滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人に、いくらその素晴らしさを説いたとしても無駄でしかない。なぜなら、その信念が存在していないからだ。それは言わば、馬の耳に念仏を唱えるようなもの。
例えば、いくら私がポケモンやパワポケの素晴らしさを説明したとしても、ポケモンやパワポケで滅茶苦茶楽しい体験をしたことがない人にとっては、馬の耳に念仏でしかない。たかがゲームとしか捉えられない。
逆もまた然りで、例えば、部活で青春時代を送った素晴らしい話を私にしてみても、何となくいいなあ程度のイメージは出来るが、結局は馬の耳に念仏でしかない。体験したことがないから信念が存在しない、分からないのだ。
それは、AKBの熱狂的ファンが、大量にCDを買って握手する素晴らしさを一般人に説くようなもの。当人にとってはどれだけ価値があって素晴らしい体験であっても、相手にその信念が出来ていない以上、理解されない。なのだが、これと同じことを多くの人がやっている。
例えば、今の若者は高級品や豪遊に興味がないさとり世代だと言われているが、実際に高級品や豪遊で楽しい体験をしたことがないんだから、しゃあないのだ。その信念が出来てないのだから。
逆に、高級品や豪遊の楽しさを体験してない分、ネットとかの楽しさを体験してるから、それを体験したことがない上の世代は益々理解出来ない。互いに馬の耳に念仏を唱え続けるような、不毛な信念の戦いにしかならない。だから、若者の何とか離れとか嘆くんだったら、実際に楽しい体験をさせて、その遊び=楽しいという信念を作り出すしかないわけだ。
どんだけ言葉で説明しても無駄。映像で説明しても無駄。同調圧力使っても無駄。実際に楽しい体験をさせないことには意味がない。