レッテルの続き

レッテルの続き。

自分で自分にコミュ障やらアスペルガーというレッテルを貼ってる人もいるんだが、これは自己否定ではなく、アイデンティティーの強化。ピラミッドの中に所属していることを確認するために、自分を卑下している。

それと、自分にそういうレッテルを貼ることによって、コミュ力を上達させる努力から解放される。本当にコミュ力の先に自分が欲しいものがあったら、そんなレッテルなんて貼ってられない(それより先に跳び上がる、努力してる)。つまり、コミュ力の先に待っている報酬を内心で貶しているからこそ、そういうレッテルを自分に貼れるのである。人間は、何の利益もなしに自分を貶すことは絶対に出来ない。

だから、そんな遠回りなことなどせずに、素直に言えばいいのである。「一人の時間の方が楽しい」「コミュ力ある人が別に羨ましくない」と。それが、あなたの価値観なのだから。自己肯定感・満足度が世界最低のピラミッドに迎合する必要などない。同調圧力に屈することなく、楽しいものは楽しい、楽しくないものは楽しくないという自分自身の価値観に従うことだ。

価値観が人間関係に特化している人達が幸せな生き方の一般解のようになっているが、それは幸せな生き方の特殊解の一つでしかない。幸せな生き方の一般解は、自分の価値観に従って、自分にとっての至福を享受すること。

ただ、自分の価値観に従えと、そう言葉で言うのは簡単だが、実践するのは難しい(同調圧力が強い日本では特に)。しかし、本物の至福はその先にしかない。まずは自分の価値観に従って、自分自身を満たすこと。一見遠回りに見えるが、自分が望む全ての果実を回収できるルートはこれしかない。

自分自身を至福で満たしていくと、それが溢れ出てきて、今まで興味のなかったことが楽しくなったりしてくる。何が人生に楽しみをもたらすのかは分からない。だからこそ、今を最大限に楽しんで、人生の平均値を上げていくべきなのだ。

最後に、日本社会の精神構造について、あと2点ほど。

リア充至上主義というのは、ある意味でリア充を差別している。なぜなら、友達が多かったり、恋愛経験が豊富だったり、そのためのリア充の努力を認めていないからだ。ナチュラルに何の努力もなしにその状態が維持されてると思われてる。何と言うか、泥臭く努力するのは格好悪い的な風潮が表れてるとも言えるが……(そりゃあ、中国や韓国にも逆転されるだろうと……)。

あと、日本では、一番上のマイノリティーではなく、あくまで中の上が一番称賛される。大昔からそういう社会だから、そう簡単には変わらない。例えば、年収1000万プレイヤーは羨望の眼差しで見られることが多いが、年収1億超えの経営者とかプロ野球選手とか芸能人となると……。

 

レッテルのリスク

日本社会は、レッテルを貼るのが大好きである。レッテルを貼って、その人の個性を殺してしまう。レッテルを貼られたら、そのレッテル通りのキャラクターを演じなければ、空気が読めないとなってしまう。

で、このレッテル貼りにも、ちゃんとした社会的な意味がある。それは、階層の形成。レッテルを貼ることによって、逆転するのが難しい社会が形成されていってしまう。なぜなら、レッテルが貼られていたら、人々はそこで思考停止して、それ以上考えなくなってしまうからだ。

どんなことだろうと、誰だって最初の内は下手糞だ。どんな天才だろうと、下手糞の時期を通過して上手くなっていく。だが、レッテルが存在していると、構造的に上達しないんだと思考停止してしまう。努力しても無駄なんだと思ってしまう。つまり、レッテル貼りには、下剋上を防止する効果がある。

レッテルには社会を効率的に回せるという側面もある。だが、やはりリスクもある。それは、人生の豊かさを考える機会がなくなってしまうこと。要するに、価値観の脆弱性に繋がってしまう。

私が思うに、(1)人生を楽しむこと、(2)自分を愛すること、(3)幸せを与えること、この3つは道なのだ。いくら十分だと思っても限界がない。一生、死ぬまで探究していく価値がある道なのだ。つまり、人生を充実させていく道には限界が無い。レッテルを貼ってそこで立ち止まってしまうのは本当に勿体無い。常に自分の人生に満足して、幸福を追求していこうぜと。どんなレッテルを貼られようと、泥臭く自分自身の幸せを追求していこうぜと。

しかし、マイノリティー(これもレッテルか?)にならないと、こういう考えには至らないんだから、日本社会は精神的にかなり脆弱だと思う。人間個人個人の幸せを追求できる仕様になっていない。

 

