マイノリティーの価値観

自分の人生で起こることは、全て自分が引き寄せたものである。これは、成功法則的にはコンセンサスであるが、もしもこの思考が日本で広まってしまうと、「自己責任」以上に間違った使われ方をするだろう。なんと恐ろしい……。

「引き寄せの法則」や「必然の法則」などの成功法則は、一つの考え方・世界観なんであって、同調圧力で押し付けるものではない。

そりゃあ、負の言葉を連呼しながら嘆いてる人がいたら、指摘してあげたくなるけどさ……。絶対に信念の不毛な戦いにしかならんわけだ。そこは同調してあげるか、何も言わずに離れるか。

成功法則が自分に合えば使えばいいし、合わなかったら使わなければいい。それだけの話。別に、成功法則を使わなくても成功する人は成功するし、幸せになれる。

私は、社会的にマイノリティーになる以前から、マイノリティーな価値観の持ち主であるから、他人の価値観を批判することだけはしたくない。自分にとって嫌だったことを他人にしたくはない。

恐らく、日本人の自己肯定感・自己満足度が極端に低いのは、アイデンティティーや価値観について疑問を持って検証するという作業をしないからだと思う。しないというか、する必要が生じない。

自分自身が間違いなく”楽しい”と思うことについて、マジョリティーの評価は逆を行っている。そうなると、自分の価値観に疑問が生じてくる。そこで検証して、改めて”やっぱり楽しい”、”自分の価値観は正しい”と思う。こうすることで、自分の価値観に対する自己肯定感、人生に対する満足度が確固たるものになる。それだけではなく、人生を更に楽しむためのアイデアも出てくる。筋肉には負荷を掛けないと強くならないように、精神的な筋肉もそうだなとよく思う。

だから、日本人の自己肯定感・自己満足度を高くするには、移民を大量に入れて、日本人が日本人としてのアイデンティティー・価値観に疑問を持たざるを得ない状況を作り上げるしかないと思う。しかし、それは実質不可能であるため、結局このままがベストであるとしか言いようがない。

それに、日本国内においては、自己肯定感・自己満足度が低いことが、必ずしも悪いことだとは言えない。今までに日本の歴史にはなかったグローバルな調査だから、悪いような結果として表面に出てしまっただけ。

まあ、私は生まれ変わるとしたら、絶対にまた日本でマイノリティーな人生を送るように工程表(人生のシナリオ)を書いてくるけどね。

 

所属の欲求

マズローの欲求階層の3段階目に「所属の欲求」がある。

この「所属の欲求」、満たされてることに気付けない欲求である。「所属の欲求」が満たされてるかどうかは、過大評価されている。多くの場合、「承認の欲求」と「所属の欲求」が混同されている。だが、「所属の欲求」は、単に何かに所属しているというだけで満たされているのである。つまり、日本人であるという時点で、社会的地位がどれだけあろうとなかろうと、日本が好きだろうと嫌いだろうと、「所属の欲求」が一つ満たされている。

一例を出すと、右も左も分からない外国に一人旅に行ったとして、そこで国籍を聞かれたときに、「アイアムジャパニーズ」と言える安心感。帰れる場所がある安心感。ここで何も言えないと、旅を楽しめないと思う。「アイアムジャパニーズ」と言える安心感があるからこそ、旅を楽しめる。

だから、日本人であることに感謝して、先人に感謝しようぜと。ただ、日本の欠点や改善点をちょっと指摘しただけで、反射的に「出て行け!」と言うのはどうかと思うが。

「所属の欲求」を満たせる帰れる場所ってのは、何だっていいと思う。基本は、家族・学校・友達グループ・会社などになるだろうけど、精神世界でも、自分の世界でも、2ちゃんねるのスレでも、ゲームやテレビの中の世界でも、プロ野球チームでも、自分にとって居心地のいい場所なら何だっていい。

