一人負け

日本ではマイノリティー(異端者・変わり者)への風当たりが強いわけだが、私はこの風潮がなくなって欲しいとは断じて思わない。この風潮から得られるものが余りにも多過ぎるからだ。

ところで、日本人の幸福度は先進国中最下位だったらしい。まあ、満足度や自己肯定感に関してはいつものことだから、特に驚くようなことじゃない。

ただ、いつまで経っても何の改善も起こらないのが不思議でしょうがない。仮に、このデータ通りに日本人が一人負けだったとして、なぜに改善しようとしないのか?悔しくないんだろうか?泥臭くても、例え自分一人でも、幸せになってやる!みたいな意見が出てこないのが残念。

一方、日本人は謙虚だから、こういう調査では控えめに答える。だから、低めに出てしまうという意見がある。これは、本当にそうなのかもしれない。多くの日本人は幸せだけど、中流思考から控えめに答えているのかもしれない。

だが、日本が一人負けしてることを認めたくなくて、自己正当化してるだけだったとしたら、これほど勿体無いことはない。劇的に良くなるチャンスを逸してしまっている。豊かさや幸福を考える折角のチャンスだと思うんだが……。

一人負けほど惨めな状態はない。だが、これほど人生に革命を起こせるチャンスはない。一人負けしてる現状を認めることが出来ればの話だが。まあ、これが死ぬほど辛い。しかし、認めてしまえば後は上がるしかない。どんな逆襲も、負けを認めた所からしか始まらない。そして、本質的な意味では、それは断じて負けではない。一時的なビハインドを認識しただけでしかない。

 

幸福を追求する生き方

日本で幸福を追求する生き方をすると、必然的に少数派になる。少数派にならざるを得ない。

人は幸福になるために生きているのではない。自分の信念を守るために生きている。で、多くの日本人が持っている信念では、幸福になることよりも同調することの方が重要視されている。だから、自分の価値観を投げ捨ててまでも同調する。同調するためだけに、いとも簡単に大切なものを切り捨ててしまう。

少なくとも私の場合は、社会の言うことに従っていたら、ここまで未来に希望を持てるようにはならなかった。社会が理想とするマイノリティーのあり方とでもいうのだろうか?それに従ってたら、ここまで楽しい2010年代にはならなかっただろうし、未来に希望も持てなかった。

だってそれって要するに、ピラミッドの一番下に入りなさいってことなわけで……。しかも、下剋上は禁止ですと。そんな理不尽な要求に従ってられるかよと。

良い子ちゃんでいては、マイノリティーが逆襲するのは絶対に無理だと言っていい。世間様を喜ばせるために生きてはいけない。社会がレールから外れたマイノリティーに期待するのは、ピラミッドの下層に収まっていてくれということだけだ。つまり、「抑圧委譲の原理」の養分になっていてくださいねと。

少数派になったとしても、自分の価値観に従って、自分の幸福を追求すればいいじゃんと思う。そういう空気が読めない幸せな人がもっと増えて欲しい。それが結果的に日本を良くすると、私は信じている。自分を愛している人が増えれば増えるほど、日本は良くなる。

自分自身や自分の人生を愛しているだろうか?愛しているというのは、栄光もドン底の時期も関係なく好きであるということ。自己肯定というよりは、自己受容と言った方がいいかもしれない。ちょっとでも「自分が好きだ」とか言うと、なぜか変人扱いされるが、そういうのは一切無視すればいい。

セウォル号の船長やSTAP細胞のおぼちゃんは、世間的には叩かれているが、あの鋼の自己肯定感は見習うべき。

と言うか、自己満足度と自己肯定感が高くないと、マイノリティーが逆襲するのはほぼ不可能だと思われる。それはつまり、自分の価値観を貫いて幸福を追求する欲求>ピラミッド内で同調したい欲求という状態。これが逆だと、迎合してしまう。

 