得意・不得意

自分が得意だと思うことには、どうしてもバイアスが掛かってしまう。

自分にとって当たり前過ぎて気付かないようなことが、本当の意味で自分の得意なことだったりする。逆に自分で得意だと思っているようなことは、あくまでそうなりたいという願望であることが多い。

これについては、自分の評価よりも、バイアスが掛からない他人の評価や客観的な結果を信用した方がいい。人に指摘されたり人から評価されて初めて、自分の得意なことが分かる。

自分が得意だと思っていることが実はそうでもなかったり、逆に自分では良くないと思い込んでることが実はそうでもなかったりする。自分で自分の強みだと思っていることよりは、他人がそう評価してくれた部分を伸ばしていくべきだと思う。他の人達は高く評価してくれているのに、自分勝手なセルフイメージでそれを否定するのは勿体無い。

ただ、人生全体で考えれば、人間には得意・不得意なんてなくて、自分の強みを生かせさえすれば、どんな不得意なことでも得意なことになってしまう。

例えば、製造業で考えてみれば、ここ100年の歴史で、一番製造業が得意な国はどこか?イギリスか?アメリカか?日本か?ドイツか?韓国か?中国か?

たった100年の間に王者がコロコロ変わってるわけで、どことも言えないだろう。ただ、王者になってるときの共通点はあると思う。それは、運が良かったことと、自国の強みを最大限に生かしたこと。運が良いときは長所が最大の武器になるが、運が悪いときは長所が最大の弱点になる。だから、厳密な意味では人間に得意・不得意というのはなく、自分の強みを生かせるかどうかだと思う。国や企業ですらも得意分野がコロコロ変わるんだから、人間一人一人の人生で何が得意分野になるかなんて誰にも分からん。

ただ、最初に書いたように、自分が得意だと思いたいことに固執してしまうと、自分の可能性を狭めてしまう。本当に人生は先が読めない。それまで辿ってきた道からすると信じられないようなことが滅茶苦茶楽しくなったりする。やってみないと分からない。だが、自分はこうなんだと決め付けてしまうと、それをやってみることさえもシャットアウトされてしまう。

 

情報解釈

人間は、同じ情報にも関わらず、それを解釈して良い気分になることも、嫌な気分になることも出来る。

いずれの場合も、自分に都合良く情報を解釈するわけだが、自分が攻撃されてると感じるような情報というのは、その情報の発信者には何の悪意もないのに、自分自身で都合良く情報を解釈して、勝手に攻撃されていると思い込んでいる。

例えば、劣等感/コンプレックスというものは、本人しか気にしていない。他人からすれば「なぜにそんなことで?」というようなことが、劣等感/コンプレックスになっている。つまり、自分に都合良く情報を解釈して、それを劣等感/コンプレックスと結び付けることで、嫌な気分になっている。

そもそも、人はどうして情報を発信するのかと言うと、全ては自分の信念のため。例えば、ネット上でアンチ活動してる人も、全部自分のためにやっている。人間は、純粋に誰かを誹謗中傷することは出来ない。自分の信念を守るための行動しか出来ない。だから、純粋に誰かを攻撃するためだけの情報というのは存在していない。間接的に誰かを攻撃する情報はある。だがそれにしても、その誰かを直接攻撃するための情報ではない。つまり、あらゆる情報発信は、全て自分自身のためだけに行われていると言える(言うまでもなく、当サイトも例外ではない)。

だから、何らかの情報を見て、攻撃されている!と感じた場合は、ちょっと落ち着いて、自分が掛けてしまったバイアスを認識してから、再度情報を解釈した方がいい。それは攻撃されたんじゃなくて、自分が攻撃されたと自分で都合良く解釈しただけ。もしかしたら、自分にとって有益な情報かもしれない。

 

都合の良いイメージ

人は、自分の信念と対立する案が出てくると、極論を出してそれを否定することがある。つまり、自己正当化するために、都合の良いイメージを作り出してしまうのだ。

例えば、改造コードを肯定すると、「改造コードなんて使ったら、ゲームが簡単になってつまらなくなる」という意見が返ってくることがある。いや、あくまで、つまらない退屈な単純作業を作業圧縮するためにだけ使えばいいと言っているのだが……。ゲームをより楽しむためのツールとして改造コードの使用を推奨しているんであって、そんな使い方をしては本末転倒である。ちなみにこれ、改造コード使う前の私もこんな感じの信念を持ってた。

あとは、信用口座を開くのは危険だという意見もある。この場合は、信用口座を開いたら、常に全力信用で取引しなければいけないという極論が持ち出される。……いや、信用買い出来るのは便利だし、空売りをするために開いた方がいいんであって、全力信用でやれなんて一言も言ってないんだが……。信用口座を開いた上で、小さい玉建てていけばいいじゃんと。と言うか、それが正しい信用口座の使い方。総資金の200~300%の玉になるのは、含み益を担保にして増し玉していったときだけにしないと危険。

