市場原理

社会的に嫌われている職業がある。トレーダーもそうかもしれないが、転売屋はそれ以上に嫌われている。私としては、転売行為というのは個人ビジネス以外の何物でもないと思うのだが……。

よく言われているのは、転売屋がいなければ、メーカーからファンに正規の値段で売られるから、ファンの利益が守られるというもの。だが、経済学的に考えると、それは効率的ではない。もしも転売屋がいなければ、限定品はファンの間で抽選になってしまう。例えば、5000円のチケットに、5000円まで出してもいい普通のファンと、1万円まで出してもいい熱心なファンがいたとしても、抽選になってしまう。これは非効率的で不公平である。しかし、転売屋がネットオークションにチケットを出品すれば、1万円まで出してもいい熱心なファンがチケットを買える。転売屋のお蔭で、価格によってファンの差別化が行われる。熱心なファンほど欲しいものを買えるという、効率的で公平な市場が作り出されるのだ。

そして、誰もこの取引で損はしていない。転売屋に正規価格で売ったメーカーも、チケットを転売して5000円の利ざやを得た転売屋も、転売屋から10000円でチケットを買った熱心なファンも、全員がこの取引から利益を得ている。そもそも、市場で行われるあらゆる取引は、双方に利益があるから行われる。双方に利益がない取引は絶対に行われない。確かに、消費者側・供給者側のどちらかに利益が偏っている場合はあるだろうが、双方が取引から利益を得ているのは間違いない。

つまり、転売は、社会に利益をもたらしているビジネスなのだ。転売屋がいるからこそ、熱心なファンはチケットを確実に入手出来る。転売屋は、市場原理に基づいた立派な職業なのである。

メーカーも本音では、転売屋について何とも思ってないと思う。だって、ファンに売ろうが転売屋に売ろうが、利益は利益、カネはカネなのだから。そもそも、限定版商法をしているメーカーはどうなんだというのもあるわけで……。だから、メーカーが転売対策をしているのは、あくまでファンに対するイメージアップ戦略に過ぎない。むしろ、そうやって転売屋を排除するコストを負担しているのは誰かと言うと……。

あと一つ、メーカー価格で買いたいのに中々買えないというのは、そのコンテンツの市場価値がそれだけあるということ。そもそも、同じ限定品であったとしても、超人気のコンテンツが普通のコンテンツと同じ価格で簡単に買えると思うこと自体が間違ってる。超人気があるコンテンツなのに供給が限られていたら、市場価格は上がっていく。にも関わらず、メーカーは市場価格よりも圧倒的に安い価格で売るんだから、ファンが殺到して競争になるのは当たり前。それで買えなかったファンは転売屋に責任転嫁するかもしれないが、超人気コンテンツの限定品が普通の価格で売られていたら、そもそも簡単に買えるはずがないのだ。たくさんのファンがその手頃な価格で買いたいと思ってるんだから、転売屋がいようがいまいが、買いにくいのは同じこと。数が限られている超人気コンテンツを普通の価格で買おうとする以上、買い手の間で競争になるのはしょうがない。

まあ、百歩譲って転売屋が悪だとしよう。では、その悪が蔓延る原因を作っているのは誰か?それは、市場価格で売らないメーカーである。メーカーが市場価格で売らないから、転売屋が利ざやを稼ぐ機会が生まれてしまう。

しかし、超人気コンテンツの限定品を市場価格で売り出したら、メーカー価格の数倍になってしまう。市場原理からすると当然の現象なのだが、メーカーのイメージダウンに繋がることはほぼ間違いない。だから、メーカーが市場価格で売り出すことは出来ない。ここに、悪が付け入る隙が生まれる。もしも、社会が効率的・合理的に運営されてたら、悪が付け入る隙なんてのは生まれない。社会の集合知が低いから、悪が生きていく術が生まれる。悪を淘汰するには、社会全体の集合知を上げるしかないのだ。

