2017年4月 トレード歴62ヶ月(根源的な恐怖の検証、「反応しない練習」)


2017年4月

※2017年4月当時の売買日記を読みながら作成(図も当時のものをそのまま転載)。

○4月3日
・つもり売買ではあるものの、東芝空売りがいきなり暴落で寄り付きで+6.62%利食い!キター!「面白くなってきたぞ。やはり、トレードは楽しくないといかん」。
※こうして、毎日2銘柄ずつ、動きそうな銘柄を選んでいくこととなった。基本的なルールは3%利食い、-1%利食いで。
※エントリールールは非常にシンプル。主観で「上げていてそろそろ反落しそうなのを空売り」か「下げていてそろそろ反発しそうなのを買い」。

 

○4月5日
・アスカネット+13.80%の上昇で利食い!

 

○4月10日
・シャープ、寄り付きで-7.01%LCとプロの洗礼を浴びる。

※そりゃあ、今まで逆張りスイングをやったことがなかった素人が、主観で下げてるのを買い、上げてるのを空売りってやれば、こうなりますわね。ただ、素人とは違ったのは、相場の恐さを体験しているために、資金を入れずに遊び感覚でやっていたこと。

・この日、ずっと統計を取っている順張りスイングのルールについて、ある値まで上昇した銘柄の逆張りをしたらどうなったか?という統計を取ってみた。そして、気付いた。これは!!
※この当時の売買日記からそのまま参照。「これ、検証してるときは、利益がプラスになってる所は良い気分だが、ドローダウン時期になると途端に嫌な気分でモチベーションが落ちてくるんだよな。でも、この部分こそその売買ルールで知っておかなければいけないことなんだなあ」。

 

○4月11日
・シャープ、-5.44%LCと、再びプロの洗礼を浴びた。

※「逆張りは順張りよりムズいわ」と気付く。そうなんですね。順張りは節目を抜けたら買うだけとシンプルなものだけど、逆張りの場合は「トップから何%落ちたら」とか「利食いはどこまで」と、順張りに比べてルールがやや複雑になります。

 

○4月12日
・シャープ、-3.56%LC。シャープから3打席連続ホームランを打たれる。

※「逆張り、恐ろしいわ……」。逆張りの難しさを認識した。引き付けて……というのはその通りであるが、どこまで下がるのかというのは実際分からないなと。

 

○4月14日
・順張りスイングの統計からMFE10%まで順行した銘柄の逆張りということで入っていたニトリが3%利食いとなった。その後、イオンモールも利食いとなった(画像は省略)。統計に従ったトレードがちゃんと利食いになった。

※これは正確に言うと、統計に従ったルールが利食いになったから良かったというより、一貫したエントリーに出来るという点において有用。

 

○~4月30日
・東証一部の逆張りだけじゃなく、滅茶苦茶大きく下げた銘柄の逆張りは相当取れるんじゃないか?と思うようになってくる。そして、逆張りのルールは3パターンに絞ろうということになってきた。
※シャープの洗礼から、大きく下げたの定義は最低でも-20%以上とした。

※しかし、まだ1年経ってないのに、売買日記を見直すと本当に色んな発見があるなと思います。売買日記の見直しによる学習効果はとてつもないものがあるのに、記録を取らずにやる人が五万といるんだから信じられない。記録を取らずにトレードをするってのは、札束を投げ捨てる行為と同じです。

 


根源的な恐怖の検証

私は2016年12月に、セドナメソッドの「利点・不利点の解放」をしていたときに、あることに気付きました。

それは、私が恐怖や不安を感じることには、ある共通点があるということでした。

さて、例えばロスカットで恐怖や不安を感じるとしたら、それはロスカットそれ自体が恐怖や不安なのではなく、ロスカットになる→カネが減る→破産→破産したら~というような感じで、ロスカットをきっかけにして恐怖や不安を連想するから、ロスカットに恐怖や不安を感じてしまうわけです。

では、恐怖や不安を連想する根源的な恐怖は何なのか?

私は、セドナメソッドでの気付きや「地球が天国になる話」内田さんのブログで得た知識から、根源的な恐怖は幼少期の体験にあるんじゃないかという仮説を立てました。

親に寄生しなければ生きていけない幼少期の子供にとって、親は絶対的な存在です。しかし、多くの親は未熟なまま子供を育てるため、自らの劣等感やコンプレックスを無意識の内に子供に植え付けてしまうことがあります。が、子供は親が未熟なことが分からないため、全て自分の所為だと思ってしまう。

例えば、親に怒られたり、親が喧嘩していたり、親がコンプレックスを植え付けてきたりしても、子供は自分が悪い(自分に原因がある)と思ってしまうわけです。

親を怒らせたら子供は生きる術がなくなってしまうために、親に怒られたことで、恐怖心を感じるように脳の神経回路を形成してしまうんだと思います。この生まれて初めて形成された恐怖の感情を連想させる脳の神経回路こそが、大人になってからも抱く恐怖を連想させている根源的な恐怖というわけです。

こうして、私は2017年1月から、自らの幼年期から現在に至るまでの恐怖体験を検証するとともに、”家や家族の観察”を行いました。

それで見えてきたのは、祖母から代々受け継がれてきていたある信念でした。

私の祖母は祖父とともに商売で成功しましたが、高度成長期で非常に忙しくて苦労したため、「働くのは辛い、専業主婦の方が良い」と言いながら私の母を含む子供達を育てていたそうです。そして、今でも自営業で悠々自適に働いているのに自分のやってきたことを認められない(※)。
※これは、否定的な信念の性質そのものです。自分史の書き方でよく言ってるんですが、「人生は楽しくない」という信念を持ってる人に対して、どれだけ自身の人生が充実しているかをアドバイスしても、反発して聞き入れてくれないという現象が起こります。

では、アンチ労働の信念を持っている祖母に育てられた子供達はどうなったか?