当サイトにないゲームについて

○当サイトにないゲームについて
FF1:FF1+2(GBA)でプレイしたことがある。が、アイテムコンプリート・育成までは……。

FF2:オフラインのFFで唯一やったことない。やろうと思えばいつでも出来るんだが。

FF10(インター):未プレイ。最強装備考察が面白そうだが、また一からシナリオ攻略・スフィア盤改造・武器作成するのはなあ……。

FF10-2:途中までやったが、戦闘システム慣れんかった。

FF11:オンラインゲームはやったことない。

FF12(インター):ソフトは持ってるがほとんどやってない。育成の場合分けが面倒だろうなと思う。

FF14:オンラインはやったことない。

ドラクエ1:未プレイ

ドラクエ2:未プレイ

ドラクエ3:未プレイ

ドラクエ10:オンラインは……。

パワポケ3(表サクセス):GBA買ったのがポケモンルビーと同時であるため、やる時期を逃した。全くやっておりません。

パワポケ5(表サクセス):赤い攻略本に載ってる育成理論が余りにも再現度低過ぎて萎えた。俺ペナが3回出来るから、オールマックス行けそう。

パワポケ7(表サクセス):試合とミニゲームが慣れなかったため、ほとんどやらずに終わった。DS移行期だったのもある。ただ、黒田博士の名言は必聴。試合とミニゲームに慣れさえすれば、再現度高い理論作るの滅茶苦茶面白そう。攻略本見る限りでは、春香(豪力)と真央(その他)の使い分けになるんかな?

 

馬の耳に念仏

滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人に、いくらその素晴らしさを説いたとしても無駄でしかない。なぜなら、その信念が存在していないからだ。それは言わば、馬の耳に念仏を唱えるようなもの。

例えば、いくら私がポケモンやパワポケの素晴らしさを説明したとしても、ポケモンやパワポケで滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人にとっては、馬の耳に念仏でしかない。たかがゲームとしか捉えられない。

逆もまた然りで、例えば、部活で青春時代を送った素晴らしい話を私にしてみても、何となくいいなあ程度のイメージは出来るが、結局は馬の耳に念仏でしかない。体験したことがないから信念が存在しない、分からないのだ。

それは、AKBの熱狂的ファンが、大量にCDを買って握手する素晴らしさを一般人に説くようなもの。当人にとってはどれだけ価値があって素晴らしい体験であっても、相手にその信念が出来ていない以上、理解されない。なのだが、これと同じことを多くの人がやっている。

例えば、今の若者は高級品や豪遊に興味がないさとり世代だと言われているが、実際に高級品や豪遊で楽しい体験をしたことがないんだから、しゃあないのだ。その信念が出来てないのだから。

逆に、高級品や豪遊の楽しさを体験してない分、ネットとかの楽しさを体験してるから、それを体験したことがない上の世代は益々理解出来ない。互いに馬の耳に念仏を唱え続けるような、不毛な信念の戦いにしかならない。だから、若者の何とか離れとか嘆くんだったら、実際に楽しい体験をさせて、その遊び=楽しいという信念を作り出すしかないわけだ。

どんだけ言葉で説明しても無駄。映像で説明しても無駄。同調圧力使っても無駄。実際に楽しい体験をさせないことには意味がない。

 

勘違い

成長の過程には、何らかの勘違いが絶対に必要になる。

誰だって必ず、下手糞でどうしようもない時期を通過する。そこを勘違いして楽しく継続出来るかどうか。楽しく継続さえ出来れば、嫌でも上達する。

例えば、私の趣味の一つであるコンテンツ制作で説明してみる。

一番初めに作ったコンテンツは、(当然だが)とても人に見せられるレベルのクオリティーではない。恥ずかしいレベルのクオリティーである。だが、そんなレベルのクオリティーでも、恥ずかしがるどころか、最高のクオリティーだと思って楽しく作り続ける。コンテンツ作るのおもしれー、こんなコンテンツを作れる自分は天才だ!と思って。後から振り返ってみると壮大な勘違いなのだが、これがもしも、こんなの人に見せられるレベルじゃないと思っていたら、楽しくコンテンツ制作を続けられないだろうから、継続されない。結果、コンテンツ制作のスキルが全く上達しない。

こういうのがあるから、ナチュラルな無知や勘違いって強い。ある程度知ってる分野だと、勘違い出来ない。

私の趣味になったコンテンツ制作は、それまでの人生で全く体験したことがない分野のものだった。評価軸が存在してなかったことだから、自分で作ったもので勘違い出来た。お蔭で、この趣味には本当に助けられてきた。

私はゲーム・音楽に関しては結構造詣が深いから、勘違い出来ない。それに、仮に自分で作ったとしても、どうしても好きな作品の影響を受けて、その二番煎じ未満のものしか作れないだろう。だから、ゲーム・音楽そのものは趣味になるが、制作までは趣味にならんなと。

