マイノリティーの価値観

自分の人生で起こることは、全て自分が引き寄せたものである。これは、成功法則的にはコンセンサスであるが、もしもこの思考が日本で広まってしまうと、「自己責任」以上に間違った使われ方をするだろう。なんと恐ろしい……。

「引き寄せの法則」や「必然の法則」などの成功法則は、一つの考え方・世界観なんであって、同調圧力で押し付けるものではない。

そりゃあ、負の言葉を連呼しながら嘆いてる人がいたら、指摘してあげたくなるけどさ……。絶対に信念の不毛な戦いにしかならんわけだ。そこは同調してあげるか、何も言わずに離れるか。

成功法則が自分に合えば使えばいいし、合わなかったら使わなければいい。それだけの話。別に、成功法則を使わなくても成功する人は成功するし、幸せになれる。

私は、社会的にマイノリティーになる以前から、マイノリティーな価値観の持ち主であるから、他人の価値観を批判することだけはしたくない。自分にとって嫌だったことを他人にしたくはない。

恐らく、日本人の自己肯定感・自己満足度が極端に低いのは、アイデンティティーや価値観について疑問を持って検証するという作業をしないからだと思う。しないというか、する必要が生じない。

自分自身が間違いなく”楽しい”と思うことについて、マジョリティーの評価は逆を行っている。そうなると、自分の価値観に疑問が生じてくる。そこで検証して、改めて”やっぱり楽しい”、”自分の価値観は正しい”と思う。こうすることで、自分の価値観に対する自己肯定感、人生に対する満足度が確固たるものになる。それだけではなく、人生を更に楽しむためのアイデアも出てくる。筋肉には負荷を掛けないと強くならないように、精神的な筋肉もそうだなとよく思う。

だから、日本人の自己肯定感・自己満足度を高くするには、移民を大量に入れて、日本人が日本人としてのアイデンティティー・価値観に疑問を持たざるを得ない状況を作り上げるしかないと思う。しかし、それは実質不可能であるため、結局このままがベストであるとしか言いようがない。

それに、日本国内においては、自己肯定感・自己満足度が低いことが、必ずしも悪いことだとは言えない。今までに日本の歴史にはなかったグローバルな調査だから、悪いような結果として表面に出てしまっただけ。

まあ、私は生まれ変わるとしたら、絶対にまた日本でマイノリティーな人生を送るように工程表(人生のシナリオ)を書いてくるけどね。

 

所属の欲求

マズローの欲求階層の3段階目に「所属の欲求」がある。

この「所属の欲求」、満たされてることに気付けない欲求である。「所属の欲求」が満たされてるかどうかは、過大評価されている。多くの場合、「承認の欲求」と「所属の欲求」が混同されている。だが、「所属の欲求」は、単に何かに所属しているというだけで満たされているのである。つまり、日本人であるという時点で、社会的地位がどれだけあろうとなかろうと、日本が好きだろうと嫌いだろうと、「所属の欲求」が一つ満たされている。

一例を出すと、右も左も分からない外国に一人旅に行ったとして、そこで国籍を聞かれたときに、「アイアムジャパニーズ」と言える安心感。帰れる場所がある安心感。ここで何も言えないと、旅を楽しめないと思う。「アイアムジャパニーズ」と言える安心感があるからこそ、旅を楽しめる。

だから、日本人であることに感謝して、先人に感謝しようぜと。ただ、日本の欠点や改善点をちょっと指摘しただけで、反射的に「出て行け!」と言うのはどうかと思うが。

「所属の欲求」を満たせる帰れる場所ってのは、何だっていいと思う。基本は、家族・学校・友達グループ・会社などになるだろうけど、精神世界でも、自分の世界でも、2ちゃんねるのスレでも、ゲームやテレビの中の世界でも、プロ野球チームでも、自分にとって居心地のいい場所なら何だっていい。

とにかく、どんな形でもいいから、自分の帰れる場所をいくつか用意しておくことが大事。帰れる場所でヒトと繋がっているという安心感には、あらゆるコンテンツのエンタメ性を押し上げる効果がある。これは、意識されてなくても、潜在的に効果がある。

 

フロー状態

仕事だろうと趣味だろうと、目指すべき領域はフロー状態になる。

フロー状態というのは、集中しているけど完全にリラックスしており、それが楽しくて仕方ないという状態。そのことに取り組んでいるときは幸せで仕方ないため、ストレスフリーで最高のパフォーマンスを発揮することが出来る。そして、取り組んでいることの難易度が下がらないため、至福の状態が続く。

