スクールカースト


私の学生時代にも、スクールカースト的な階層っぽいものが微かにあるかな?と思う程度には存在していたが、勉強や運動で十分に巻き返すことが出来た。つまり、誰でも努力次第でヒーローになれるチャンスがあった。多様性があったし、相互に干渉はしなかった。だが、最近のスクールカーストは尋常じゃないらしい。

で、和田秀樹先生によると、学校での競争を否定した結果、人気でしか差別化出来なくなってしまった。だから、人気至上主義になって、スクールカースト的なものが強くなってしまう。

恐ろしいねえ。要するに、社交的な価値観・性格の持ち主でないと詰んでるわけだ。ただ、社交的な価値観・性格でない以上、同じ土俵で勝負しても更に辛いだけだと思う。だから、まずは自分の価値観を満たしていくしかないんじゃないかと。

で、残念ながら、 日本が置かれてる状況からすると、この流れは止まらないと思う。グローバル化で、後進国がどんどん仕事を奪っていくわけで、これからの日本にはサービス産業しか残らない。それはつまり、対人スキルが必要な仕事だ。だから、日本国としても、社交性がある人をおだてておく必要がある。日本社会的には、スクールカーストが蔓延してるのには都合の良い部分もあるわけだ。だから、社交性がない人に対する風当たりが強くなることはあっても、弱くなることはないんじゃないかと。私も一人の時間が好きだから、書いてて嫌になってくるんだが(一人の時間の楽しみ方を知らない人間が多数派だから、一人でいることに偏見が出来ているんだと思う)。ただ、これが現実。下手に現実逃避した方が、残酷だと思う。

これの何が辛いって、得意なことを生かせるかどうかだと思うんですね。社交性がある人は、それをそのまま生かすことで仕事も人間関係も上手くいくと。でも、社交性がない人は、得意なことをそのまま生かしても仕事も人間関係も上手くいかない。これが辛いと思う。不公平な現実だ。しかも、この状態が永続してしまう可能性が強い。そうなるともう、絶望するしかない。

かなり難しいことではあるが、結局、よりよい人生を求めていくしかないんじゃないかなと。現実的な目標ではなくて、実現したらびっくりするような理想を、何か一つ持っておくこと。それは、どのような逆境があったとしても、それに回帰して現実逃避できるような理想だ。ある種の神として、すがれる対象として、到底信じられないような理想を持つ。これこそが、本当の意味で夢や希望と呼ばれるものではないだろうか?