とにかく、どんな形でもいいから、自分の帰れる場所をいくつか用意しておくことが大事。帰れる場所でヒトと繋がっているという安心感には、あらゆるコンテンツのエンタメ性を押し上げる効果がある。これは、意識されてなくても、潜在的に効果がある。

 

健全な愛国心

日本社会では、マイノリティーが殴り返すのは禁止されている。だが一方で、大東亜戦争の戦後処理に関しては、日本はマイノリティーの立場である。だから、この点では日本は滅茶苦茶格好良い。まさに悪である。悪は格好良いのだ。

日本は他国から何をされようと反撃してはいけないと言う政治家がいる。まあ、外交的にはそうするのが一番いいのかもしれない。でも、国民はストレス溜まるだろうって。一体いつまで、日本は70年前の戦争のことで殴られ続けなければいけないのかと。そりゃあ、日本人だってストレス溜まりますわ。ぶん殴りたくもなるだろうと。

これ、危険だと思う。確かに、誰かが我慢し続ければ、争いは起こらない。ブチ切れなければね。でも、実質賃金が低下してて、これから更なる増税ラッシュも控えていて、戦後唯一の誇りであった経済がズタボロになってしまったと。それでいて、歴史にもケチを付けるんですかと。こんな状況なのに、一体いつまで殴り続けられなければいかんのですかと。だったら、もう一度戦争してやり直しましょうやという意見が国民から出てきてもおかしくないと思う。だって、何をしても殴られ続けるのだから。

日本も殴られたら殴り返せばいいのだ。アメリカみたいに他国にショットガンを乱射するような行為をするならともかく、どうせ日本が殴るなんてたかがしれてるんだから。堂々と自分の主張をして殴り返せばいい。

確かに、過去には国益を損なう愚かな行為をしたかもしれないけど、それでも我が国の歴史を尊重していますと。国のために戦った先人達を誇りに思います、感謝していますと。それで、賠償問題は既に条約で解決済みだから、今更何を言われる筋合いもありませんと。それでも何かしてきたら、この主張をベースに殴り返せばいい。

結局、自己肯定感が低くて、自分自身も自分の歴史も愛していない国民が多いから、その代表も簡単に国の誇りや歴史を捨ててしまうんだと思う。

戦後直後のドン底からここまで立て直してくれた先人達を誇りに思います、感謝しています。今も経済という唯一のアイデンティティーがなくなったかもしれないけど、それでも我が国を愛しています、我が国の歴史が大好きですと。堂々と胸を張ってそう言えばいいのだ。

健全な愛国心を持つには、外人に「日本最高!」とか言わせるような気持ち悪いことなどする必要がない。自分を愛して、自分の歴史を全て愛していれば、自分が過ごした場所は自然と好きになる。

ただ、マイノリティーは、健全な愛国心は持つべきだが、国家にアイデンティティーまで置くべきではない。日本は一番好きな国ではあるが、アイデンティティーにすべきではない。日本人がノーベル賞を取ったり、金メダルを取ったりするのは嬉しいが、誇りにまではならない。一番の誇りは自分自身のなかにある。マイノリティーのアイデンティティーは国家や組織ではなく、常に自分自身の人生の中にある。

 

日本のピラミッド2

日本には、低い身分の者は何をやっても無駄だということにしておきたい風潮がある。恐らく、江戸時代の名残だと思うのだが。例えば、学歴がない人がいくら勉強しても無駄とか、ニートや生活保護を叩く割にはニートや生活保護から努力して成り上がることは許せないとか、モテない人がいくらオシャレしても無駄とか。

ただ、実際に成り上がりに成功した人もいるわけだよね。でも、日本社会において、そういう存在は、徹底的に非難してレッテルを貼っておくか、徹底的に無視して存在自体ないものとしか扱っておくか。