 

価値観の淘汰

日本からイスラム国に参加しようとした人がいたようだ。そりゃあ、世界中でイスラム国に参加する人が出ているんだから、統計的に考えて、日本からも数人は出てくるだろうと。別に驚くことではない。日本人は全員が同じ価値観を共有しているだろうという、この前提が恐ろしい……。

日本人はマイノリティーを差別するのは得意なのかもしれないが、マイノリティーを淘汰・支配するのは下手。なぜなら、この前提があるから。マイノリティーも自分達と全く同じ価値観を持っているという前提で接するから、マイノリティーの価値観を理解できない。どうすればマイノリティーを淘汰・支配出来るのかが全く分かっていない。

例えば、マイノリティーにとっては羨ましくも何ともないことなのに、マイノリティーがそれを手に入れられないのは努力不足や自己責任だみたいな、訳の分からない一人相撲が行われている。マイノリティーにとっては特に欲しくもないものなのだが、それを持っていないマイノリティーは不幸だと決め付けている。マイノリティー的には「???」。価値観の同化政策でもやってるのだろうか?としか思わない。洗脳されてるようにしか見えない。つまり、それではマイノリティーを淘汰・支配出来んのだ。

価値観で淘汰・支配するには、同調圧力を使って、マジョリティーの価値観を信じているヒトはみんな幸せで、マジョリティーの価値観を信じていないヒトはみんな幸せじゃないという状況を作り上げてしまえばいい。

例えば、ニートや生活保護(マイノリティー)を淘汰するには、働いている人達の大半(マジョリティー)が幸せであることを見せつければいい。つまり、ブラック企業もワーキングプアも存在しない社会を作り上げてしまえばいいのだ。あとは放っておけばいい。これはどんな社会的レッテルや差別よりも効果的だし、何が何でも自分の能力をフル活用して働きたくなる。価値観で淘汰・支配するってのは、こういうこと。

日本は、異端児にとっては生き辛い社会だと思う。ただ、それでも私は、この国が好きだし、感謝している。ポケモンもパワポケもFFもドラクエも面白いが、人生ほど面白いゲームは存在しない。だって、これらのレジェンド級のゲームですらもミニゲームの一部なんですぜ。この社会のお陰で、色んな夢を叶えることが出来たし、こんなに楽しい人生を送ることが出来ているんだから、社会が悪いはずがない。この社会にはいくら感謝しても、感謝しきれない。

 

0から1

これが欲しい、こうなりたい、これがやりたいという願望を思い描く。そうすると、現時点で自分がやるべきことが出てくる。ただ、それは大抵の場合、その時点ではやっていないことである。つまり、変化を伴う行動であるから、その一歩を踏み出すことが恐怖や不安のベールで包まれている(潜在意識が抵抗する)。

でも、一歩踏み出してそれをやると、行動する前に抱いていた恐怖や不安が非合理的な恐怖や不安であったということが分かる。と言うか、それ以前に、非合理的な恐怖や不安を抱いていたことを忘れてしまう。0を1にするときに生じる恐怖や不安というのは、このように非合理的なものである。

勇気を出して一歩踏み出すと、結果なのか新しいコンテンツなのか次なる道なのかは分からないけど、この世界がご褒美をくれる。だから、思考が現実化する過程では、一歩踏み出すことに恐怖や不安を感じる場面があるんだけど、それをやると、この世界がご褒美をくれる。正しい道を歩いている証明として、何らかの爽快感のようなものが得られる。そしてまた、次なる道が示される。次に何をすべきかが分かってくる。

では、一歩踏み込むときの恐怖・不安にどう立ち向かうか?