あとは、クレジットカードは危険というのもある。これも、キャッシングやらリボ払いやら使わなければいいだけ。消費規律が確立してたら、カードでポイント還元した方が現金で買うより得。

信念の性質で厄介なのは、相手のことを親身に思って提案していることであったとしても、相手の信念に背いていることだったら人格攻撃だと認識されてしまうことだ。

大事なのは、取り敢えずやってみて、意外とイケそうだったら取り入れてみることだと思う。合わなかったら破棄すればいい。試してもいないのに、都合の良いイメージで最初から否定してしまうというのは、余りにも勿体無い。

どうせ失うものなんて何もないんだから、取り敢えずやってみようぜ。

 

破滅願望

人間は誰しもが、破滅願望を持っている。ただ違いがあるのは、その破滅願望が活性化してるかどうか。破滅願望が活性化していると、滅亡に向かうような行動を取ってしまう。

では、破滅願望はどういうときに活性化するのかと言うと、失敗や敗北の直後というのが一つ。「バクマン。」の「タントやめたい!」も、まさにこれだ。

トレードの話をすると、何らかの不運に見舞われて、1回のトレードで3ヶ月分の利益を吹き飛ばしてしまったとする。そうなると、一刻も早くそれを取り戻さなければいけないという感情になり、資金管理を無視したとんでもなくでかい玉でトレードして、更にとんでもないことになってしまう。

破滅願望が暴走しているときは辛いが、このときは一発逆転に賭けてはいけない。仮に、その「まじん斬り」が当たったとしても、そういうことを続けていたらいつかは破滅してしまう。

破滅願望が活性化するのは、失敗や敗北の直後だけではない。成功や勝利の直後にも活性化する場合がある。

これも、トレードの例を出すと、物凄い利益を叩き出したとする。そうなると、もう一度物凄い利益が叩き出せると思い込んで、資金管理を無視したとんでもなくでかい玉でトレードして、とんでもないことになってしまう。

逆転してやろうという野心を持つのはいいが、一発逆転は狙うべきではない。人生は短期決戦ではなく、長期戦である。自分に出来ることを継続していけば、必然的に成果は出てくる。逆転するために奇策など必要ない。コツコツとスキルを磨き続けていけばいい。諦めずに、毎日継続していけばいい。この正攻法こそが、一番の近道なのだ。

とにかく、続けること、やめないこと、諦めないことである。継続することには、才能を凌駕する圧倒的な優位性がある。自分よりも遥かに才能がある人達が、続けられなくなって脱落していく。要は、結果が出なくても続けられるかどうか。だって、結果が出てる人達だって、続けられないのだから。

 

跳び上がる

願望を叶えるには、この世界に対して、その意思を示していくことが何よりも大事だと思う。例え、何も起こらなかったとしてもだ。今はこの世界が何も起こしていなくても、自分は何か起こしていくんだぞと。行動という形にして、その意思をこの世界に示していくことだと思う。と言うか、この世界に願望が存在している時点で、この世界は既に反応している。この世界は既に反応済みで、次は自分自身がどういう反応をするか。つまり、それが欲しいですという意思をこの世界に示せばいい。自分に出来ることをやったら、あとはこの世界の反応を待つしかない。この世界から反応が返ってきたら、また行動する。そうやって、この世界とのコミュニケーションを続けていくしかない。

まあ、それはともかく、自分のアイデンティティーに基づいた本物の願望というものがある。

人間は他人の持ってる何かを見て「羨ましい」とは言うものの、本心からそう言うことはまずない。人間、本当に羨ましいこと(アイデンティティーに根差した願望)を目の当たりにすると、言葉より先に跳び上がるのです。

「バクマン。」で滅茶苦茶好きなシーンがある。それは、王道漫画を描きたいにも関わらず、ギャグ漫画を描いている現実に葛藤していた亜城木夢叶(真城)が、王道漫画を描いて成功を収めていたライバルの新妻エイジにテレビ番組で挑発されて、泣き叫ぶように「タントやめたい!」という正直な気持ちを彼女の亜豆さんに打ち明けるシーンだ。それから、亜城木夢叶は博打を打つわけだが、まさにこれ。本当に羨ましいことがあると、跳び上がるのです。どんな壁が立ち塞がっていようと、何が何でも自分には出来る!と思う。その夢を達成するためには、何だって利用するだろうし、何だってやるだろう。「出来ない」なんて思わないというか、完全スルー。それより先に跳び上がる。反射してしまう。