では、なぜにこのような風潮があるのかと言うと、低い身分から成り上がるような存在が増えると、日本のピラミッドが壊れてしまうから。これは日本社会の特徴で、上の身分の者がストレスを下の身分の者に発散して、下の身分の者がストレスを更に下の身分の者に発散していくという構造がある(「抑圧移譲の原理」と呼ばれる)。この構造を維持することによって、社会全体の精神バランスが保たれてきた。だから、一番下の者が逆襲するようになってしまうと、この精神バランス構造が崩れてしまうのだ。

最近は、生活保護叩きやヘイトスピーチが話題になっているが、実はこれと似たような現象が、明治時代の初期に起こったことがある。それは、「解放令反対一揆」。江戸時代に非差別階級だったえた・非人を廃止するために、明治政府は解放令を出したんだが、その解放令に反対するために、他の身分の者による一揆が起きてしまった。言わば、上1%ではなく、下1%に対して群衆が団結したのである。つまり、ヘイトスピーチや生活保護叩きのような現象は、昔からあったというわけだ。

実を言うと私もマイノリティーを実体験するまでは、比較的保守派だった。日本は核武装すべきだとすら思ってたほどだ。……しかし、マイノリティーを経験して変わった。この国の恐ろしさを知った。それは、この国が2600年以上に渡って平穏を維持してきた最大の要因の一つだった。解放令反対一揆も、関東大震災の時の虐殺も、南京大虐殺も、全部本当だったんだなと(まあ人数は捏造だが)。大東亜戦争でも、かなり酷いことをやってきたんだろうなと(これも条約で解決済みだから、日本は堂々としてればいい)。

で、更に恐ろしいのは、今やってるマイノリティーへの攻撃が、何の罪の意識もなく行われていること。例えば、生活保護でもニートでも、どう考えても社会的弱者なのに、生活保護はフリーランチを食えるから特殊階級だとか、ニートは働かなくていいから貴族だとか、自分達が叩きやすいように地位を上げてしまう。これが恐ろしい。都合の良い被害妄想で、社会的弱者を権力者のように仕立て上げて、都合良く差別する。そんなことする時間があるんだったら、自分自身の人生の平均値を上げた方がいいんじゃないかと思うんだが、楽しむことではなく苦しむことが美徳で信念になってるから、そっちの方向には行かない。

マイノリティーに全ての罪をなすりつけて、問題の本質から逃げようとする。でも、そうやってマイノリティーに全ての責任を押し付けることで、自分達の首を絞めていることに気付かない。そうしている間にも、問題の本質はどんどん大きくなっていって、取り返しのつかないレベルにまで拡大していってしまう。

現在、日本が衰退しているのは、グローバル資本主義に上手く対応出来なかったのと、少子高齢化が原因なわけだ。全部、日本人の責任なんであって、マイノリティーに日本を衰退させるほどの力はない。こんなこと、ちょっと考えてみれば分かる。一体何をどうすれば、99%の日本人が支配しているこの同調圧力社会にマイノリティーが影響を及ぼせるのだろうか?例えば、在日朝鮮人は60万人しかいないわけだが、その利権って言うけど、そりゃあ日本で70年以上生きてれば、利権の一つや二つだって出来るがな。

日本人の精神構造には、マイノリティーに支配されるかもしれないという被害妄想のようなものが植え付いているんじゃないかと思う。例えば、ちょっとでも移民の話が出ると、異常な拒否感を示す。この反応自体が余りにも強力な参入障壁になってる。これは日本人の精神構造の内部にあることだから、いくらこのことを指摘しても、聞いてもらえない。議論より先に、反応されてしまう。日本のマイノリティーに対する拒否感というのは、それほどまでに強い。だから、日本ほど侵略しにくい国はないと思う。この国を精神的に侵略するのは、不可能だと思う。このマイノリティーに対する異常な拒否反応がある以上は、絶対に無理。

そもそも、移民で心配しなくてはいけないことは、果たして日本が移民にとって魅力的な国かどうかということだ。募集すればすぐに移民が来るような風潮があるが、日本に来たいと思う移民は果たしてどの位いるか?来たとしても、マイノリティーへの同調圧力の強さから、すぐに帰ってしまうんじゃないかと思う。

少子高齢化対策には、移民というリーサルウエポンがあるから、まだかろうじて日本は大丈夫みたいな風潮があるが、いざ蓋を開けてみたら、ロケットランチャーだと思ってたものがハンドガンだった……。このタイラントどうやって倒す?みたいな。そうなったとき、どうすんだろ?

