書評:「“元祖が語る” 自分史のすべて」(色川大吉)

日本で自分史を提唱した色川大吉さんの本。

自分史の書き方に関することは最初の40ページだけで、あとは自分史の前身となった「ふだん記」の歴史の話が中心です。

自分史の書き方については記述が少ないと思うんですが、「自分史の書き方」というコンテンツを作っている私的には、日本ではどのようにして自分史が広まってきたのかという歴史は面白かったです。

で、この本を読んでいて、一つ気付いたことあります。

もしも自分史がブームになったら、かなりの高確率で自分史本来の役割が無視されるなと。自分史がブームになったら、出版社がこぞって自分史の賞を設立するなりして、個々の自分史に優劣や競争原理を持ち込むことになるんだろうなあと。そうなると、自分の人生を好きになるためではなくて、評価されるために歴史を捏造して自分史を書く人が続出してしまうんだろうなあと。

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自分史の書き方についてはこちら


いつもありがとうございます!

to be continued…?

うーむ、ネタがなくなってしまった。

ゲームの次に発信してみたいのは成功法則だなということで、色々と書いてきましたが、書きたいことは大体書けてきたかなと。

それで、一人でも、私と同じような境遇に陥ったマイノリティーの役に立てたら嬉しいです。

これ、超オススメです。

ありがとうございました。

 

コンテンツのクオリティー

私は、コンテンツにはクオリティーは存在していないと思う。コンテンツを楽しめるかどうかは、100%完全に自分自身に依存している。コンテンツ側にクオリティーは存在していない。そのコンテンツを楽しめるかどうかは100%完全に自己責任。楽しめない理由は、コンテンツ側にはなく、全て自分自身に原因がある。で、ここで注意して欲しいのは、楽しめない=自分が悪いというわけではないということ。誰も悪くない。ただ、楽しめない原因は自分自身の中にある。

どういう思考をするかは自由であるが、この思考でコンテンツを楽しめるようになれば、人生が変わる。マジで。

なぜに、コンテンツに楽しめない責任を押し付けるようになるのかは、この記事を参照。過去の楽しい体験が強過ぎて、それが過剰な期待感となる。だが、その期待感がエンタメ性を殺してしまう。過去に楽しい体験をしたときは、期待感などなかったわけで、期待感が入っている時点で過去と比べて不利な評価を受けざるを得なくなってしまう。

まあつまり、期待感を抜けばいいわけだ。しかし、期待感を抜こうと思う時点で既に期待感が入っている。期待感は無意識にしか抜けない。だから、過去に絶頂の領域を体験したコンテンツで、再び絶頂を体験するのがどれだけ難しいことか……。

で、コンテンツに対する期待感が抜けるには、2つある。

一つは、とんでもない逆境。人生でとんでもない逆境に直面しているときは、コンテンツに対して期待感が入る余地が生まれないため、レジェンド級になりやすい。

もう一つは、感謝の気持ちで胸が一杯になって、自然と涙が出てくる聖なる状態になること。こうなれば、期待感は簡単に抜けて、簡単に突き抜けていく。私の体験上、この状態のときほど、コンテンツを楽しめる精神状態は存在しない。スラムダンクで言うと、山王工業戦後半のゴリ状態。この状態は、楽しむことに関して、大人が子供に対して持ってる唯一の優位性と言っていい。まさに絶頂の領域。全身全霊が感謝の気持ちで満たされて、涙が泉のように溢れ出てくる。

しかし!この聖なる状態、そんな簡単になれないのだ。そもそも、即席で感謝するだけで期待感が抜けるんだったら、苦労しない。この状態になるには、相当の努力の積み重ねが必要になる。その、今までに積み重ねてきた努力や逆境や思い出などが一気に感謝の気持ちとして噴出して、この状態になれる。

まあつまり、期待感は抜けないものだと思った方がいい。人生は楽しめば楽しむほど、期待感を生み出す正のトラウマが蓄積されていく。それが楽しむことのリスクだ。

では、期待感が入ってしまっているときは、どうすればいいのか?