だが、この状態、破滅願望丸出しでかなり危険でもある。現に、亜城木夢叶も博打を打った。成功したから良かったものの、もしも上手く行ってなかったら……。

 

人生の攻略法

人生を攻略するには、自分に与えられた運命を完全に受け入れることが大事だと思う。とまあ、文章で書くのは簡単だが、これが中々難しい。ただ、これさえ出来れば、人生は攻略したも同然だよなあと思う。与えられた運命を楽しめる能力、これさえあれば人生で恐れることなどなくなるだろう。

どういう人生を歩んできてようと、自分に与えられた運命を完全に受け入れて、そこから歩いて行くこと。それはつまり、「どういう道を歩んでいこうか?」というんじゃなくて、ゼロベース思考で、「この道をどうやって攻略しようか?」という姿勢。この与えられた人生を、どうやってより良いものにしていこうかという姿勢。前者は理想からのマイナス査定で、後者はゼロからのプラス査定になる。

どうしても、人は比べてしまうし、理想や期待感を抱いてしまう。自分の人生に100%完全に集中するのは難しい。

戦後直後の日本は、ゼロベース思考から始まったんだと思う。ドン底まで行くと、もはや失うものが何もなくなるから、ゼロベース思考になる。その運命を受け入れて、自分に出来ることから始める他なくなる。その結果、リスクを取れなかった持つ者を、ゼロベース思考にならざるを得なくてリスクを取った持たざる者が逆転してしまう。

では、ドン底に陥る以外に、ゼロベース思考になるにはどうすればいいのだろうか?これ、危険な場合がある。逆境は求めてはいけないのだ。

例えば、何かを始めようと思っているが、中々その一歩が踏み出せないとする。このとき、嫌なことが起こって逆境に陥れば、その一歩が踏み出せるようになるんじゃないかなあと思うかもしれない。人間にはそういう気持ち悪い信念がある。

だが、その願望通りに嫌なことが起こって逆境に陥ったとしても、初めの一歩が踏み出せるということはない。嫌なことが起こって、ただ惨めなだけ。何となく、嫌なことが起これば開き直れるみたいなイメージはある。何かを失わない限り、何かを手に入れてはいけないみたいなね。例えば、日本と中国が戦争になったら、平和ボケになった日本人が目覚めるかもしれないとか。実際は、悲惨極まりないことになって終わりだろう。あと、このまま日本で人口減少が進めば、さすがにどこかで少子化が改善されて、歪な人口ピラミッドも是正されていくだろうというのも、同じく悲惨な結末になると思う。

結局、何かを始めようと決心して踏み出せるのは大抵の場合、プラスの出来事からだけ。プラスのエネルギーを帯びてることからしか、何かを始めようとはならない。だから、マイナスの出来事を期待してはならない。人生に多大なる果実をもたらす逆境は、自然な流れの中で必然的に起こる。

 

市場原理

社会的に嫌われている職業がある。トレーダーもそうかもしれないが、転売屋はそれ以上に嫌われている。私としては、転売行為というのは個人ビジネス以外の何物でもないと思うのだが……。

よく言われているのは、転売屋がいなければ、メーカーからファンに正規の値段で売られるから、ファンの利益が守られるというもの。だが、経済学的に考えると、それは効率的ではない。もしも転売屋がいなければ、限定品はファンの間で抽選になってしまう。例えば、5000円のチケットに、5000円まで出してもいい普通のファンと、1万円まで出してもいい熱心なファンがいたとしても、抽選になってしまう。これは非効率的で不公平である。しかし、転売屋がネットオークションにチケットを出品すれば、1万円まで出してもいい熱心なファンがチケットを買える。転売屋のお蔭で、価格によってファンの差別化が行われる。熱心なファンほど欲しいものを買えるという、効率的で公平な市場が作り出されるのだ。

そして、誰もこの取引で損はしていない。転売屋に正規価格で売ったメーカーも、チケットを転売して5000円の利ざやを得た転売屋も、転売屋から10000円でチケットを買った熱心なファンも、全員がこの取引から利益を得ている。そもそも、市場で行われるあらゆる取引は、双方に利益があるから行われる。双方に利益がない取引は絶対に行われない。確かに、消費者側・供給者側のどちらかに利益が偏っている場合はあるだろうが、双方が取引から利益を得ているのは間違いない。

つまり、転売は、社会に利益をもたらしているビジネスなのだ。転売屋がいるからこそ、熱心なファンはチケットを確実に入手出来る。転売屋は、市場原理に基づいた立派な職業なのである。