 

強みと凹み

自然界で生き残っていくには、自分の強みを生かすしかない。弱点を補強することも大事だが、最終的に生き残れるかどうかは、自分の強みを生かせるかどうかで決まる。淘汰されるのは、弱点が足を引っ張ったからではなく、自分の強みを最大限に生かせなくなったから。つまり、自分の強みを最大限に生かすために、弱点を補強することが重要になってくる。

例えば、落ち込んでたりスランプの時期に周りを見てみると、バイアスが掛かって自分の弱い部分だけが見えてくる。その状況では、もはやどうしようもないように思えてくる。自分にはもう敗者になる未来しか用意されてないんだと思ってしまう。でも、常に大切なのは、自分の強みを生かすこと。これ以外の方法では、道は開けていかない。

全てにおいて弱点がない人など、存在しない。ただ、その弱点を補って余るほどの圧倒的な強みがあって、その強みに支障をきたさない程度に弱点が補強されているのだ。

ただ、何をするにしても最初の内は、自分の弱点しか見えない。強みなんて何一つない球体で、所々に凹んでる部分しかない。これはバイアスでも何でもなくて、現実。でも、本気でスキルを身に付けていくと、それをやってるのが楽しかったり、他より結果が出てたり、周りから称賛されたりとかして、自分の強みが分かってくる。そこを徹底的に強化していけばいい。それと同時に、強みの足を引っ張らないように、凹んでる部分を直していけばいい。凹んでる部分全てを平らにする必要はない。自分の強みに支障をきたす凹みだけを直していけばいい。で、運良く凹んでる部分に何らかの楽しさを見出せたら、直した凹みを新たな強みに変えていけばいい。

 

思考が変わるまで

マイノリティーになって本当に良かったと思うことがある。それは、この世界ではいつ淘汰されても不思議ではないから、いつ死んだとしても「最高に楽しい人生だった」と言えるようになったこと。言わば、人生の平均値を上げることを第一にして生きるようになった。人生、楽しくなければ意味がない。

今この瞬間に死んだとしても、「最高に楽しい人生だったな」と笑って死ねる。人生の平均値を上げるために、自分に出来ることは全てやっているから、しゃあないなと。そりゃあ、「勿体ねえなあ」と少しは後悔するだろうけどね。でも、自分に到達できる一番遠い所まで歩いて淘汰されたんだから満足だ。

ただ、こういう風に生きようと思ってはみたものの、完全にこの信念を受け入れるには1年近く掛かった。だが、受け入れたら世界が変わった。私の場合、下手に長生きを求めて生きるよりも、こっちの生き方をする方が結果的に寿命が延びるし、人生の平均値も上がると分かった。

思考が変わるまでに要する時間は過小評価されている。どんなに理想的な生き方や信念があったとしても、それがどんなに素晴らしい文章で示されていたとしても、それを受け入れるまで、つまり思考が変わるまでには多大な時間が掛かる。そもそも、文章を読んだだけで思考が変わるんだったら、皆が成功者になってる。

ちょっと「いいなあ……」と思った程度では、思考は変わらない。その瞬間だけそう思っただけで、すぐに忘れてしまうだろう。思考が変わるには、そうならざるを得ない相応の逆境が必要だと思う。

日本人の大半は、長生きするために生きている。人生の質はそれほど重視されておらず、いかに安定して長生きするかに重点が置かれている。つまり、安定思考だ。で、私も、安定思考から安定・安全を求めた。だけど、マイノリティー(既卒)になってしまった時点で、安定など存在していない。だから、安定思考求める→ない→不安になる→安定思考求める→……のループが続いた挙句、思考が変わった。と言うか、変わらざるを得なくなった。

