勘違い

成長の過程には、何らかの勘違いが絶対に必要になる。

誰だって必ず、下手糞でどうしようもない時期を通過する。そこを勘違いして楽しく継続出来るかどうか。楽しく継続さえ出来れば、嫌でも上達する。

例えば、私の趣味の一つであるコンテンツ制作で説明してみる。

一番初めに作ったコンテンツは、(当然だが)とても人に見せられるレベルのクオリティーではない。恥ずかしいレベルのクオリティーである。だが、そんなレベルのクオリティーでも、恥ずかしがるどころか、最高のクオリティーだと思って楽しく作り続ける。コンテンツ作るのおもしれー、こんなコンテンツを作れる自分は天才だ!と思って。後から振り返ってみると壮大な勘違いなのだが、これがもしも、こんなの人に見せられるレベルじゃないと思っていたら、楽しくコンテンツ制作を続けられないだろうから、継続されない。結果、コンテンツ制作のスキルが全く上達しない。

こういうのがあるから、ナチュラルな無知や勘違いって強い。ある程度知ってる分野だと、勘違い出来ない。

私の趣味になったコンテンツ制作は、それまでの人生で全く体験したことがない分野のものだった。評価軸が存在してなかったことだから、自分で作ったもので勘違い出来た。お蔭で、この趣味には本当に助けられてきた。

私はゲーム・音楽に関しては結構造詣が深いから、勘違い出来ない。それに、仮に自分で作ったとしても、どうしても好きな作品の影響を受けて、その二番煎じ未満のものしか作れないだろう。だから、ゲーム・音楽そのものは趣味になるが、制作までは趣味にならんなと。

話はちょっと逸れたが、ナチュラルで勘違い出来るってのは本当に強い。もしかしたら、その勘違いが人生を変えるかもしれないのだ。

 

消費と自己投資

以前にも書いてきたが、現代では消費はスキルだなと思う。

参考:規律ある消費Amazonで安く買い叩く方法

ネットを上手く使えば、新品だろうと中古だろうと安く買える。このスキル・習慣が身に付いているかどうかが、積もり積もって結構な差になる。

ただ、規律ある消費で書いたことを徹底すると、カネと豊かさについて考える習慣が付くし、浪費しなくなる消費規律も身に付くのだが、貧乏性っぽくなるというリスクもある。なるべくカネを使いたくなくなってしまうのだ。私の実体験より。

これは問題だ。必要ないものには一切カネを使う必要はないが、必要なものには徹底的にカネを使って自己投資していくことが大事。

だから、消費規律が身に付いたら(そのリスクとして貧乏性っぽくなる)、貧乏性を取り除いていくことが大事。

消費規律が身に付いてる時点で、必要なものしか買わないという習慣は出来てると思うので、後はそれに従えばいい。多少高いと思っても、必要なものなら買う。全ての消費が自己投資。

勉強だけじゃなくて、内面だろうと外面だろうと自分磨きだって自己投資の一環だ。当然、趣味も自己投資だし、友達との外食も自己投資だ。家賃も食費もスマホ代も全て自己投資だ。人生の豊かさに少しでも寄与することならば、それは自己投資であり、人生の必要経費なのだ。

ちょっとでも貧乏性が顔を出してきたら、こう思おう。

何も不相応な高級車や高級時計を買うわけじゃない。今、自己投資しなくて、一体いつするのかと?それをケチってて、間に合わなくなったらどうするんだと。今の時点で10万円自己投資して自分磨きするのと、10年後に100万円自己投資して自分磨きするのと、どっちが効果があるんだと。間に合わなくなっても知らんぞと。

ところで、株は30代とか40代になってから余裕資金でするものだという固定観念があるようだ。まあ、資産だけを蓄えたマーケットに関して何の知識もない人達が供給され続けるということだから、私としてはこれでいいんだが……。ただ、20代で100万円の内10万円損するのと、40代で1000万円の内100万円損するのとでは、マーケットに払う授業料としては同じ。最悪の場合、退職金を全額使って、日本通信やDWTIを天井掴みしてたら……。実際、退職金を全額、東電につぎ込んでた人いたわけで……。