話はちょっと逸れたが、ナチュラルで勘違い出来るってのは本当に強い。もしかしたら、その勘違いが人生を変えるかもしれないのだ。

 

消費と自己投資

以前にも書いてきたが、現代では消費はスキルだなと思う。

参考:規律ある消費Amazonで安く買い叩く方法

ネットを上手く使えば、新品だろうと中古だろうと安く買える。このスキル・習慣が身に付いているかどうかが、積もり積もって結構な差になる。

ただ、規律ある消費で書いたことを徹底すると、カネと豊かさについて考える習慣が付くし、浪費しなくなる消費規律も身に付くのだが、貧乏性っぽくなるというリスクもある。なるべくカネを使いたくなくなってしまうのだ。私の実体験より。

これは問題だ。必要ないものには一切カネを使う必要はないが、必要なものには徹底的にカネを使って自己投資していくことが大事。

だから、消費規律が身に付いたら(そのリスクとして貧乏性っぽくなる)、貧乏性を取り除いていくことが大事。

消費規律が身に付いてる時点で、必要なものしか買わないという習慣は出来てると思うので、後はそれに従えばいい。多少高いと思っても、必要なものなら買う。全ての消費が自己投資。

勉強だけじゃなくて、内面だろうと外面だろうと自分磨きだって自己投資の一環だ。当然、趣味も自己投資だし、友達との外食も自己投資だ。家賃も食費もスマホ代も全て自己投資だ。人生の豊かさに少しでも寄与することならば、それは自己投資であり、人生の必要経費なのだ。

ちょっとでも貧乏性が顔を出してきたら、こう思おう。

何も不相応な高級車や高級時計を買うわけじゃない。今、自己投資しなくて、一体いつするのかと?それをケチってて、間に合わなくなったらどうするんだと。今の時点で10万円自己投資して自分磨きするのと、10年後に100万円自己投資して自分磨きするのと、どっちが効果があるんだと。間に合わなくなっても知らんぞと。

ところで、株は30代とか40代になってから余裕資金でするものだという固定観念があるようだ。まあ、資産だけを蓄えたマーケットに関して何の知識もない人達が供給され続けるということだから、私としてはこれでいいんだが……。ただ、20代で100万円の内10万円損するのと、40代で1000万円の内100万円損するのとでは、マーケットに払う授業料としては同じ。最悪の場合、退職金を全額使って、日本通信やDWTIを天井掴みしてたら……。実際、退職金を全額、東電につぎ込んでた人いたわけで……。

まあ、私は友達に株やFXについて聞かれたら、「養分になりたくなければやめとけ」と言ってますがね。と言うか、同世代で株やFXに興味ある人が皆無。

 

中流思考

自信喪失してなければ、外見だろうと運動だろうと勉強だろうと、何の努力もしてなくても、自分は中流程度ではあるだろうなと思ってしまう傾向があるように思う。恐らく、1億総中流社会の影響だ。

実際に中流程度なのかどうかは分からない。だが、「まあ大丈夫。自分は中流程度ではある」と思い、付け焼刃的な小手先の努力はちょっとだけするけど、本腰を入れた努力は特にしない。

これ、一種の危険思想である。これからの日本では絶対にやめた方が良い。

特に本腰を入れた努力はしていないにも関わらず、自分はかろうじて中流程度だろうなあと思ってしまうこと。これは危険極まりない。本腰を入れて努力してること以外は、下流どころか底辺だと思った方がいい(実際にどうかは関係なく)。だが、人生の平均値に寄与しない能力が0で底辺だろうと、何の問題もない。全て出来る完璧な人間など、ネット上にしか存在していないわけで。

自分の人生を豊かにするには、何が必要か?それを見極めたら、本腰を入れた努力をすること。必要ないものは切り捨てて、見向きもしないこと。

多くのことを浅く努力するか(オールラウンダー型)、少数のことを深く努力するか(スペシャリスト型)は人それぞれだと思うが、何の努力もしてないのに自分は中流程度ではあると思って安心してしまうことが危険なのだ。

 

外見を磨く効果

外見(見た目)を良くすることで、心理的にもかなり良い影響がある。まず、外面が良くなることで、自分が更に好きになる(外面の自分が好きになる)。外に出るのが楽しくなるし、堂々としてられる。自信が付いてくる。