 

自信喪失

日本人の自己肯定感・自己満足度はとても低い。ちょっとググれば色々と出てくるが、例えば、内閣府調査のこのページなど。

ちなみに、自己肯定感というのは、世界中の人間から「死ね!」と言われたとしても、「貴様等全員の価値より、俺様一人の方が価値がある!」と思える能力のこと。マイノリティーが逆襲するときには、絶対に必要になる能力だ。ただ、日本社会的にはやや迷惑な能力でもある。自己肯定感を高くするには、自分史を楽しめるようになればいいんだが、それについて詳しくはまた別の機会に。

それで、上記ページの調査では、日本人の自己肯定感・自己満足度は余りにも酷い状況になっているんだが、特に気になった点がある。それは、「自分自身に誇りを持っていること」という調査で、賢さ・頭の良さ、体力・運動能力、容姿の3点については、諸外国と比べても特に低くなっていること。つまり、極端な言い方をすると、この3点について、日本人はコンプレックスを持ちやすいと言うか、自信喪失してしまっていると言える。

日本では、「自分には出来ない」という刷り込みが、学校生活の中で自然と植え付いてしまうんじゃないかと思う。私自身の場合で考えてみても、勉強では「やれば出来る」って自信が付いたけど、体育や美術は出来る方ではなかったため、知らぬ間に自信喪失していた(精神分析したら出てくる出てくる……)。逆に、私は勉強で自信喪失はしなかったけど、勉強で自信喪失してた人もいるわけだ。だから、日本の学校では、全てが高水準で出来るオールラウンダーじゃないと、必要のない自信喪失をせざるを得ないのかなと。

自信喪失は潜在意識で起こるため、意識的には自分が自信喪失しているとは気付けない。しかし、それは自然な行動や感情となって表れる。

例えば、勉強で自信喪失していたら、勉強しても無駄だと潜在意識に刷り込まれてしまっているため、何らかの問題が発生したときであっても、勉強して問題解決しようとはしなくなってしまう(したとしても続きにくい)。しかも、自分はいくら勉強しても無駄だという世界観が構築されてしまうため、そういう状況に陥っていることにすらも気付けない(勉強するという選択肢がなくなってしまう)。

あと、調査にはないが、賢さ・頭の良さ、体力・運動能力、容姿の3点以外では、コミュ力もそうなんじゃないかと思う。学生時代に友達が少ないと、コミュ力で自信喪失している可能性がある。いや、これは私がそうだったんだが。

自分には出来ないとか、自分はいくら訓練しても無駄なんだとか、そういう必要のない自信喪失がどれだけ日本から可能性を奪っているのかと思う。そんなのやってみないと分からないじゃないかと、しっかり訓練を積んでみないと分からないじゃないかと。ちゃんと訓練すれば、それでメシを食えるようになるかは分からんけど、誰だって最低限人並みに出来るようにはなる。そういうことを、もっと学校で実践的に教えるべきなんじゃないかと思う。

「自分には出来ない」という自信喪失した状態も一つの信念であるから、その非合理的な信念を機能しないものにするには、「自分には出来る」という信念で置き換える必要がある。だから結局、自信喪失から回復するには、努力して結果を出す以外にない。しかし、その非合理的な信念、植え付かないに越したことはない。

 

弱者の戦略・強者の戦略

ここまでずっとマイノリティーの逆襲について書いてきました。今日はそのまとめ的な話。

それで、弱者の戦略をとりながらスキルを磨いてきて、逆襲に成功したと言える領域にまでなったとします。でも、逆襲に成功してからも弱者のままでいていいのだろうか?