まあ、私は友達に株やFXについて聞かれたら、「養分になりたくなければやめとけ」と言ってますがね。と言うか、同世代で株やFXに興味ある人が皆無。

 

中流思考

自信喪失してなければ、外見だろうと運動だろうと勉強だろうと、何の努力もしてなくても、自分は中流程度ではあるだろうなと思ってしまう傾向があるように思う。恐らく、1億総中流社会の影響だ。

実際に中流程度なのかどうかは分からない。だが、「まあ大丈夫。自分は中流程度ではある」と思い、付け焼刃的な小手先の努力はちょっとだけするけど、本腰を入れた努力は特にしない。

これ、一種の危険思想である。これからの日本では絶対にやめた方が良い。

特に本腰を入れた努力はしていないにも関わらず、自分はかろうじて中流程度だろうなあと思ってしまうこと。これは危険極まりない。本腰を入れて努力してること以外は、下流どころか底辺だと思った方がいい(実際にどうかは関係なく)。だが、人生の平均値に寄与しない能力が0で底辺だろうと、何の問題もない。全て出来る完璧な人間など、ネット上にしか存在していないわけで。

自分の人生を豊かにするには、何が必要か?それを見極めたら、本腰を入れた努力をすること。必要ないものは切り捨てて、見向きもしないこと。

多くのことを浅く努力するか(オールラウンダー型)、少数のことを深く努力するか(スペシャリスト型)は人それぞれだと思うが、何の努力もしてないのに自分は中流程度ではあると思って安心してしまうことが危険なのだ。

 

外見を磨く効果

外見(見た目)を良くすることで、心理的にもかなり良い影響がある。まず、外面が良くなることで、自分が更に好きになる(外面の自分が好きになる)。外に出るのが楽しくなるし、堂々としてられる。自信が付いてくる。

で、外見を良くすると言っても、そんなに難しいことじゃない。

美容院に行って毎日スタイリングする、機材を買って運動・筋トレをする、服を買うなど。これらを単に継続するだけ。

ただ、髪型は美容師さんに任せて、服装も店員さんやマネキンを参考にして、運動や筋トレもプロのやり方を真似することだ。

センスのない人間の思考回路でどれだけ考えようと、センスのない状態にしか繋がっていない。だから、最初はプロに全部お任せした方がいい。センスのない人間が「いいね!」と思ったものは、その人にとっては「いいね!」かもしれないが、世間一般的には「ダサイ!」ものになってしまう。出来ない人間の思考回路でやってしまうと出来ないまま。出来る人を参考にしよう。

最初は小さな一歩でok。少しずつ出来ることを増やしていけばいい。そして、改善できる部分は全て改善していくようにする。髪型・体型・服装を良くする以外にも、外見を良くするためにやれることは全てやっていくようにする。例えば、メガネからコンタクトにするとか、腕時計を付けるようにするとか。

多方面にプラスの効果があるにも関わらず、外見を磨く効果は過小評価されてる。一部の人を除き、どんだけ意識で「自分は格好良い」と思おうとしても駄目。努力に裏付けされて、実際にその効果を実感して初めて、潜在意識にも浸透し始める。それが自然と行動や感情に現れてくる。

だから、嘆く前にまずやってみようぜと。まず2~3ヶ月継続してみようぜ。こういうことこそ、学校で教えるべきだと思うんだけどねえ……。外見を良くする方法を学校で教えたら、苦情が来そうだしなあ……。

ちなみに、こんな調査結果もある。男性が1ヶ月にかける衣服代は5000円以下が71.2%で、5000円~10000円が21.0%、10000円~30000円が6.9%、30000円以上が0.9%。つまり、服に1ヶ月10000円以上使ってるだけで、上位7.8%には入れるわけだ。

 

レジェンド級のコンテンツ5

レジェンド級のコンテンツ(フロー状態を体験出来るコンテンツ)というのは、そのコンテンツが関わる全てのプロセスが楽しくて仕方ない。楽しくないプロセスは何一つ存在しない。一般的には楽しくない作業だと思われることも含めて、その全てが楽しい。モチベーションが必要ないというか、むしろ、それをやらないことにモチベーションが必要な状態。楽しくないボトルネックがどこにも存在していない。