フロー状態になるには、それを100%何の疑いもなく好きであることが重要。そうなると、迷いが一切なくなって、最高の学習効果を常に得られるようになる。言わば、その概念と一心同体になれる。一心同体なんだから、365日ストレスフリーで出来る。心臓を動かすのと同じ感覚で出来るようになる。一心同体だから、成功することに何の疑いもなくなって、失敗することへの恐怖心もない。どんな結果が出ようと常に教訓を与えてくれる、何が起ころうと、人生のクオリティーを上げてくれると信じきっている状態。

これ、私はポケモンやパワポケで体験したことがある。例えば、ポケモンwikiのガブリアスのページを見て、心の底からガブリアスにワクワクしてしまう。言わば、ガブリアスにときめいてしまう。もう、何としてでもこの型のガブリアスを育てたい。そして、使いこなしたい。もう、そのことを考えただけで幸せな感情になれる。ガブリアスを使って無双していることをイメージするだけでワクワクが止まらない。ガブリアスのことを考えてるだけで幸せ。その結果、滅茶苦茶強いパーティが生まれてしまう。なお、当サイトのパワポケ育成理論も全てこの感情から生まれたと言っていい。

人生の平均値を上げていくには、フロー状態を感じられる人間関係・仕事・趣味をどれだけ作れるかだと思う。

では、どうすれば、フロー状態を感じられるようなレジェンド級のコンテンツと出会えるようになるか?

私が思うに、信頼感だと思う。信頼感が一定以上に達すると、決壊する。相応の逆境を一緒に乗り越えた楽しい体験をすると、そのコンテンツとの関係性が変わる。そうなると、何かが決壊して突き抜ける。そのコンテンツと過ごす時間の、楽しいの次元そのものが変わってしまう。この領域に達すると、フロー状態が味わえるようになるんじゃないかなと。

フロー状態を体験できるコンテンツというのは、どれだけ悪い気分になっていようが、一瞬で良い気分へと戻すパワーを持っている。言わば、人生で改造コード(チート)を使っているようなものだ。……まあ、人生の難易度も改造コートを使っていることが前提の難易度にまで上がるんだけどね。でも、だからこそ、人生は面白いのだ。

 

※この文章における「コンテンツ」の定義
ゲームや音楽などの娯楽コンテンツに限らず、連絡(友達や彼女と遊ぶこと)や仕事なども含めた、人生における楽しい体験全般のこと。

 

強みと凹み

自然界で生き残っていくには、自分の強みを生かすしかない。弱点を補強することも大事だが、最終的に生き残れるかどうかは、自分の強みを生かせるかどうかで決まる。淘汰されるのは、弱点が足を引っ張ったからではなく、自分の強みを最大限に生かせなくなったから。つまり、自分の強みを最大限に生かすために、弱点を補強することが重要になってくる。

例えば、落ち込んでたりスランプの時期に周りを見てみると、バイアスが掛かって自分の弱い部分だけが見えてくる。その状況では、もはやどうしようもないように思えてくる。自分にはもう敗者になる未来しか用意されてないんだと思ってしまう。でも、常に大切なのは、自分の強みを生かすこと。これ以外の方法では、道は開けていかない。

全てにおいて弱点がない人など、存在しない。ただ、その弱点を補って余るほどの圧倒的な強みがあって、その強みに支障をきたさない程度に弱点が補強されているのだ。

ただ、何をするにしても最初の内は、自分の弱点しか見えない。強みなんて何一つない球体で、所々に凹んでる部分しかない。これはバイアスでも何でもなくて、現実。でも、本気でスキルを身に付けていくと、それをやってるのが楽しかったり、他より結果が出てたり、周りから称賛されたりとかして、自分の強みが分かってくる。そこを徹底的に強化していけばいい。それと同時に、強みの足を引っ張らないように、凹んでる部分を直していけばいい。凹んでる部分全てを平らにする必要はない。自分の強みに支障をきたす凹みだけを直していけばいい。で、運良く凹んでる部分に何らかの楽しさを見出せたら、直した凹みを新たな強みに変えていけばいい。

 