メーカーも本音では、転売屋について何とも思ってないと思う。だって、ファンに売ろうが転売屋に売ろうが、利益は利益、カネはカネなのだから。そもそも、限定版商法をしているメーカーはどうなんだというのもあるわけで……。だから、メーカーが転売対策をしているのは、あくまでファンに対するイメージアップ戦略に過ぎない。むしろ、そうやって転売屋を排除するコストを負担しているのは誰かと言うと……。

あと一つ、メーカー価格で買いたいのに中々買えないというのは、そのコンテンツの市場価値がそれだけあるということ。そもそも、同じ限定品であったとしても、超人気のコンテンツが普通のコンテンツと同じ価格で簡単に買えると思うこと自体が間違ってる。超人気があるコンテンツなのに供給が限られていたら、市場価格は上がっていく。にも関わらず、メーカーは市場価格よりも圧倒的に安い価格で売るんだから、ファンが殺到して競争になるのは当たり前。それで買えなかったファンは転売屋に責任転嫁するかもしれないが、超人気コンテンツの限定品が普通の価格で売られていたら、そもそも簡単に買えるはずがないのだ。たくさんのファンがその手頃な価格で買いたいと思ってるんだから、転売屋がいようがいまいが、買いにくいのは同じこと。数が限られている超人気コンテンツを普通の価格で買おうとする以上、買い手の間で競争になるのはしょうがない。

まあ、百歩譲って転売屋が悪だとしよう。では、その悪が蔓延る原因を作っているのは誰か?それは、市場価格で売らないメーカーである。メーカーが市場価格で売らないから、転売屋が利ざやを稼ぐ機会が生まれてしまう。

しかし、超人気コンテンツの限定品を市場価格で売り出したら、メーカー価格の数倍になってしまう。市場原理からすると当然の現象なのだが、メーカーのイメージダウンに繋がることはほぼ間違いない。だから、メーカーが市場価格で売り出すことは出来ない。ここに、悪が付け入る隙が生まれる。もしも、社会が効率的・合理的に運営されてたら、悪が付け入る隙なんてのは生まれない。社会の集合知が低いから、悪が生きていく術が生まれる。悪を淘汰するには、社会全体の集合知を上げるしかないのだ。

 

価値観の淘汰

日本からイスラム国に参加しようとした人がいたようだ。そりゃあ、世界中でイスラム国に参加する人が出ているんだから、統計的に考えて、日本からも数人は出てくるだろうと。別に驚くことではない。日本人は全員が同じ価値観を共有しているだろうという、この前提が恐ろしい……。

日本人はマイノリティーを差別するのは得意なのかもしれないが、マイノリティーを淘汰・支配するのは下手。なぜなら、この前提があるから。マイノリティーも自分達と全く同じ価値観を持っているという前提で接するから、マイノリティーの価値観を理解できない。どうすればマイノリティーを淘汰・支配出来るのかが全く分かっていない。

例えば、マイノリティーにとっては羨ましくも何ともないことなのに、マイノリティーがそれを手に入れられないのは努力不足や自己責任だみたいな、訳の分からない一人相撲が行われている。マイノリティーにとっては特に欲しくもないものなのだが、それを持っていないマイノリティーは不幸だと決め付けている。マイノリティー的には「???」。価値観の同化政策でもやってるのだろうか?としか思わない。洗脳されてるようにしか見えない。つまり、それではマイノリティーを淘汰・支配出来んのだ。

価値観で淘汰・支配するには、同調圧力を使って、マジョリティーの価値観を信じているヒトはみんな幸せで、マジョリティーの価値観を信じていないヒトはみんな幸せじゃないという状況を作り上げてしまえばいい。

例えば、ニートや生活保護(マイノリティー)を淘汰するには、働いている人達の大半(マジョリティー)が幸せであることを見せつければいい。つまり、ブラック企業もワーキングプアも存在しない社会を作り上げてしまえばいいのだ。あとは放っておけばいい。これはどんな社会的レッテルや差別よりも効果的だし、何が何でも自分の能力をフル活用して働きたくなる。価値観で淘汰・支配するってのは、こういうこと。

日本は、異端児にとっては生き辛い社会だと思う。ただ、それでも私は、この国が好きだし、感謝している。ポケモンもパワポケもFFもドラクエも面白いが、人生ほど面白いゲームは存在しない。だって、これらのレジェンド級のゲームですらもミニゲームの一部なんですぜ。この社会のお陰で、色んな夢を叶えることが出来たし、こんなに楽しい人生を送ることが出来ているんだから、社会が悪いはずがない。この社会にはいくら感謝しても、感謝しきれない。