リア充というレッテルが貼られているけども、あれって、人間として当然の欲求じゃないですか。充実した仕事に就きたい、恋人や親友と楽しい時間を過ごしたい、幸せな家庭を築きたい、趣味を充実させたい……。優先順位はあれども、これらの欲求が無い人っているんですか?どれも人間として当然の欲求だと思うのだが……。
人間として当然の欲求を満たせる力は、誰にだって備わっています。「出来ない」と思い込んでいるだけなんです。知らず知らずの内に自信喪失させられてしまっている。
日本中が「出来ない」という刷り込みに染まってしまっている。例えば、韓国や中国に逆転されたら、もう再逆転は出来ないという諦めたような雰囲気があると思います。リードしているストックで逃げ切る以外にないと思い込んでしまっている。まるで、サッカー日本代表(男)のような感じ。もっと、なでしこジャパンのような雰囲気で行こうぜと。取られたら取り返せばいいんですよ。殴られたら殴り返せばいい。逆転されたら、また逆転するために走り出せばいい。
自分が欲しいものを手に入れたり、自分がなりたいものになろうとするために、泥にまみれながらも努力する姿が格好悪いという風潮があります。無視してください。努力しない自分を正当化したり、下剋上されるのが恐いから、そういう風潮にしておきたいだけです。
どれだけ周りに味方がいなかったとしても、自分で自分を応援していきましょう。「よくやってるなあ」とか「よくここまで来れたなあ」とか言っていきましょう。結果が出てきたら、「よくやったなあ(涙声)」って自分で自分を褒め称えてあげましょう。今は一人であっても、必ず味方が現れます。そして、自分一人で逆境を乗り越えるという体験は、必ず役に立ちます。なぜか最近は、一人でいることが馬鹿にされる風潮があるみたいですけど、「死んだ犬を蹴飛ばす者はいない」、一人で主体的に行動出来たり、一人の時間を楽しむ能力があることに嫉妬しているだけです(断じて、社交性やコミュ力が必要ないとか重要でないと言っているのではない)。
潜在的に「自分には出来ない」と刷り込まれているから、一歩踏み出しても無駄だし、歩き続けても辿り着けないだろうなと思ってしまう。
例えば、ゴールまで1000万kmあったとする。でも、自分は1年間に10万キロのペースでしか歩けない。理想を目指すときというのは、えてしてこういう状況にあります。だから、自分には無理だと思う。しかし、それでも歩いて行けば、自転車が見つかったり、自動車が見つかったり、ヒッチハイク出来たりするんですよ。そういうのが見つからなくても、歩く速度が上がっていくし、少しずつ走れるようになっていく。
ゴールまで辿り着けないかもしれない。途中で無様に消える運命かもしれない。努力すれば成功するか?マイノリティーが逆襲できるか?そんなの誰も保障なんて出来ません。それでも、一歩踏み出して歩き続けていけば、別のゴールに辿り着ける可能性だってあるわけですよ。途中でもっと理想的なゴールを見つけて、そっちに行ける可能性だってある。行動すれば、少なくとも何かが変わる。
例えば、今は恋愛離れが起こっていて、恋人がいない人の半分は諦めてるらしい。統計的に有意かどうかはともかく、この情報について、どう捉えます?一つは「どうせイケメンが複数の恋人を作るだけだろう。チャンスなんて生まれない」というもの。もう一つは「諦める人間が減っている分、チャンスだ!」というもの。……これって、両方正しいと思うんですよね。自分が信じている方が現実になる。物事をポジティブに考えたとしても、ネガティブに考えたとしても、どっちも正しい。選んだ方が現実になる。
「出来ると信じても、出来ないと信じても、どっちも正しい」ヘンリー・フォード