ポケモンで言うと、どのポケモンを育てようかと攻略本やwikiを見てることが楽しい、耐久調整について考えたり試行錯誤してることが楽しい、実際の育成プロセスが楽しい、バトルから教訓を得てパーティを改善していく作業が楽しい、確率計算するのが楽しい、統計取るのが楽しい。そして、いつの間にか、滅茶苦茶強いパーティが出来上がっている。しかし、それはあくまでこの極楽浄土の副産物でしかない。 ※1

レーティングや大会で上位のトレーナーは、皆この状態だろうなと思う。

例えば、勝つためにガブリアスを使うという思考では、そこまで勝てるようにはならない。なんでかと言うと、それは勝つことが目的になってるから。だって、勝てるパーティを構築するまで、どれだけ勝てない時期が続くのかと。勝つことが目的になってると、理想と現実のギャップでモチベーションが続かないから、そこを乗り越えられない。でも、このポケモンを使いこなしたい、このポケモンが最大限に活躍できるパーティを作ってやりたい、こういうパーティを極めたい。そういうことがモチベーションになってると、どれだけ勝てない時期が続こうとモチベーションに全く何の影響もなく、ワクワクする幸せな状態が続いていく。このポケモン使ってるだけで幸せ、勝てても負けてもバトルしてるだけで幸せ、ポケモンやってるだけで幸せ。その結果として、とんでもなく強いパーティが生まれてしまう。

つまり、ポケモンの場合は、最初から勝つことだけが目的になってると、滅茶苦茶勝てるようにはならない。例え勝利至上主義者であっても、大前提として色んなポケモンを使いこなすことにワクワクしているというのがある。

あと、本当にポケモンが強い人は、ポケモン廃人になどなってないはずだ。恐らく、多くても1日2~3時間を3ヶ月程度で十分なはず。それで現環境を攻略出来てしまう。

なぜなら、24時間ポケモンについて考えている状態になるから。何をしてても考えている。寝てるときも考えてるから、朝起きた瞬間にアイデアが閃いている場合もある。それが楽しくて仕方ないし、それが幸せで仕方ない。

つまり、実働時間で言うと1日3時間しかやらないけど、頭の中では24時間ポケモンをやっている状態。だから、3ヶ月集中してやったとすると、それは2160時間分の努力に相当している。ワクワクしてて幸せな状態ってのは、努力の質が明らかに違う。ワクワクして幸せな努力に対しては、苦しい努力をどれだけしようと絶対に太刀打ち出来ない。

本当に、ポケモンは最高級の大人の娯楽だと思う。世間的なイメージは子供の娯楽かもしれないが、ポケモン以上に確率的思考について学べるゲームは存在しない。言わば、高度なポーカー。

子供であっても、ライトゲーマーであっても、ヘビーゲーマーであっても楽しめるコンテンツなんだから凄い。友達と遊ぶ楽しさも、一人で専門的に遊ぶ楽しさも、仕事で使う確率的思考も、全てポケモンが教えてくれた。

※1
なお私の場合は、育成(個体値厳選)がボトルネックになってたんだが、コードフリークを使うことによって、ボトルネックを排除することに成功した。

 

楽しい努力

現実的な目標を設定すると、達成出来そうな感じではあるけど、ワクワクしないからモチベーションが中々上がらない。結果、その現実的な目標すらも達成出来なくなることがある。

一方、現実的じゃない、今の自分からすると到底信じられないような目標を設定すると、達成できるとは思えないが、ワクワクしてモチベーションが上がる可能性がある。結果的に、その非現実的な目標を達成出来ることがある。

やる気やモチベーションは、間違いなく過小評価されている。パワポケでは、やる気は経験点-2~+2程度の違いしか生まない。だが、人生では、ゲームそのものが変わってしまうほどの違いが生まれる。

