努力しても結果が出ない。継続しているのに結果が出ない。そういうときにこそ、本気で遊んでみると、何か見えてくるものがある。全力で遊んだ結果、革命的な改善に繋がる場合がある。
だが、これが中々難しい。変化を伴うことなので、潜在意識が抵抗する。ずっと努力を継続してきたのに、いきなり全力で遊べと言われても、それを実行できる人はまず皆無だろう。
仕事や勉強に費やしていたキャパシティーを遊びに振り分ける。この変化に対して、潜在意識が抵抗する。それに、結果が出てないわけで、”継続してても結果が出ないのに、ここで緩めてしまったら、益々結果が出なくなってしまうじゃ……”という思いが出てくる。潜在意識は、”ここで継続止めたら、死にますよ?”と語りかけてくる。
しかし、それは錆びたナイフで戦い続けるようなものだ。そもそも、1~2週間全力で遊んだ程度で手遅れになるんだったら、遅かれ早かれ淘汰される。
これは、そのコンテンツ(今回で言うと仕事・勉強)に対する信頼感の問題だと思う。自分のスキルや仕事に対して信頼感が醸成されていれば、必ずしも常に継続し続けていなくても大丈夫だと確信できる。少し煮詰まってきたからこそ、ここで全力で遊ぶことによって、何らかの良い影響が出るものだと確信している。だから、休むことに何の不安もない。自分の仕事を信じきっているからこそ、全力で遊べる。休むこと・遊ぶことが、仕事で成果を出すための工程の一つになっている(仕事の工程に内包されているため、潜在意識的にも変化と認識されない)。
信頼感が欠如しているから、少しでも一緒にいれない時間があると不安になる。信頼感が醸成されていたら、少し位一緒にいれない時間があっても、すぐ元に戻って果実を生み出し続けてくれると確信しているため、それほど不安にならない。
だから、サトシとピカチュウの間にあるような鋼の信頼感が醸成されていれば、必要なときに何の抵抗感もなく休めるようになるんじゃないかなと思う。それは、仕事のパフォーマンスが常に最大化されて、いつでも刃を研げる状態。自分の仕事を信頼しているからこそ、必要なときに何の抵抗感もなく休める。その結果、最高のパフォーマンスが実現される。
しかし、こう考えてみると、学生時代の長期休暇ってかなり重要な役目を果たしていたんだなと思う。夏休みや春休みが強制的にあったからこそ、学校生活のエンタメ性が最適化されていたんだなと。