私がお勧めしたいのは、感謝の気持ちを形にするためという建前で一歩踏み込むことだ。つまり、その一歩を踏み出すのは、自分のためではなく、他人のための行動だと思う。「恐い?不安だあ?貴様がどう思おうと知らねえが、○○への感謝の気持ちを形にせいや。今までに、どんだけ助けられてきたと思っとるんだ?」と。

それで一歩踏み込んで、0から1にしてしまえば、後は感謝の気持ちがなくても続いていく。1から2にするのは簡単で楽しいものだ。ただ、感謝の気持ちも長く続かない。楽しいから続く。楽しくないことは続かない。しかし、感謝の気持ちは瞬間的には非常に強いため、一歩踏み込むためのエネルギーとして使えるのだ。

ああ、あと、もう一つ重要なことがある。0から1にする行動をしたら、自主的に自分にご褒美を与えること。そうやって、新しい行動をした自分に条件付けしておくことが大事。

 

マイノリティーの価値観

自分の人生で起こることは、全て自分が引き寄せたものである。これは、成功法則的にはコンセンサスであるが、もしもこの思考が日本で広まってしまうと、「自己責任」以上に間違った使われ方をするだろう。なんと恐ろしい……。

「引き寄せの法則」や「必然の法則」などの成功法則は、一つの考え方・世界観なんであって、同調圧力で押し付けるものではない。

そりゃあ、負の言葉を連呼しながら嘆いてる人がいたら、指摘してあげたくなるけどさ……。絶対に信念の不毛な戦いにしかならんわけだ。そこは同調してあげるか、何も言わずに離れるか。

成功法則が自分に合えば使えばいいし、合わなかったら使わなければいい。それだけの話。別に、成功法則を使わなくても成功する人は成功するし、幸せになれる。

私は、社会的にマイノリティーになる以前から、マイノリティーな価値観の持ち主であるから、他人の価値観を批判することだけはしたくない。自分にとって嫌だったことを他人にしたくはない。

恐らく、日本人の自己肯定感・自己満足度が極端に低いのは、アイデンティティーや価値観について疑問を持って検証するという作業をしないからだと思う。しないというか、する必要が生じない。

自分自身が間違いなく”楽しい”と思うことについて、マジョリティーの評価は逆を行っている。そうなると、自分の価値観に疑問が生じてくる。そこで検証して、改めて”やっぱり楽しい”、”自分の価値観は正しい”と思う。こうすることで、自分の価値観に対する自己肯定感、人生に対する満足度が確固たるものになる。それだけではなく、人生を更に楽しむためのアイデアも出てくる。筋肉には負荷を掛けないと強くならないように、精神的な筋肉もそうだなとよく思う。

だから、日本人の自己肯定感・自己満足度を高くするには、移民を大量に入れて、日本人が日本人としてのアイデンティティー・価値観に疑問を持たざるを得ない状況を作り上げるしかないと思う。しかし、それは実質不可能であるため、結局このままがベストであるとしか言いようがない。

それに、日本国内においては、自己肯定感・自己満足度が低いことが、必ずしも悪いことだとは言えない。今までに日本の歴史にはなかったグローバルな調査だから、悪いような結果として表面に出てしまっただけ。

まあ、私は生まれ変わるとしたら、絶対にまた日本でマイノリティーな人生を送るように工程表(人生のシナリオ)を書いてくるけどね。

 

所属の欲求

マズローの欲求階層の3段階目に「所属の欲求」がある。

この「所属の欲求」、満たされてることに気付けない欲求である。「所属の欲求」が満たされてるかどうかは、過大評価されている。多くの場合、「承認の欲求」と「所属の欲求」が混同されている。だが、「所属の欲求」は、単に何かに所属しているというだけで満たされているのである。つまり、日本人であるという時点で、社会的地位がどれだけあろうとなかろうと、日本が好きだろうと嫌いだろうと、「所属の欲求」が一つ満たされている。

一例を出すと、右も左も分からない外国に一人旅に行ったとして、そこで国籍を聞かれたときに、「アイアムジャパニーズ」と言える安心感。帰れる場所がある安心感。ここで何も言えないと、旅を楽しめないと思う。「アイアムジャパニーズ」と言える安心感があるからこそ、旅を楽しめる。