確かに、スキルが身に付いてからも弱者の戦略をとり続けたら、凄いことになります。私も、ついこの間まではそう思ってました。早く上がりたいなと。安全な岩の裏に早く行きたいなと。でも、そこそこのカネを持つようになったら、その気持ちが薄れてきてしまった。本当にそれでいいのかな?弱者のままでいてもいいんだろうか?って。……いや、そりゃあ、早く安全地帯に行きたいですよ。

でも、資産を貯め込んで優位に立とうとするのは、少なくとも強者の行動ではないと思うのです。強者は、自分の能力に自信を持っているから、与えられる。仮に弱者に転落したとしても、また努力して這い上がれるだけの自信があるからこそ、与えられる。「自分には出来る」と信じているからこそ、与えられる。

何も、いきなり100万円の高級時計を親にプレゼントしろと言っているのではないですよ。自分に出来る範囲で与えていくこと、社会貢献していくこと。まずは自分を満たしていって、溢れてきた分だけ与えていけばいい。

それに、逆襲してからも弱者の戦略を取り続けることを否定しません。むしろ、今の社会情勢を考えたら当然の戦略です。ただ、マイノリティーから逆襲した人は、マイノリティーに冷酷な日本社会というのを体験しているはずなんです。だから、逆襲に成功したとしても、安全な岩の裏から石を投げ返すような大きな弱者になってほしくはないなと。だって、それでは、同じことじゃあないですか。

 

未来への種

自信喪失の厄介な所は、意識的には自信喪失していると気付かないことにある。自分で気付かない内に、潜在意識に「自分には出来ないんだ」ってことが刷り込まれてしまう。確かに、本当に出来ないことなのかもしれない。しかし、「自分には出来ない」という思い込みが、必要ない所まで拡大し過ぎてしまうのだ。これが厄介。

例えば、絵が上手く描けないからデザインは出来ないとか、リスニングが苦手だから英会話出来ないとか。苦手だったことや出来なかったことだけに留まらず、出来ない範囲を拡大解釈してしまう。そうやって無意識の内に、自分で自分の可能性を狭めてしまう。でも、それは潜在意識で起こってることだから、自分で自分の可能性を狭めていることに気付けない。

まあそれはともかく、目標達成まで等速直線運動で辿り着けることというのはまずない(こちらの記事を参照)。

必ず、壁にぶち当たる。壁にぶち当たると、嫌な感情が出てきます。「今こんな状況なのに、全く進んでいないのに、本当に辿り着けるのかよ?」って滅茶苦茶不安になってきます。このときは、無理矢理良い気分になったり、無理矢理プラス思考にならないでください。成功本に逃げないでください。それをやると、潜在意識の底に嫌な感情が溜まってしまう。いつか、それが大爆発を起こしてとんでもないことになってしまう。

逃げずに、その嫌な感情を感じてください。泣いてもok、嘆いてもok、「無力だ」と空を見上げてもok。そうやって嫌な感情を味わってから、その逆境に含まれている未来への種を見つけるんです。逆境の中には、必ず、何らかのメッセージがあります(多くの場合、その逆境がなければ、一生しないであろう何らかの行動を自分に促している)。

未来への種を見つけて、嫌な感情が和らいできたら、なんてツイてるんだ、なんて運が良いんだと。人生は何もかもが上手く行っているじゃないかと。しかも、自分はちゃんとやるべきことやってるじゃないか、栄光を手にするのはもうすぐなんだと。自分を称えてください。それから、自分にとって至福の時間をもたらしてくれることで、良い気分のスパイラルを作り出しましょう。ワクワクしていきましょう。残念ながら、未来は明るく楽しいんです。

ゴールに辿り着くまでには、何度も倒れることになると思います。でも、その度に立ち上がればいいんです。前に進んでいるからこそ、壁にぶつかる。そして、乗り越えた壁は自分を守る壁となる(ほとんどの人はここで諦めてしまうのだから……)。新しいことに挑戦し続ける限り、壁にぶつかったときの地獄のような嫌な感情から逃れることは不可能なのです。これは、人生のフロンティアに対する必要経費と思うしかない。

