子供の思考はコンテンツをいかに楽しむかという主体的なものである。だが、大人になっていくにつれて、コンテンツにいかに楽しませてもらえるかという受動的な思考に変わっていってしまう。
では、なぜに大人になっていくにつれてこういう思考になっていくのかと言うと、過去に良い思い出があるからだと思う。その良い思い出が、余計な期待感になってしまう。だが、その期待感がコンテンツのエンタメ性を殺すのだ。過去の素晴らしい思い出はリスクになるのである。
良い思い出となった過去のコンテンツは、思い出補正が入って評価される。一方、現在のコンテンツは、期待感から現在進行形で評価されてしまう。これでは過去のコンテンツが圧倒的に有利な戦いになってしまう。これを対等な戦いにするには、その年が終わってから評価する以外にない。その年もその年を代表するコンテンツも、終わってみて初めてその凄さが分かるもの。その年の中にいるときは、その年やその年のコンテンツを楽しむことだけを考えていればいい。正当な評価は、後から自然と付いてくる。
過去は儚いものである。もう一生あの楽しかった日々を体験することは出来ない。これは楽しかった思い出というリターンに対するリスクなのだ。このリスクなしで楽しめるコンテンツは存在しない。どんな体験であろうと、それが楽しければ、未来では儚さというリスクになる。楽しむ度にまた傷付いていく。しかも、その傷は一生消えない。
楽しい体験というのは、一種のトラウマになる。ただ、一般的に認識されているトラウマが負のトラウマだとすると、こちらは正のトラウマとでも言おうか。楽しい体験というのは、100%完全に良いものだと思われているが、断じてそうじゃない。むしろ、普通のトラウマ以上に厄介な場合もある。リスクのない楽しさなんて、この世界には存在しない。一度でも至上の領域を味わってしまったコンテンツを、それ以降も継続して楽しむのがどれだけ大変なことか。
※この文章における「コンテンツ」の定義
ゲームや音楽などの娯楽コンテンツに限らず、連絡(友達や彼女と遊ぶこと)や仕事なども含めた、人生における楽しい体験全般のこと。