人間の過去には、負のエネルギーが伴った出来事や人が存在しています。
悲しい出来事を思い出すと悲しくなるし、怒りを感じた人を思い出すと怒りが込み上げてくる、これはその過去に負のエネルギーが伴っているからです。
このような負のエネルギーを伴った出来事や人物というのは、自分史の検証においても触れたくないものです。触れなくていいです。そっとしまっておきましょう。
ただ、何度も何度も自分史を検証しているうちに、人生に対する好感度が上がってきます(人生に対する好感度には上限がないと思います)。
そうすると、それまで触れられなかった出来事や人物にも触れられるようになってきます。
ただ、滅茶苦茶悲しかった、滅茶苦茶ムカついたなど、当時抱いた感情そのものは変わりません(それが変わってしまったら歴史の捏造になります)。
でも、悪い出来事や嫌な人に対して、”今現在”抱く感情は変わります。湧き上がってくる感情も変わります。
その当時抱いていた嫌な感情と、今現在その過去を振り返って抱く感情とに分離されるのです。「あのときはああいう感情を抱いていたなあ」と、過去を客観的に見れるようになってくるからです。
自分史の理解が深まってくると、歴史そのものを愛するようになるため、その歴史の構成要素となった全ての出来事・人物・コンテンツに対して愛が溢れ出てくるようになります。存在してくれていてありがとう、歴史を作ってくれてありがとうと。その出来事・その人物・そのコンテンツが、自分の歴史に存在してくれているだけで嬉しくなってきます。
例えば、マンガでもアニメでもゲームでもドラマでもいいですが、初めてライバルキャラが登場したときは、あんまり良い気持ちがしないじゃないですか。でも、徐々に慣れていって、自然と好きになっていくじゃないですか。この感覚です。この物語に存在してくれていてありがとう。
自分史を書いたり検証することで人生を理解する最大の目的は、自分の人生を愛することにあります。愛というのは、好き/嫌いの次元にはありません。
これを信念・観念レベルで言うと、次のようなものになるかと思います。「これまでの自分の人生には何一つ悪いことは起こっていない」「人生で起こる全ての出来事が素晴らしい」「自分の人生は考え得る限りの最高の物語を突き進んでいる」「人生では常に奇跡が起こっている」など。
この信念が身に付くと、過去を自由自在に泳げるようになります。
・ある年を選択して、その年の自分に対してたくさん感謝してみましょう。