私も偉そうなことを書いてますが、壁にぶち当たって、嫌な感情が出てきて、不安で仕方なくなることも当然あります。こうして書くことによって救われている面もあるのです。わざわざ読んでくれている人がいたら、ありがとうございます。

 

出来る・出来ない

リア充というレッテルが貼られているけども、あれって、人間として当然の欲求じゃないですか。充実した仕事に就きたい、恋人や親友と楽しい時間を過ごしたい、幸せな家庭を築きたい、趣味を充実させたい……。優先順位はあれども、これらの欲求が無い人っているんですか?どれも人間として当然の欲求だと思うのだが……。

人間として当然の欲求を満たせる力は、誰にだって備わっています。「出来ない」と思い込んでいるだけなんです。知らず知らずの内に自信喪失させられてしまっている。

日本中が「出来ない」という刷り込みに染まってしまっている。例えば、韓国や中国に逆転されたら、もう再逆転は出来ないという諦めたような雰囲気があると思います。リードしているストックで逃げ切る以外にないと思い込んでしまっている。まるで、サッカー日本代表(男)のような感じ。もっと、なでしこジャパンのような雰囲気で行こうぜと。取られたら取り返せばいいんですよ。殴られたら殴り返せばいい。逆転されたら、また逆転するために走り出せばいい。

自分が欲しいものを手に入れたり、自分がなりたいものになろうとするために、泥にまみれながらも努力する姿が格好悪いという風潮があります。無視してください。努力しない自分を正当化したり、下剋上されるのが恐いから、そういう風潮にしておきたいだけです。

どれだけ周りに味方がいなかったとしても、自分で自分を応援していきましょう。「よくやってるなあ」とか「よくここまで来れたなあ」とか言っていきましょう。結果が出てきたら、「よくやったなあ(涙声)」って自分で自分を褒め称えてあげましょう。今は一人であっても、必ず味方が現れます。そして、自分一人で逆境を乗り越えるという体験は、必ず役に立ちます。なぜか最近は、一人でいることが馬鹿にされる風潮があるみたいですけど、「死んだ犬を蹴飛ばす者はいない」、一人で主体的に行動出来たり、一人の時間を楽しむ能力があることに嫉妬しているだけです(断じて、社交性やコミュ力が必要ないとか重要でないと言っているのではない)。

潜在的に「自分には出来ない」と刷り込まれているから、一歩踏み出しても無駄だし、歩き続けても辿り着けないだろうなと思ってしまう。

例えば、ゴールまで1000万kmあったとする。でも、自分は1年間に10万キロのペースでしか歩けない。理想を目指すときというのは、えてしてこういう状況にあります。だから、自分には無理だと思う。しかし、それでも歩いて行けば、自転車が見つかったり、自動車が見つかったり、ヒッチハイク出来たりするんですよ。そういうのが見つからなくても、歩く速度が上がっていくし、少しずつ走れるようになっていく。

ゴールまで辿り着けないかもしれない。途中で無様に消える運命かもしれない。努力すれば成功するか?マイノリティーが逆襲できるか?そんなの誰も保障なんて出来ません。それでも、一歩踏み出して歩き続けていけば、別のゴールに辿り着ける可能性だってあるわけですよ。途中でもっと理想的なゴールを見つけて、そっちに行ける可能性だってある。行動すれば、少なくとも何かが変わる。

例えば、今は恋愛離れが起こっていて、恋人がいない人の半分は諦めてるらしい。統計的に有意かどうかはともかく、この情報について、どう捉えます?一つは「どうせイケメンが複数の恋人を作るだけだろう。チャンスなんて生まれない」というもの。もう一つは「諦める人間が減っている分、チャンスだ!」というもの。……これって、両方正しいと思うんですよね。自分が信じている方が現実になる。物事をポジティブに考えたとしても、ネガティブに考えたとしても、どっちも正しい。選んだ方が現実になる。

「出来ると信じても、出来ないと信じても、どっちも正しい」ヘンリー・フォード