だから、日本人であることに感謝して、先人に感謝しようぜと。ただ、日本の欠点や改善点をちょっと指摘しただけで、反射的に「出て行け!」と言うのはどうかと思うが。

「所属の欲求」を満たせる帰れる場所ってのは、何だっていいと思う。基本は、家族・学校・友達グループ・会社などになるだろうけど、精神世界でも、自分の世界でも、2ちゃんねるのスレでも、ゲームやテレビの中の世界でも、プロ野球チームでも、自分にとって居心地のいい場所なら何だっていい。

とにかく、どんな形でもいいから、自分の帰れる場所をいくつか用意しておくことが大事。帰れる場所でヒトと繋がっているという安心感には、あらゆるコンテンツのエンタメ性を押し上げる効果がある。これは、意識されてなくても、潜在的に効果がある。

 

健全な愛国心

日本社会では、マイノリティーが殴り返すのは禁止されている。だが一方で、大東亜戦争の戦後処理に関しては、日本はマイノリティーの立場である。だから、この点では日本は滅茶苦茶格好良い。まさに悪である。悪は格好良いのだ。

日本は他国から何をされようと反撃してはいけないと言う政治家がいる。まあ、外交的にはそうするのが一番いいのかもしれない。でも、国民はストレス溜まるだろうって。一体いつまで、日本は70年前の戦争のことで殴られ続けなければいけないのかと。そりゃあ、日本人だってストレス溜まりますわ。ぶん殴りたくもなるだろうと。

これ、危険だと思う。確かに、誰かが我慢し続ければ、争いは起こらない。ブチ切れなければね。でも、実質賃金が低下してて、これから更なる増税ラッシュも控えていて、戦後唯一の誇りであった経済がズタボロになってしまったと。それでいて、歴史にもケチを付けるんですかと。こんな状況なのに、一体いつまで殴り続けられなければいかんのですかと。だったら、もう一度戦争してやり直しましょうやという意見が国民から出てきてもおかしくないと思う。だって、何をしても殴られ続けるのだから。

日本も殴られたら殴り返せばいいのだ。アメリカみたいに他国にショットガンを乱射するような行為をするならともかく、どうせ日本が殴るなんてたかがしれてるんだから。堂々と自分の主張をして殴り返せばいい。

確かに、過去には国益を損なう愚かな行為をしたかもしれないけど、それでも我が国の歴史を尊重していますと。国のために戦った先人達を誇りに思います、感謝していますと。それで、賠償問題は既に条約で解決済みだから、今更何を言われる筋合いもありませんと。それでも何かしてきたら、この主張をベースに殴り返せばいい。

結局、自己肯定感が低くて、自分自身も自分の歴史も愛していない国民が多いから、その代表も簡単に国の誇りや歴史を捨ててしまうんだと思う。

戦後直後のドン底からここまで立て直してくれた先人達を誇りに思います、感謝しています。今も経済という唯一のアイデンティティーがなくなったかもしれないけど、それでも我が国を愛しています、我が国の歴史が大好きですと。堂々と胸を張ってそう言えばいいのだ。

健全な愛国心を持つには、外人に「日本最高!」とか言わせるような気持ち悪いことなどする必要がない。自分を愛して、自分の歴史を全て愛していれば、自分が過ごした場所は自然と好きになる。

ただ、マイノリティーは、健全な愛国心は持つべきだが、国家にアイデンティティーまで置くべきではない。日本は一番好きな国ではあるが、アイデンティティーにすべきではない。日本人がノーベル賞を取ったり、金メダルを取ったりするのは嬉しいが、誇りにまではならない。一番の誇りは自分自身のなかにある。マイノリティーのアイデンティティーは国家や組織ではなく、常に自分自身の人生の中にある。

 