で、外見を良くすると言っても、そんなに難しいことじゃない。

美容院に行って毎日スタイリングする、機材を買って運動・筋トレをする、服を買うなど。これらを単に継続するだけ。

ただ、髪型は美容師さんに任せて、服装も店員さんやマネキンを参考にして、運動や筋トレもプロのやり方を真似することだ。

センスのない人間の思考回路でどれだけ考えようと、センスのない状態にしか繋がっていない。だから、最初はプロに全部お任せした方がいい。センスのない人間が「いいね!」と思ったものは、その人にとっては「いいね!」かもしれないが、世間一般的には「ダサイ!」ものになってしまう。出来ない人間の思考回路でやってしまうと出来ないまま。出来る人を参考にしよう。

最初は小さな一歩でok。少しずつ出来ることを増やしていけばいい。そして、改善できる部分は全て改善していくようにする。髪型・体型・服装を良くする以外にも、外見を良くするためにやれることは全てやっていくようにする。例えば、メガネからコンタクトにするとか、腕時計を付けるようにするとか。

多方面にプラスの効果があるにも関わらず、外見を磨く効果は過小評価されてる。一部の人を除き、どんだけ意識で「自分は格好良い」と思おうとしても駄目。努力に裏付けされて、実際にその効果を実感して初めて、潜在意識にも浸透し始める。それが自然と行動や感情に現れてくる。

だから、嘆く前にまずやってみようぜと。まず2~3ヶ月継続してみようぜ。こういうことこそ、学校で教えるべきだと思うんだけどねえ……。外見を良くする方法を学校で教えたら、苦情が来そうだしなあ……。

ちなみに、こんな調査結果もある。男性が1ヶ月にかける衣服代は5000円以下が71.2%で、5000円~10000円が21.0%、10000円~30000円が6.9%、30000円以上が0.9%。つまり、服に1ヶ月10000円以上使ってるだけで、上位7.8%には入れるわけだ。

 

レジェンド級のコンテンツ5

レジェンド級のコンテンツ(フロー状態を体験出来るコンテンツ)というのは、そのコンテンツが関わる全てのプロセスが楽しくて仕方ない。楽しくないプロセスは何一つ存在しない。一般的には楽しくない作業だと思われることも含めて、その全てが楽しい。モチベーションが必要ないというか、むしろ、それをやらないことにモチベーションが必要な状態。楽しくないボトルネックがどこにも存在していない。

ポケモンで言うと、どのポケモンを育てようかと攻略本やwikiを見てることが楽しい、耐久調整について考えたり試行錯誤してることが楽しい、実際の育成プロセスが楽しい、バトルから教訓を得てパーティを改善していく作業が楽しい、確率計算するのが楽しい、統計取るのが楽しい。そして、いつの間にか、滅茶苦茶強いパーティが出来上がっている。しかし、それはあくまでこの極楽浄土の副産物でしかない。 ※1

レーティングや大会で上位のトレーナーは、皆この状態だろうなと思う。

例えば、勝つためにガブリアスを使うという思考では、そこまで勝てるようにはならない。なんでかと言うと、それは勝つことが目的になってるから。だって、勝てるパーティを構築するまで、どれだけ勝てない時期が続くのかと。勝つことが目的になってると、理想と現実のギャップでモチベーションが続かないから、そこを乗り越えられない。でも、このポケモンを使いこなしたい、このポケモンが最大限に活躍できるパーティを作ってやりたい、こういうパーティを極めたい。そういうことがモチベーションになってると、どれだけ勝てない時期が続こうとモチベーションに全く何の影響もなく、ワクワクする幸せな状態が続いていく。このポケモン使ってるだけで幸せ、勝てても負けてもバトルしてるだけで幸せ、ポケモンやってるだけで幸せ。その結果として、とんでもなく強いパーティが生まれてしまう。

つまり、ポケモンの場合は、最初から勝つことだけが目的になってると、滅茶苦茶勝てるようにはならない。例え勝利至上主義者であっても、大前提として色んなポケモンを使いこなすことにワクワクしているというのがある。

あと、本当にポケモンが強い人は、ポケモン廃人になどなってないはずだ。恐らく、多くても1日2~3時間を3ヶ月程度で十分なはず。それで現環境を攻略出来てしまう。

なぜなら、24時間ポケモンについて考えている状態になるから。何をしてても考えている。寝てるときも考えてるから、朝起きた瞬間にアイデアが閃いている場合もある。それが楽しくて仕方ないし、それが幸せで仕方ない。