思考が変わるまで

マイノリティーになって本当に良かったと思うことがある。それは、この世界ではいつ淘汰されても不思議ではないから、いつ死んだとしても「最高に楽しい人生だった」と言えるようになったこと。言わば、人生の平均値を上げることを第一にして生きるようになった。人生、楽しくなければ意味がない。

今この瞬間に死んだとしても、「最高に楽しい人生だったな」と笑って死ねる。人生の平均値を上げるために、自分に出来ることは全てやっているから、しゃあないなと。そりゃあ、「勿体ねえなあ」と少しは後悔するだろうけどね。でも、自分に到達できる一番遠い所まで歩いて淘汰されたんだから満足だ。

ただ、こういう風に生きようと思ってはみたものの、完全にこの信念を受け入れるには1年近く掛かった。だが、受け入れたら世界が変わった。私の場合、下手に長生きを求めて生きるよりも、こっちの生き方をする方が結果的に寿命が延びるし、人生の平均値も上がると分かった。

思考が変わるまでに要する時間は過小評価されている。どんなに理想的な生き方や信念があったとしても、それがどんなに素晴らしい文章で示されていたとしても、それを受け入れるまで、つまり思考が変わるまでには多大な時間が掛かる。そもそも、文章を読んだだけで思考が変わるんだったら、皆が成功者になってる。

ちょっと「いいなあ……」と思った程度では、思考は変わらない。その瞬間だけそう思っただけで、すぐに忘れてしまうだろう。思考が変わるには、そうならざるを得ない相応の逆境が必要だと思う。

日本人の大半は、長生きするために生きている。人生の質はそれほど重視されておらず、いかに安定して長生きするかに重点が置かれている。つまり、安定思考だ。で、私も、安定思考から安定・安全を求めた。だけど、マイノリティー(既卒)になってしまった時点で、安定など存在していない。だから、安定思考求める→ない→不安になる→安定思考求める→……のループが続いた挙句、思考が変わった。と言うか、変わらざるを得なくなった。

 

自信喪失

日本人の自己肯定感・自己満足度はとても低い。ちょっとググれば色々と出てくるが、例えば、内閣府調査のこのページなど。

ちなみに、自己肯定感というのは、世界中の人間から「死ね!」と言われたとしても、「貴様等全員の価値より、俺様一人の方が価値がある!」と思える能力のこと。マイノリティーが逆襲するときには、絶対に必要になる能力だ。ただ、日本社会的にはやや迷惑な能力でもある。自己肯定感を高くするには、自分史を楽しめるようになればいいんだが、それについて詳しくはまた別の機会に。

それで、上記ページの調査では、日本人の自己肯定感・自己満足度は余りにも酷い状況になっているんだが、特に気になった点がある。それは、「自分自身に誇りを持っていること」という調査で、賢さ・頭の良さ、体力・運動能力、容姿の3点については、諸外国と比べても特に低くなっていること。つまり、極端な言い方をすると、この3点について、日本人はコンプレックスを持ちやすいと言うか、自信喪失してしまっていると言える。

日本では、「自分には出来ない」という刷り込みが、学校生活の中で自然と植え付いてしまうんじゃないかと思う。私自身の場合で考えてみても、勉強では「やれば出来る」って自信が付いたけど、体育や美術は出来る方ではなかったため、知らぬ間に自信喪失していた(精神分析したら出てくる出てくる……)。逆に、私は勉強で自信喪失はしなかったけど、勉強で自信喪失してた人もいるわけだ。だから、日本の学校では、全てが高水準で出来るオールラウンダーじゃないと、必要のない自信喪失をせざるを得ないのかなと。

自信喪失は潜在意識で起こるため、意識的には自分が自信喪失しているとは気付けない。しかし、それは自然な行動や感情となって表れる。

例えば、勉強で自信喪失していたら、勉強しても無駄だと潜在意識に刷り込まれてしまっているため、何らかの問題が発生したときであっても、勉強して問題解決しようとはしなくなってしまう(したとしても続きにくい)。しかも、自分はいくら勉強しても無駄だという世界観が構築されてしまうため、そういう状況に陥っていることにすらも気付けない(勉強するという選択肢がなくなってしまう)。

あと、調査にはないが、賢さ・頭の良さ、体力・運動能力、容姿の3点以外では、コミュ力もそうなんじゃないかと思う。学生時代に友達が少ないと、コミュ力で自信喪失している可能性がある。いや、これは私がそうだったんだが。

