信じられないような目標を持つって、口で言うのは簡単だ。それを持てれば苦労しないよってね。
でも、ワクワクしないか?
自分でも信じられないような目標を持つと、そこから「引き寄せの法則」が働く。新しい物語・プロジェクトがそこから始まる。学業・仕事か人間関係か趣味かは分からないが、この過程で登場するコンテンツは、かなりの高確率でレジェンド級になるだろう。ドン底からしか始まらない物語がある。ドン底を体験した者だけが得られる果実がある。だから、死ぬ前に、出来るだけ足掻いてみようぜと。そりゃあ、辛い現実あるけどさ。
あと、社交的な性格・価値観を持っているかどうかというのと、コミュ力があるかどうかというのは違う。そもそも、コミュ力がないって、誰が決めたのか?自分で都合良く、そう思ってないだろうか?
日本では、コミュ力の定義が空気で決まってしまう。私の場合、コミュ力があると言われるときもあれば、コミュ力がないと言われる場合もある。だから、コミュ力があるのかないのかよく分からない。実におかしい話である。
しかし、社会で一番必要とされてる能力の定義が空気で決まってしまうって……。日本らしいと言えば日本らしいんだが、合理的な社会とは言えないだろうし、先進国としてどうなのかと思う。
いざ、コミュ力を発達させよう!と思っても、その定義が空気でいくらでも変化してしまうから、具体的に何をどう発達させればいいのかが分からない。結局、生まれつきの社交性となってしまう。これでは、閉塞感が漂うに決まっとる。
例えば、これが学力だったら、大抵の場合は学力=テストの点数と定義されてるわけで、やるべき努力が具体的になる。大学入試を学力重視から人物重視にするというが、これは日本の強みを破壊することにしかならないだろう。
コミュ力の定義、いっそのこと、Facebookの友達数とかTwitterのフォロワーの数とかでもいいと思う。とにかく、何らかの形で定義しておけば、その方向に努力するインセンティブが生まれる。