それは、ベターを目指すことだ。実際、期待感が入ってる状況では、何をどうしようとベストの時期には敵わない。

例えば、何をどう贔屓目に見ても、(今まででベストだった時期に比べて)去年の12月はベストだとは言えなかったとしよう。でも、今思い出してみると、去年の12月は素晴らしかったなと思える。唯一無二である去年の12月が好きで仕方ない。これがベターの状況。この領域を目指せばいい。

つまり、その年の中でベストになれるように全力を尽くすこと。今までの人生でナンバーワンのコンテンツにはなれないかもしれないが、その年を代表するコンテンツを目指して楽しんでいくこと。そうすれば、ナンバーワンにはなれないかもしれないけど、オンリーワンにはなれる。これを積み重ねていけば、ベストな時期がまた体験出来る。

所詮、人生も確率に過ぎない。確率統計上、必ずまたベストな時期が訪れるのだ。そのときに、オンリーワンとして楽しんだ時期がエネルギーになる。

 

問題も顕在化する

努力は顕在化するわけだが、同じように、先送りしている問題もいつか顕在化する。そして、とんでもない大惨事になってしまう。

問題先送りの典型例としては、日本の少子高齢化と財政問題はそれだ。少子化を20年以上放置してきて、あれだけ歪な人口ピラミッドになってしまった以上、消費税10%で足りるわけがない。奇跡が起きて、今日から少子化が改善したとしても、問題解決まで20年以上掛かるのだ。つまり、もう手遅れで詰んでる。にも関わらず、少子高齢化に対する社会の関心度は低い。 ※1 ※2

今の子供達が大人になる頃の日本では、まず給料の半分は税金で持っていかれる。それでいて、残ったカネを使おうとすると、消費税が30%位かかる。このまま行けば、そういう社会が待っている。で、今大体30代後半から40代のロスジェネ世代こと団塊ジュニア世代がほとんど死ぬまでは、この状況は改善されていかないと思う。そこまで行ってようやく、歪な人口ピラミッドが解消されていく。だから、最低でもあと40年以上は改善の見込みもなく日本は経済的に衰退していく。福島第一原発が廃炉になる頃に、ようやく光が見え始めてくるかなと。

希望を持つのは大切だが、希望を持つ=現実から逃げるではない。自分が置かれている現実を直視した上で、必ず改善されると未来を楽観視して、自分が出来ることを全てやっていくこと。奇跡を信じるのはいいが、奇跡が起こると期待してはいけない。自分の信じた道を突き進んでいけば、奇跡は嫌でも起こるものだ。

※1
問題なのは人口減や少子化そのものではなく、少子高齢化であり、歪な人口ピラミッドをどうするのかということ。そもそも日本は人口多過ぎだから、8000万人でもやっていけるという意見もあるが、問題の本質は溢れるほどいる老人達を誰がどうやって支えるの?ということ。

※2
人口減への対処療法として移民の話が出てくると、移民に対する拒否感が先行して議論にならないことがある。更に、なぜか中国人や韓国人の移民の話になることもあるが、中国・韓国は日本を上回るペースで少子高齢化が進んでいるため、日本が心配しなくていけないのは、中国・韓国との移民争奪戦の方である。移民にとって、中国・韓国の方が魅力的な国だったら、来るのを拒んでいる移民すらも来てくれない。

 

ネット中毒

中高生の間では、ネット依存症・スマホ依存症が問題になってるようだ。

別にいいじゃんと思うが……。これから一生ネットと付き合って生きていくわけで。早めにネット中毒を体験しておいた方がいいと思う。

私も高校時代に体験したことがあるが、私の場合は2ちゃんねるだったんだけど、多分こんな感じだと思う。

自分のお気に入りのスレに、何か書き込まれているんじゃないかと思って何度も更新してしまう。その繰り返しで中々終われない。誰かが書き込んでくれたんじゃないかと思って、何度も更新してしまう。これには終わりがないから、終われない。そうして、この無駄な作業の影響で寝る時間がどんどん遅くなっていく……。

誰かが何か面白い情報を発信しているかもしれない。だから、チェックしないといけない……。この誘惑は、経験してみないと分からないものだ。何と言うか、ギャンブル的な誘惑がある。2ちゃんねるにしても、有益な書き込みなんてのは、1000レス中1つか2つあればいい方だ。つまり、滅茶苦茶非効率的。でも、やめられない。

ただ、この状態をある程度経験すると、馬鹿らしくなるときがやってくる。そもそも、ネットなんて人生を楽しむためのツールでしかないわけで、そのたかがツールに無駄な時間を掛けて、他に自分がやりたいことの時間を削るなんて馬鹿らしいと。でも、ネット中毒を体験してみないと、これは分からないと思う。