つまり、実働時間で言うと1日3時間しかやらないけど、頭の中では24時間ポケモンをやっている状態。だから、3ヶ月集中してやったとすると、それは2160時間分の努力に相当している。ワクワクしてて幸せな状態ってのは、努力の質が明らかに違う。ワクワクして幸せな努力に対しては、苦しい努力をどれだけしようと絶対に太刀打ち出来ない。

本当に、ポケモンは最高級の大人の娯楽だと思う。世間的なイメージは子供の娯楽かもしれないが、ポケモン以上に確率的思考について学べるゲームは存在しない。言わば、高度なポーカー。

子供であっても、ライトゲーマーであっても、ヘビーゲーマーであっても楽しめるコンテンツなんだから凄い。友達と遊ぶ楽しさも、一人で専門的に遊ぶ楽しさも、仕事で使う確率的思考も、全てポケモンが教えてくれた。

※1
なお私の場合は、育成(個体値厳選)がボトルネックになってたんだが、コードフリークを使うことによって、ボトルネックを排除することに成功した。

 

格差社会

アベノミクスで格差が更に広がると言われているが、ずっと下にいた立場から言わせてもらうと、少なくとも私は、その格差の上に行くために頑張ってきた。だから、格差がないと困る。

逆襲が成功しても中流にしかしてもらえないって……。

格差社会を批判するのはいいが、上に行こうとしている下の人間もいるのだ。そもそも格差社会を否定するんだったら、まずは今まで叩かれていたフリーターやニートなどの下流が中流になれるような政策を支持すべきじゃないかと。もちろん、中流以上の税金を使ってね。格差社会の是正と言うと、金持ちや成金の足を引っ張るような話ばっかりで、底辺を引き上げるような話が全く出てこない。むしろ、生活保護などのセーフティネットが叩かれる始末。

つまり、大多数の日本人は格差社会を望んでいるのだ。上の存在が出来るのは嫌だから格差社会を批判してはいるけど、下の存在が自分と対等になるのはもっと嫌なのだろう。まさに、抑圧委譲の原理が働いているんだと思う。

格差に関連してもう一つ。

前にも書いたが、転売屋は嫌われる。他国でも転売屋・投機家は印象が良くはないだろうが、ここまで叩かれる風潮はないと思う。これは、日本に資本主義が根付いてないからこういうことが起こるんだと思う。

転売屋は素晴らしい仕事だとしか言いようがない。ヘタレのメーカーに代わって、本当に欲しい人が買えるようになるマーケットを作り出しているのだから。転売屋を排除したければ、メーカーが公式オークションすればいいだけの話。だが、人気コンテンツの市場価格がベラボウに高くなってしまうと(それが正常なのだが)、人気コンテンツはファンが多いだけに多くの苦情が殺到するだろうから、それを恐れて出来ない。だから、転売屋を叩く前に、まずはメーカーを叩かないといかんのだ。転売屋がサヤ取り出来るような価格で売り出してしまうメーカーがヘタレなのだから。

別に、全ての在庫を公式オークションする必要はなくて、8割から9割位は今まで通りの価格でランダムに売ればいい。新規ファンの流動性を確保しておくためにもね。で、そこから漏れてしまった熱心なファンのために、残り1割をメーカーが公式オークションすればいい。これで、転売行為はほぼ完全に防げる。

しかし、1億総中流意識が国民に浸透していて、先進国の中で最も市場を信頼していない日本で、そんな市場原理に基づいた商売が堂々と出来るはずがない。そんなことをしたメーカーは、転売屋以上に叩かれることだろう。不買運動が起こる可能性すらある。メーカーは、そのようなリスクを恐れるため、今まで通りの限定版商法を続ける。そこに、転売屋が付け込む隙が生まれる。これが何度も何度も繰り返され、転売屋は何度も何度も利益を得る。

なお、一応書いておくが、私は転売屋を擁護しているわけでも、転売をしているわけでもなく、単に市場原理を支持しているだけ。

滅茶苦茶努力して上流になったのに、運が悪かっただけで何があろうと行きたかったライブに行けない社会と、運が悪くてもカネさえ出せば行けるようになる社会と、どっちの社会が活性化するだろうか?