日本のピラミッド2

日本には、低い身分の者は何をやっても無駄だということにしておきたい風潮がある。恐らく、江戸時代の名残だと思うのだが。例えば、学歴がない人がいくら勉強しても無駄とか、ニートや生活保護を叩く割にはニートや生活保護から努力して成り上がることは許せないとか、モテない人がいくらオシャレしても無駄とか。

ただ、実際に成り上がりに成功した人もいるわけだよね。でも、日本社会において、そういう存在は、徹底的に非難してレッテルを貼っておくか、徹底的に無視して存在自体ないものとしか扱っておくか。

では、なぜにこのような風潮があるのかと言うと、低い身分から成り上がるような存在が増えると、日本のピラミッドが壊れてしまうから。これは日本社会の特徴で、上の身分の者がストレスを下の身分の者に発散して、下の身分の者がストレスを更に下の身分の者に発散していくという構造がある(「抑圧移譲の原理」と呼ばれる)。この構造を維持することによって、社会全体の精神バランスが保たれてきた。だから、一番下の者が逆襲するようになってしまうと、この精神バランス構造が崩れてしまうのだ。

最近は、生活保護叩きやヘイトスピーチが話題になっているが、実はこれと似たような現象が、明治時代の初期に起こったことがある。それは、「解放令反対一揆」。江戸時代に非差別階級だったえた・非人を廃止するために、明治政府は解放令を出したんだが、その解放令に反対するために、他の身分の者による一揆が起きてしまった。言わば、上1%ではなく、下1%に対して群衆が団結したのである。つまり、ヘイトスピーチや生活保護叩きのような現象は、昔からあったというわけだ。

実を言うと私もマイノリティーを実体験するまでは、比較的保守派だった。日本は核武装すべきだとすら思ってたほどだ。……しかし、マイノリティーを経験して変わった。この国の恐ろしさを知った。それは、この国が2600年以上に渡って平穏を維持してきた最大の要因の一つだった。解放令反対一揆も、関東大震災の時の虐殺も、南京大虐殺も、全部本当だったんだなと(まあ人数は捏造だが)。大東亜戦争でも、かなり酷いことをやってきたんだろうなと(これも条約で解決済みだから、日本は堂々としてればいい)。

で、更に恐ろしいのは、今やってるマイノリティーへの攻撃が、何の罪の意識もなく行われていること。例えば、生活保護でもニートでも、どう考えても社会的弱者なのに、生活保護はフリーランチを食えるから特殊階級だとか、ニートは働かなくていいから貴族だとか、自分達が叩きやすいように地位を上げてしまう。これが恐ろしい。都合の良い被害妄想で、社会的弱者を権力者のように仕立て上げて、都合良く差別する。そんなことする時間があるんだったら、自分自身の人生の平均値を上げた方がいいんじゃないかと思うんだが、楽しむことではなく苦しむことが美徳で信念になってるから、そっちの方向には行かない。

マイノリティーに全ての罪をなすりつけて、問題の本質から逃げようとする。でも、そうやってマイノリティーに全ての責任を押し付けることで、自分達の首を絞めていることに気付かない。そうしている間にも、問題の本質はどんどん大きくなっていって、取り返しのつかないレベルにまで拡大していってしまう。

現在、日本が衰退しているのは、グローバル資本主義に上手く対応出来なかったのと、少子高齢化が原因なわけだ。全部、日本人の責任なんであって、マイノリティーに日本を衰退させるほどの力はない。こんなこと、ちょっと考えてみれば分かる。一体何をどうすれば、99%の日本人が支配しているこの同調圧力社会にマイノリティーが影響を及ぼせるのだろうか?例えば、在日朝鮮人は60万人しかいないわけだが、その利権って言うけど、そりゃあ日本で70年以上生きてれば、利権の一つや二つだって出来るがな。

