自己肯定感について


自己肯定感を高めるには、テレビ番組で外国人に「日本最高!」と言わせるとか、そういう気持ち悪いことをする必要は全くありません。と言うか、他人の承認がなければ自分に価値があると思えないというのは、そもそもその時点で自己肯定感じゃないんです。

極端な話、自己肯定感というのは、世界中の人間から「死ね!」と言われようと、「貴様等70億人よりも、俺様一人の方が生きてる価値がある!」と思える能力のことです。他者の評価は全く関係なしに、自分自身や自分の人生を好きだと言えるかどうかです。

しかし、滅私奉公で協調性を重んじる日本社会では、このようなメンタルの持ち主は排除されてしまう傾向にあります。

だから、日本では皮肉なことに、異分子やアウトサイダーの方が自己肯定感・自己満足度が高くなりやすいのです。

普通とは違うマイノリティーな生き方をしていると、自分自身のアイデンティティーや価値観について疑問を持つ機会がたくさん得られます。

例えば、自分自身が間違いなく”楽しい”と思うことに対してマジョリティーの評価は逆を行っている場合、自分の価値観に疑問が生じてきます。そこで検証して、改めて、”やっぱり楽しい”、”自分の価値観は正しい”と思う。こうすることで、自分の価値観に対する自己肯定感、人生に対する満足度が確固たるものになっていきます。筋肉には負荷を掛けないと強くならないように、精神的な筋肉も同じことです。

ところが、普通の生き方をしていると、自分のアイデンティティーや価値観について疑問を持って検証する必要が生じない。日本は同質社会であるため、大多数の人は、自分のアイデンティティーや価値観について懐疑的になる機会がないんです。

仮にあった所で、多数派から外れること=絶対的な恐怖であると刷り込まれているため、多数派の意見に迎合してしまいます。これは言うまでもなく、自己肯定感・自己満足度を下げる行為です。

同質社会で同調圧力の強い日本では、世間様の力が余りにも強大です。そのため、世間様から笑われること(≒多数派から外れること)は致命的なことだと潜在意識に刷り込まれてしまいます。だから、何としてでも世間様から笑われることは避けたい。その回避行動として、世間様から攻撃される前に、自分で自分を攻撃するんです。そうすれば、世間様から攻撃されるという最悪の事態は回避されるからです。その具体的な行動として、自分が好きなものを過小評価したり、何かに熱狂していた時期を黒歴史とします。世間様に笑われる前に、自分で黒歴史にしてしまえば、世間様から笑われることはなくなるからです。

このような社会構造的な要因があるため、日本人の自己肯定感を高めるためのマクロ的な政策があるとすれば、移民を大量に入れて、日本人が日本人であることのアイデンティティーや価値観に疑問を抱かざるを得ない状況を作り出す以外にないと思います。でも、それは絶対に無理です。絶対に実現しません。

自分史を書くことに妙な抵抗があるとしたら、日本で起こっているアンチ自己肯定スパイラルに巻き込まれていないかどうかを確認してみてください。「一体、誰に対して遠慮しているのか?」「これは誰のための人生なのか?」を自問してみてください。

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