結局、楽しくないと続かない。この流れには逆らえない。

自分のやりたいこと・なりたい自分とは言うけど、大抵の場合、それは本心ではない。本当にやりたいことだったら、誰に許可をもらうでもなく、既にやっている。本当になりたい自分があったら、既にそれになっている。モチベーションなんて必要ない。むしろ、それをやらないことにモチベーションが必要な状態。例えば、小学生の頃、「あー、早く帰ってポケモンの続きやりてえなあ!」って思ったようなあの感じ。

本当にやりたい仕事だったら、どこの企業に所属しなければいけないとか関係なく、フリーでもやってる。本当に勉強したいことがあったら、どこの学校で勉強するとか関係なく、独学で勉強しとる。

努力の中でも一番効果が高い努力は、自分ではそれが努力だと気付けない努力だ。完全にライフスタイルの中に組み込まれていて、楽しい習慣であるために、それが努力だと気付けない。努力から結果を出すまで、その全てのプロセスが楽しい。そういうことじゃないと、上手くいかない。学校で推奨してる努力よりも、「あー、早く帰ってポケモンの続きやりてえなあ!」の方だ。

しかし、それでも努力が必要なことをやってしまう。自分がなりたい自分ではなくて、自分で得意だと思われたい自分になろうとしてしまう。この前、それで大恥をかいた。「承認の欲求」が先立つ願望は弱い。

 

レジェンド級のコンテンツ4

レジェンド級のコンテンツがレジェンドになる前の段階で、「この楽しい感覚をもう一度!」と思うような体験がある。それは一瞬かもしれないんだけど、そういう瞬間がある。その瞬間をもっと味わっていたいという願望が現実化して、最初は一瞬だったその楽しい感覚が常態化したものが、レジェンド級のコンテンツだと思う。

で、その一瞬が滅茶苦茶大事。これを数値化して説明すると、常に100の楽しさをいくら継続した所で何も起こらない。常に10の楽しさしかなくても、一瞬でいいから300の楽しさを体験すると、それが忘れられなくなる。それをもっと習慣的に味わっていたくなる。重要なのは、一瞬でもいいから300の楽しさを体験すると、それを簡単にイメージ出来るようになること。

要するに、レジェンド級のコンテンツというのは、フロー状態を体験できるようになるコンテンツのことだと思う。で、レジェンド級のコンテンツになる前に、一瞬だけフロー状態を体験できるときがある。それは、「なんだったんだ、あれは!」というような体験。その幸せなフロー状態をもっと味わっていたいという願望が現実化して、最初は一瞬だったフロー状態が常態化したものが、レジェンド級のコンテンツ。

例えば、ショートショートの神様で、1001作以上の作品を作った星新一は、2作目の「ボッコちゃん」を書き上げたときに、「内心で『これだ』と叫んだ。自己を発見したような気分であった。大げさな形容をすれば、能力を神からさずかったという感じである」と思ったそうだ。まさに、こんな感じだと思う。「これだ!これだ!」って。

その初めての瞬間は、偶然の出来事かもしれない。でも、その偶然を偶然のままで終わらせるか、日常的にするか。これが、レジェンド級になるかどうかの分かれ目だと思う。そのときだけの楽しい体験で終わってしまったら、その瞬間は単なる偶然の出来事で終わり。だが、それが常態化すれば、その瞬間は奇跡になる。だから、まず必要なのは、そういう滅茶苦茶楽しい奇跡的な体験。レジェンド級の楽しい体験をしてない人間が、いくら想像力を張り巡らせたとしても限界がある。……これも結局は運なのだが……。

で、私の場合で一例を出すと、「パワポケ1+2」のパワポケ1で初めて理想とする野手を育成出来たとき(このページのサンプル選手1)、「育成理論ってこんなにおもしれえんだな……」と。間違いなく、これが始まりだった。

 

レジェンド級のコンテンツ3

レジェンド級のコンテンツというのは、コンテンツ側がとてつもなく進化したり、とてつもないコンテンツが登場するんじゃなくて、自分自身がその存在に気付くだけと言うか、自分自身の思考が劇的に変わって、その存在に気付いただけであることが多い。つまり、既にあるコンテンツが決壊することでレジェンド級のコンテンツになるわけだが、それは単に、自分自身の思考が劇的に変わって、それに気付くだけのこと。客観的に見れば、コンテンツそのものは何も変わらない。でも、自分の中で劇的な変化が起こる。世界は何も変わっていないのに、世界が変わってしまう。