日本人の精神構造には、マイノリティーに支配されるかもしれないという被害妄想のようなものが植え付いているんじゃないかと思う。例えば、ちょっとでも移民の話が出ると、異常な拒否感を示す。この反応自体が余りにも強力な参入障壁になってる。これは日本人の精神構造の内部にあることだから、いくらこのことを指摘しても、聞いてもらえない。議論より先に、反応されてしまう。日本のマイノリティーに対する拒否感というのは、それほどまでに強い。だから、日本ほど侵略しにくい国はないと思う。この国を精神的に侵略するのは、不可能だと思う。このマイノリティーに対する異常な拒否反応がある以上は、絶対に無理。

そもそも、移民で心配しなくてはいけないことは、果たして日本が移民にとって魅力的な国かどうかということだ。募集すればすぐに移民が来るような風潮があるが、日本に来たいと思う移民は果たしてどの位いるか?来たとしても、マイノリティーへの同調圧力の強さから、すぐに帰ってしまうんじゃないかと思う。

少子高齢化対策には、移民というリーサルウエポンがあるから、まだかろうじて日本は大丈夫みたいな風潮があるが、いざ蓋を開けてみたら、ロケットランチャーだと思ってたものがハンドガンだった……。このタイラントどうやって倒す?みたいな。そうなったとき、どうすんだろ?

 

フロー状態

仕事だろうと趣味だろうと、目指すべき領域はフロー状態になる。

フロー状態というのは、集中しているけど完全にリラックスしており、それが楽しくて仕方ないという状態。そのことに取り組んでいるときは幸せで仕方ないため、ストレスフリーで最高のパフォーマンスを発揮することが出来る。そして、取り組んでいることの難易度が下がらないため、至福の状態が続く。

フロー状態になるには、それを100%何の疑いもなく好きであることが重要。そうなると、迷いが一切なくなって、最高の学習効果を常に得られるようになる。言わば、その概念と一心同体になれる。一心同体なんだから、365日ストレスフリーで出来る。心臓を動かすのと同じ感覚で出来るようになる。一心同体だから、成功することに何の疑いもなくなって、失敗することへの恐怖心もない。どんな結果が出ようと常に教訓を与えてくれる、何が起ころうと、人生のクオリティーを上げてくれると信じきっている状態。

これ、私はポケモンやパワポケで体験したことがある。例えば、ポケモンwikiのガブリアスのページを見て、心の底からガブリアスにワクワクしてしまう。言わば、ガブリアスにときめいてしまう。もう、何としてでもこの型のガブリアスを育てたい。そして、使いこなしたい。もう、そのことを考えただけで幸せな感情になれる。ガブリアスを使って無双していることをイメージするだけでワクワクが止まらない。ガブリアスのことを考えてるだけで幸せ。その結果、滅茶苦茶強いパーティが生まれてしまう。なお、当サイトのパワポケ育成理論も全てこの感情から生まれたと言っていい。

人生の平均値を上げていくには、フロー状態を感じられる人間関係・仕事・趣味をどれだけ作れるかだと思う。

では、どうすれば、フロー状態を感じられるようなレジェンド級のコンテンツと出会えるようになるか?

私が思うに、信頼感だと思う。信頼感が一定以上に達すると、決壊する。相応の逆境を一緒に乗り越えた楽しい体験をすると、そのコンテンツとの関係性が変わる。そうなると、何かが決壊して突き抜ける。そのコンテンツと過ごす時間の、楽しいの次元そのものが変わってしまう。この領域に達すると、フロー状態が味わえるようになるんじゃないかなと。

フロー状態を体験できるコンテンツというのは、どれだけ悪い気分になっていようが、一瞬で良い気分へと戻すパワーを持っている。言わば、人生で改造コード(チート)を使っているようなものだ。……まあ、人生の難易度も改造コートを使っていることが前提の難易度にまで上がるんだけどね。でも、だからこそ、人生は面白いのだ。

 

