レッテルのリスク


日本社会は、レッテルを貼るのが大好きである。レッテルを貼って、その人の個性を殺してしまう。レッテルを貼られたら、そのレッテル通りのキャラクターを演じなければ、空気が読めないとなってしまう。

で、このレッテル貼りにも、ちゃんとした社会的な意味がある。それは、階層の形成。レッテルを貼ることによって、逆転するのが難しい社会が形成されていってしまう。なぜなら、レッテルが貼られていたら、人々はそこで思考停止して、それ以上考えなくなってしまうからだ。

どんなことだろうと、誰だって最初の内は下手糞だ。どんな天才だろうと、下手糞の時期を通過して上手くなっていく。だが、レッテルが存在していると、構造的に上達しないんだと思考停止してしまう。努力しても無駄なんだと思ってしまう。つまり、レッテル貼りには、下剋上を防止する効果がある。

レッテルには社会を効率的に回せるという側面もある。だが、やはりリスクもある。それは、人生の豊かさを考える機会がなくなってしまうこと。要するに、価値観の脆弱性に繋がってしまう。

私が思うに、(1)人生を楽しむこと、(2)自分を愛すること、(3)幸せを与えること、この3つは道なのだ。いくら十分だと思っても限界がない。一生、死ぬまで探究していく価値がある道なのだ。つまり、人生を充実させていく道には限界が無い。レッテルを貼ってそこで立ち止まってしまうのは本当に勿体無い。常に自分の人生に満足して、幸福を追求していこうぜと。どんなレッテルを貼られようと、泥臭く自分自身の幸せを追求していこうぜと。

しかし、マイノリティー(これもレッテルか?)にならないと、こういう考えには至らないんだから、日本社会は精神的にかなり脆弱だと思う。人間個人個人の幸せを追求できる仕様になっていない。