だから、ネット中毒にならないための一番の方法は、一度でもネット中毒を経験してそこから冷めることだと思う。で、中高生のときにそれを経験しておけば、社会人以降でネット中毒になる確率は滅茶苦茶低くなる(もちろん、確率統計的に継続する人も出てくるが)。つまり、長期的に見れば、スマホ依存症が社会問題になるのは、それほど悪いことではないと思う。

 

市場原理

社会的に嫌われている職業がある。トレーダーもそうかもしれないが、転売屋はそれ以上に嫌われている。私としては、転売行為というのは個人ビジネス以外の何物でもないと思うのだが……。

よく言われているのは、転売屋がいなければ、メーカーからファンに正規の値段で売られるから、ファンの利益が守られるというもの。だが、経済学的に考えると、それは効率的ではない。もしも転売屋がいなければ、限定品はファンの間で抽選になってしまう。例えば、5000円のチケットに、5000円まで出してもいい普通のファンと、1万円まで出してもいい熱心なファンがいたとしても、抽選になってしまう。これは非効率的で不公平である。しかし、転売屋がネットオークションにチケットを出品すれば、1万円まで出してもいい熱心なファンがチケットを買える。転売屋のお蔭で、価格によってファンの差別化が行われる。熱心なファンほど欲しいものを買えるという、効率的で公平な市場が作り出されるのだ。

そして、誰もこの取引で損はしていない。転売屋に正規価格で売ったメーカーも、チケットを転売して5000円の利ざやを得た転売屋も、転売屋から10000円でチケットを買った熱心なファンも、全員がこの取引から利益を得ている。そもそも、市場で行われるあらゆる取引は、双方に利益があるから行われる。双方に利益がない取引は絶対に行われない。確かに、消費者側・供給者側のどちらかに利益が偏っている場合はあるだろうが、双方が取引から利益を得ているのは間違いない。

つまり、転売は、社会に利益をもたらしているビジネスなのだ。転売屋がいるからこそ、熱心なファンはチケットを確実に入手出来る。転売屋は、市場原理に基づいた立派な職業なのである。

メーカーも本音では、転売屋について何とも思ってないと思う。だって、ファンに売ろうが転売屋に売ろうが、利益は利益、カネはカネなのだから。そもそも、限定版商法をしているメーカーはどうなんだというのもあるわけで……。だから、メーカーが転売対策をしているのは、あくまでファンに対するイメージアップ戦略に過ぎない。むしろ、そうやって転売屋を排除するコストを負担しているのは誰かと言うと……。

あと一つ、メーカー価格で買いたいのに中々買えないというのは、そのコンテンツの市場価値がそれだけあるということ。そもそも、同じ限定品であったとしても、超人気のコンテンツが普通のコンテンツと同じ価格で簡単に買えると思うこと自体が間違ってる。超人気があるコンテンツなのに供給が限られていたら、市場価格は上がっていく。にも関わらず、メーカーは市場価格よりも圧倒的に安い価格で売るんだから、ファンが殺到して競争になるのは当たり前。それで買えなかったファンは転売屋に責任転嫁するかもしれないが、超人気コンテンツの限定品が普通の価格で売られていたら、そもそも簡単に買えるはずがないのだ。たくさんのファンがその手頃な価格で買いたいと思ってるんだから、転売屋がいようがいまいが、買いにくいのは同じこと。数が限られている超人気コンテンツを普通の価格で買おうとする以上、買い手の間で競争になるのはしょうがない。

まあ、百歩譲って転売屋が悪だとしよう。では、その悪が蔓延る原因を作っているのは誰か?それは、市場価格で売らないメーカーである。メーカーが市場価格で売らないから、転売屋が利ざやを稼ぐ機会が生まれてしまう。

しかし、超人気コンテンツの限定品を市場価格で売り出したら、メーカー価格の数倍になってしまう。市場原理からすると当然の現象なのだが、メーカーのイメージダウンに繋がることはほぼ間違いない。だから、メーカーが市場価格で売り出すことは出来ない。ここに、悪が付け入る隙が生まれる。もしも、社会が効率的・合理的に運営されてたら、悪が付け入る隙なんてのは生まれない。社会の集合知が低いから、悪が生きていく術が生まれる。悪を淘汰するには、社会全体の集合知を上げるしかないのだ。

 

ありがとうございました。

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