとは言えなかったとしよう。でも、今思い出してみると、去年の12月は素晴らしかったなと思える。唯一無二である去年の12月が好きで仕方ない。これがベターの状況。この領域を目指せばいい。
つまり、その年の中でベストになれるように全力を尽くすこと。今までの人生でナンバーワンのコンテンツにはなれないかもしれないが、その年を代表するコンテンツを目指して楽しんでいくこと。そうすれば、ナンバーワンにはなれないかもしれないけど、オンリーワンにはなれる。これを積み重ねていけば、ベストな時期がまた体験出来る。
所詮、人生も確率に過ぎない。確率統計上、必ずまたベストな時期が訪れるのだ。そのときに、オンリーワンとして楽しんだ時期がエネルギーになる。