まず、私の叔父にあたる祖母の長男は喘息で小学校を不登校に(その後、祖母から離れて暮らしたら医者に)。私の母である長女は大学在学中に目の病気で仕事を続けられず専業主婦に。次女は対人恐怖から中学校から不登校に。

……これは、明らかに相関あるやろ!!

祖母から受け継がれた「労働なんてするものじゃない」という信念の影響で、会社や学校といった悪いものから逃れるために、病気や対人恐怖などの症状となって危機回避行動が起こってるんじゃないのかと。そうとしか思えない。

そして、このような信念は代々親から無意識に受け継がれるものです。つまり、私にもこの信念は受け継がれているということになります。

何を隠そう、私は幼稚園と小学校は不登校でした。友達や先生に恵まれたお陰で中学校からは普通に行くことが出来ましたが、それ以降も非常に個性的な道のりを歩んできております。

また、私にとって記憶が残っている中での最初の恐怖は、「幼稚園のバスが来る恐怖」でした。また、就活のときも、得体の知れない恐怖に悩まされていました。だから、既卒になりトレーダーとなって現在に至るわけです。

私はそれまで、「自分は特殊で変わり種だから、不登校になったのだ」と思っていました。しかし、そうではなく、「親から受け継がれてきた信念が原因で不登校になった。そのお陰で学校教育に染まらなかったから、個性的になった」のだと。

不登校になったのは子供に原因があるのではなく、家庭環境にあった。言ってみれば、親の期待に応えて、子供は不登校になる。でも、親も問題を先送りしてコンプレックスの解消をしたくないから、子供に原因があるという説を支持してしまう。そうなると、必然的に、子供は自分に原因があると思ってしまう。

とまあ、根源的な恐怖の検証をした結果、私の人生観にパラダイムシフトが起きました。トレーダーの訓練の一環として始めたことだったのに、この衝撃的な発見だけでお釣りがきます。

さて、この検証を始めてから4ヶ月が経った2017年5月に、ある1冊の本と出会うことになりました。

その本の名は「毒になる親」。

次回へ続く。

※なお、この検証がやりやすかったのは、2014年にコンプレックスの検証精神分析をした経験があり、「ゾーン」に書いてある信念の性質に関する知識が私にあったからなのは言うまでもありません。トレードで培ってきた心に関する知識が役に立ったわけです。

※補足

この検証をするにあたって注意点があります。

大前提として、誰も加害者じゃないんです。誰も悪くないんです。だから、これは中々レベルの高い検証だと思います。完全に自己肯定感を確立してる人がやらないと、誰が悪いという人生のA級戦犯探しになってしまうかもしれません。過去に何があったとしても、自分を含めた全ての人に感謝してる精神状態が確立されてないと難しいと思います。私は、私を育ててくれた家族には感謝しています。これが揺らぐことは絶対にありません。

 

書評:「反応しない練習」


心の反応について書かれた本です。

これは私の体験談になりますが、引き寄せの法則を始めとする自己啓発を実践しているときには、「悩みや不安がなく、楽しいことしかない領域がある」みたいな人生の桃源郷というか一生続く極楽浄土のようなものを無意識の内に求めていた部分がありました。

しかし、どんだけ楽しい体験をして、どんだけ楽しい思い出を作ったとしても、祭りの後で儚くなるし、新しい不安や悩みが出てくるだけ。しかも、それが楽しければ楽しいほど、祭りの後はより儚いものになる。

逆に、(理想では避けたいと思っている)逆境が深ければ深いほど、その後に体験できる喜びは爆発的なものになる。喜びや楽しみといった感情も飽きるが、恐怖や不安といった感情もそう長くは続かず飽きるときがくる。

これを繰り返している内に、私もさすがに気付いたのです。

何をどうしようが「心は渇くものである」という人間の心の性質に。

「心が渇かないこと」を目指すのは間違った(というか不可能な)アプローチであると。それは、腹が空かないことを目指すようなもの。でも、腹が空くからこそ美味いものを食べる喜びが生まれるように、心もまた同じことであると。

そして、皮肉なことに、この気付きがあってから、色んなことが腑に落ちて理解できるようになりました。

私はこの本を読んだ2年後にこのことに気付きました。この本にはしっかりと「ブッタですらも、心は完全に満たされなかった」ということが書いてあります。しかし、この本を読んだ当時の私にとっては、まさに馬の耳に念仏でありました。聖杯探しというのは、トレード以外の領域でも起こっているものです。