自分には出来ないとか、自分はいくら訓練しても無駄なんだとか、そういう必要のない自信喪失がどれだけ日本から可能性を奪っているのかと思う。そんなのやってみないと分からないじゃないかと、しっかり訓練を積んでみないと分からないじゃないかと。ちゃんと訓練すれば、それでメシを食えるようになるかは分からんけど、誰だって最低限人並みに出来るようにはなる。そういうことを、もっと学校で実践的に教えるべきなんじゃないかと思う。

「自分には出来ない」という自信喪失した状態も一つの信念であるから、その非合理的な信念を機能しないものにするには、「自分には出来る」という信念で置き換える必要がある。だから結局、自信喪失から回復するには、努力して結果を出す以外にない。しかし、その非合理的な信念、植え付かないに越したことはない。

 

楽しむリスク

子供の思考はコンテンツをいかに楽しむかという主体的なものである。だが、大人になっていくにつれて、コンテンツにいかに楽しませてもらえるかという受動的な思考に変わっていってしまう。

では、なぜに大人になっていくにつれてこういう思考になっていくのかと言うと、過去に良い思い出があるからだと思う。その良い思い出が、余計な期待感になってしまう。だが、その期待感がコンテンツのエンタメ性を殺すのだ。過去の素晴らしい思い出はリスクになるのである。

良い思い出となった過去のコンテンツは、思い出補正が入って評価される。一方、現在のコンテンツは、期待感から現在進行形で評価されてしまう。これでは過去のコンテンツが圧倒的に有利な戦いになってしまう。これを対等な戦いにするには、その年が終わってから評価する以外にない。その年もその年を代表するコンテンツも、終わってみて初めてその凄さが分かるもの。その年の中にいるときは、その年やその年のコンテンツを楽しむことだけを考えていればいい。正当な評価は、後から自然と付いてくる。

過去は儚いものである。もう一生あの楽しかった日々を体験することは出来ない。これは楽しかった思い出というリターンに対するリスクなのだ。このリスクなしで楽しめるコンテンツは存在しない。どんな体験であろうと、それが楽しければ、未来では儚さというリスクになる。楽しむ度にまた傷付いていく。しかも、その傷は一生消えない。

楽しい体験というのは、一種のトラウマになる。ただ、一般的に認識されているトラウマが負のトラウマだとすると、こちらは正のトラウマとでも言おうか。楽しい体験というのは、100%完全に良いものだと思われているが、断じてそうじゃない。むしろ、普通のトラウマ以上に厄介な場合もある。リスクのない楽しさなんて、この世界には存在しない。一度でも至上の領域を味わってしまったコンテンツを、それ以降も継続して楽しむのがどれだけ大変なことか。

※この文章における「コンテンツ」の定義
ゲームや音楽などの娯楽コンテンツに限らず、連絡(友達や彼女と遊ぶこと)や仕事なども含めた、人生における楽しい体験全般のこと。

 

鏡の法則

「引き寄せの法則」「必然の法則」と同じ位、重要な成功法則がある。それは、「鏡の法則」。

「鏡の法則」というのは、この世界は鏡のようになっていて、自分がしたことが自分に跳ね返ってくるというもの。つまり、「与えよ、さらば与えられん」。

このとき、与えるという行為が大事なんであって、与えた相手がそれをどう受け取ろうと関係ない。与えたものが自分に跳ね返ってくる。レモン(嫌な事)を与えればレモンが与えられるし、レモネード(良い事)を与えればレモネードが与えられる。

これは成功本や成功者がよく言ってることだが、無償奉仕して報酬が受け取れないということはない。カネで報酬を受け取らないと、別の形で報酬が得られる。無償奉仕すればするほど、奉仕した分に応じて、何らかの報酬が得られる。カネを貰ってしまうと、それが報酬になってしまう。だが、この世界の法則として、奉仕したことは絶対に報われるように出来ているため、カネで受け取らないとそれ以外の何かで提供される。だから、カネで欲しいモノがゲット出来ないなら、無償奉仕でこの世界から欲しいモノを受け取ればいいわけだ。しかし、カネがあると、こういうライフスタイルも出来るようになってくるのは羨ましい。

ただ、無償奉仕と言っても、強制されたサービス残業や、やりたくもない無償奉仕ではなく、自分の意志でやりたくてやりたくてしょうがない自発的な無償奉仕である必要がある。