※この文章における「コンテンツ」の定義
ゲームや音楽などの娯楽コンテンツに限らず、連絡(友達や彼女と遊ぶこと)や仕事なども含めた、人生における楽しい体験全般のこと。

 

強みと凹み

自然界で生き残っていくには、自分の強みを生かすしかない。弱点を補強することも大事だが、最終的に生き残れるかどうかは、自分の強みを生かせるかどうかで決まる。淘汰されるのは、弱点が足を引っ張ったからではなく、自分の強みを最大限に生かせなくなったから。つまり、自分の強みを最大限に生かすために、弱点を補強することが重要になってくる。

例えば、落ち込んでたりスランプの時期に周りを見てみると、バイアスが掛かって自分の弱い部分だけが見えてくる。その状況では、もはやどうしようもないように思えてくる。自分にはもう敗者になる未来しか用意されてないんだと思ってしまう。でも、常に大切なのは、自分の強みを生かすこと。これ以外の方法では、道は開けていかない。

全てにおいて弱点がない人など、存在しない。ただ、その弱点を補って余るほどの圧倒的な強みがあって、その強みに支障をきたさない程度に弱点が補強されているのだ。

ただ、何をするにしても最初の内は、自分の弱点しか見えない。強みなんて何一つない球体で、所々に凹んでる部分しかない。これはバイアスでも何でもなくて、現実。でも、本気でスキルを身に付けていくと、それをやってるのが楽しかったり、他より結果が出てたり、周りから称賛されたりとかして、自分の強みが分かってくる。そこを徹底的に強化していけばいい。それと同時に、強みの足を引っ張らないように、凹んでる部分を直していけばいい。凹んでる部分全てを平らにする必要はない。自分の強みに支障をきたす凹みだけを直していけばいい。で、運良く凹んでる部分に何らかの楽しさを見出せたら、直した凹みを新たな強みに変えていけばいい。

 

思考が変わるまで

マイノリティーになって本当に良かったと思うことがある。それは、この世界ではいつ淘汰されても不思議ではないから、いつ死んだとしても「最高に楽しい人生だった」と言えるようになったこと。言わば、人生の平均値を上げることを第一にして生きるようになった。人生、楽しくなければ意味がない。

今この瞬間に死んだとしても、「最高に楽しい人生だったな」と笑って死ねる。人生の平均値を上げるために、自分に出来ることは全てやっているから、しゃあないなと。そりゃあ、「勿体ねえなあ」と少しは後悔するだろうけどね。でも、自分に到達できる一番遠い所まで歩いて淘汰されたんだから満足だ。

ただ、こういう風に生きようと思ってはみたものの、完全にこの信念を受け入れるには1年近く掛かった。だが、受け入れたら世界が変わった。私の場合、下手に長生きを求めて生きるよりも、こっちの生き方をする方が結果的に寿命が延びるし、人生の平均値も上がると分かった。

思考が変わるまでに要する時間は過小評価されている。どんなに理想的な生き方や信念があったとしても、それがどんなに素晴らしい文章で示されていたとしても、それを受け入れるまで、つまり思考が変わるまでには多大な時間が掛かる。そもそも、文章を読んだだけで思考が変わるんだったら、皆が成功者になってる。

ちょっと「いいなあ……」と思った程度では、思考は変わらない。その瞬間だけそう思っただけで、すぐに忘れてしまうだろう。思考が変わるには、そうならざるを得ない相応の逆境が必要だと思う。

日本人の大半は、長生きするために生きている。人生の質はそれほど重視されておらず、いかに安定して長生きするかに重点が置かれている。つまり、安定思考だ。で、私も、安定思考から安定・安全を求めた。だけど、マイノリティー(既卒)になってしまった時点で、安定など存在していない。だから、安定思考求める→ない→不安になる→安定思考求める→……のループが続いた挙句、思考が変わった。と言うか、変わらざるを得なくなった。