じゃあ、どうすれば自分の中で劇的な変化が起こるのかと言うと、「これだけやったんだ!」という確かな体験と、「楽しかったなあ」という思い出だろうか?あとは、それに対して「ありがとう」という感謝の気持ち。これらが十分に満たされれば、コンテンツとの関係性に劇的な変化が起こって、決壊する。一線を超えた関係になって、楽しいの次元が変わってしまう。

ただ実際問題、レジェンド級のコンテンツはどういう風に登場するだとか、そういうことをごちゃごちゃ考えてみても、結局一番重要なのは、運だと思う。人生のシナリオ(工程表)に書いてあればどんな奇跡が起ころうと登場するし、人生のシナリオに書いてなければどれだけ努力しても登場しない。

 

レジェンド級のコンテンツ2

レジェンド級のコンテンツというのは、ワクワク感が現実化しただけであることが多い。それが現実化して自分のものに出来たらどうなるんだろうなとワクワクしている。そのことを考えると、四六時中ワクワクが止まらない。そして、それが現実化してしまう。現実化させるまでは労力が必要になるが、その工程には努力は全く必要ない。第三者から見れば努力に映るかもしれないが、全く努力を必要としていない。言わば、モチベーションが必要ない。ただ、ワクワクしてるだけ。ワクワクしながらその流れに乗っているだけ。で、いざ現実化したその状態は、ワクワクして想像してた状態よりも素晴らしくて、現実が理想を凌駕していく。

一方で、ワクワクするような願望ではなく、マイナスを解消しようとする願望から生まれてる場合もある。それは、とんでもないフラストレーションというか、とんでもない悔しさというか、「バクマン。」で言うと「タントやめたい!」的な体験が一つのきっかけになって生まれている。

「こうなりたい!」とか「これが体験したい!」とかいう願望は今までに100%叶ってきたわけではないが、「これはもうやりたくない!」「この状況はもう二度とごめんだ……」っていうような願望は、今までに100%叶ってるなあと。「何としてでもこの状況から抜け出してやるんだ!」とか「もう、二度とこんな状況は味わいたくない」って願望は、100%叶っている。そして、そのマイナスを解消した反動からレジェンド級のコンテンツが誕生したことが少なくない。

皆さんもどうでしょうか?自分の人生を牽引するようなレジェンド級のコンテンツ(趣味・仕事・人間関係など)にはどういう共通点があるだろうか?

 

レジェンド級のコンテンツ

これは私の経験上のことなんだが、このコンテンツがここまで化けるなんて一体誰が想像しただろうか?みたいな。これ以外の展開では、人生を代表するようなレジェンド級のコンテンツは登場しないと思う。つまり、レジェンドになるコンテンツには、期待感が全く入ってない。期待感が全く入ってなくて、僅かなワクワク感がある状態。そういうコンテンツが化けてしまう。で、レジェンドになったらもう止まらない。エンタメ性が暴走した状態になると、期待感なんてもんは多少抱いた所で何の影響も生じない。でも、最初から期待感を抱いていると、そういう状態には絶対にならない。

だから、レジェンド級のコンテンツを意図的に生み出すのは、どれだけ難しいことかと……。レジェンド級のコンテンツを意図的に生み出そうとすると、必然的に期待感が入って、絶対に生まれなくなってしまう。では、コンテンツに対する期待感をなくすにはどうすればいいかと言うと、そもそも期待感をなくそうと思っている時点で、期待感が入ってるわけで……。

で、レジェンドになったコンテンツは、ドン底や背水の陣で出てきたものが多いんだが、これは、その状態では期待感が入り込む隙間がないからだ。それでいて、ある程度開き直っているから、僅かなワクワク感が入っている。で、一緒に逆境を乗り越える体験をすると、そのコンテンツとの関係性が決壊して、そのコンテンツと過ごす時間の楽しいの次元が変わる。そして、伝説へ……。