さて、これはつい最近起こった私の事例なんだが、当サイトを作成したのは、一種の無償奉仕的な動機があったからだった。私の人生をより良いものにしてくれゲームに何らかの形で恩返しがしたい。一人でも多くのユーザーのゲームライフに貢献したい。と、何の見返りも期待せずにサイト作成を始めたんだが、私自身が滅茶苦茶楽しませてもらった。記憶をリセットして、また一からプレイさせてもらったような感じだった。だから、ゲームへの感謝の気持ちを形にするために攻略サイトを作ったのだが、更に感謝することが増えてしまった。

しかし、それだけでは終わらなかった。サイト作成が一通り終わってから、サイト作成とは全く関係ないことで臨時収入のようなものがあった。しかも、最高XX万円までの範囲で、好きな額を自由に受け取ってくれという形での臨時収入だった。成功法則教信者の私は、第六感で分かった。「攻略サイトを作った報酬はいくら欲しい?XX万円までの範囲で貴様が自由に決めてくれ」と、宇宙から聞かれてるんだろうなと。それでいくらか受け取った(毎日4~5時間の作業を4ヶ月やったんだから、受け取っても罰は当たらんだろうと判断した)。

まあだから、自分に出来ること・やりたいことで社会貢献・無償奉仕していくことだと思う。

 

致命的な弱点

それを受け入れようとすると、吐き気がしてくるような信念・価値観というものがある。

それは、その人のコンプレックス/劣等感を刺激するような信念・価値観ではなく、その人にとって最も強い部分を否定するような信念・価値観だ。自分のアイデンティティーになってる信念・価値観が否定される信念・価値観を受け入れようとすると、吐き気がしてくる。

人間が精神的に最も致命的なダメージを受ける最大の弱点は、その人の最も強い部分にこそ隠れている。コンプレックスは、その人にとって弱みの部分であり、そこを突かれると痛いが、そこは最大の弱点ではない。最大の弱点は、その人のアイデンティティーになっているような一番強い部分にある。

超一流の人は、自慢せず、謙虚なことが多い。これは、アイデンティティーが傷付くのが恐いからだと思う。スキルを高めていって異次元の領域になってくると、それがアイデンティティーになってくる。そうなると、下手に自慢することでアイデンティティー(自分の最も強い部分、致命的な弱点)が傷付くことが恐くなってくる。だから、必然的に謙虚になるんだと思う。つまり、他人に自慢したくなるレベルのスキルってのは、まだまだ二流・三流ってことですな。自分のアイデンティティーになるレベルにまで発達してくると、恐くて恐くて自慢出来なくなってくると。

 

不安な感情

不安な感情を抱えた状態でネットサーフィンをしてみると、「引き寄せの法則」が体験出来る。

不安になると、その不安を解消するために、安心出来るような情報を探します。しかし、更に不安になるような情報が目について、安心出来るどころか益々不安になってしまう。そしてまた、その不安を解消するために安心出来るような情報を探す。しかしまた……。こうして、不安のスパイラル状態に陥ってしまう。

不安になったから安心出来るような情報を探すというのは、当然の行為なんだが、そこが落とし穴になっている。不安な感情のまま探すから、その感情を引き起こす情報を引き寄せてしまうのだ。安心出来るような解決策は見つからず、更に不安になる情報が見つかる。

人間は、将来のことや仕事について、人間関係、劣等感/コンプレックスなどで、簡単に不安になれる。不安になれない人間はいない。

とは言うものの、不安になって調べたときに得た情報が、意外と繋がったりもする。だから、不安は必要悪でもある。行動を促す場合があるのだ。しかし、自分に出来ることを全てやっているのに不安だったら(つまり結果に対する不安)、さっさと良い気分になってしまおう。

○まとめ
1.恐怖や不安といった、嫌な感情から逃れることは出来ない。逃げないこと。しかし、必要以上に付き合い続ける必要もない。
2.その不安な感情は、何が発端となったか?
3.その問題を解決するために、自分に出来ることを全てやっているか?何か新しく出来ることはないか?(ただ、無理はせずに)
4.自分は自分、自分の価値観を信じて、自分の人生で100点を取ろう。

こういう話にはこの本。

ところで、私は、人生の大きな流れ(大局)は「必然の法則」で運命的に決まってると思う。人生の細部は「引き寄せの法則」で調整可能だが、大局は最初から決まってるんじゃないかと思う。